劇場公開日 2016年10月8日

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「経済に踊らされて破滅した人と国」人間の値打ち りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)

3.5経済に踊らされて破滅した人と国

2016年10月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

あるクリスマスイブの夜、イタリア・ミラノの郊外。
地元高校での優秀な生徒を表彰する会がホテルで開かれている。
祝賀会が終わり、そのホテルのボーイが、雪道を自転車で帰宅途中に自動車事故に遭い、死亡してしまう・・・

といったところから始まる物語は、事件の前後を3人の登場人物の視点から描いていく。

ひとり目は、町で不動産業を営むディーノ(ファブリツィオ・ベンティボリオ)。
娘・セレーナ(マティルデ・ジョリ)を、ボーイフレンドである富豪の息子マッシのもとへ送り届けた際、投資会社を経営する父親ジョヴァンニと知り合い、それを契機にジョヴァンニが運営する投資ファンドに、銀行から借金をしてまで、投資をする。
しかし、そのファンドは上手くいかない・・・

ふたり目はジョヴァンニの妻カルラ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)。
元々は彼女の家系が上流階級であり、カルラは夫のビジネスには疎い。
彼女の興味は文化活動にあり、いまは町に唯一残された古い劇場を維持・修復することである。
夫との関係が冷え切っているカルラは、いつしか、劇場の再建委員である文学教授と不倫関係に陥る・・・

三人目は、セレーナ。
周囲からはマッシと交際しているとみらているが、ふたりの関係は半年前に終わっていた。
彼女は、心療内科医である継母継母ロベルタ(ヴァレリア・ゴリノ)が勤務する病院で、ルカ(ジョヴァンニ・アンサルド)という少年と出逢い、恋愛関係になっていく。
ルカは、かつて大麻所持の罪で少年院に入っていたことがあった・・・

と、この手の複数視点の映画だと、おおよその興味は「犯人は誰か」とか「ある出来事で一同が会する」といったジグソーパズル的興味が中心になるのだけれど、この映画ではそのどちらも狙っていない。
物語を進めて、観客の興味を引っ張っていく意味では狙っているのだろうが、根幹の部分では狙っていない、という意味である。

じゃあ、どのあたりを狙っているのかというと、上流=カルラ、中流=ディーノ、下流=ルカという社会的地位が異なる者たちの物語を描きつつも、その物語を動かしている中心を描こうとしている。
そして、その中心が社会を腐らせている・・・
そんなニュアンスが感じるのだ。

そして、その中心人物はジョヴァンニ。
不誠実な投資家。
投資経済の中で、人々は踊らされ、イタリアという国が腐って、落ちぶれてしまった、そんな色合いが濃い。

それを端的に表しているのがタイトル『人間の値打ち』。
これは、死亡時に支払われる保険金の算定基準をわかりやすく言い表したものであることが、エンドタイトルで説明される。
冒頭の自動車事故で死亡した男の保険金は21万ユーロ。
ディーノがファンドに投資した全財産が70万ユーロ(保険金の約3倍)。
そして、ディーノが投資したファンドの約款で決められているのは全財産の20%以内であることから、ジョヴァンニたちの資産はディーノの5倍以上(死んだ男の15倍以上)という計算だ。

ああ、こんな計算をしなくてもいいのだが・・・
それでも、してみたくなる。
もう、それこそが、経済に踊らされている証左なのだが。

それにしても、映画の終わりはなんとも下司だ。
町が破産する方に投資をし、利益を上げたパーティをあげているジョヴァンニたち。

なんだか、日本の近い将来をみているようで、憂鬱になってくる。

りゃんひさ