奇蹟がくれた数式のレビュー・感想・評価
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夭折した天才インド人数学者の物語
牧師がこう言った。
「神は存在する。凧と同じだ。糸の向こうに神がいると感じる」
私(ハーディ教授)は答えた。
「無風なら、凧は飛ばない」
数学者の伝記映画で思い出すのは、ノーベル賞受賞学者であるジョン・ナッシュを描いた『ビューティフルマインド』。
こうした実話をもとにした映画には、いつも心震わされる物語があるので、大好きなジャンルです。しかも、自分が知らなかった世界なので、それを知ることができるのもうれしいですね。この『奇蹟がくれた数式』も同様に、発見がありました。
でも、タイトルがなんとも力不足で、頼りないのです。
日本語としても違和感を感じます。
原作は、『The Man Who Knew Infinity (無限を知っていた男)』で、このままでは魅力的ではありませんけれど。
数学的な発見、すごさというものがもう少しほしかったですね。タクシーエピソードはとてもよかったですが、短い生涯だからこそ、濃密な時間がそこにあったはずです。それをもっと観たかった。
ラマヌジャンが、着想をどのように得るかというハーディ教授の問いに答えるシーンがあります。
そのときラマヌジャンは、女神の名を出すのです。女神が現れ、舌の上に数式を置いていく、と。
信仰に支えられた彼の人生は、その信仰の深さゆえに悲劇を招きます。天才の着想とは、信仰のように思念をもち続けることで得られるものなのかもしれません。
トリニティカレッジ
イギリスのケインブリッジとかオックスフォードは、こういう嘘のような実話がゴロゴロあるみたいで、ただただ驚く。それもこれもちゃんとした記録がなされてるから、後世に受け継がれていくのだとしみじみ。だいたい、ハーディ先生の夢が記録として残されていくこと、だもんな。
天才を見いだし、世に送り出すことも大学の役割であることが立派にー偏見や差別と戦いつつもー行われていることにも感動。インドという天才の国が植民地となってしまったのは悲劇ではあるものの、宗主国がイギリスであったのは幸いとも思わせる、偉大なるトリニティカレッジか。最後が実話なのでしょうがないけど、切ない
タイトルなし
神からの啓示のように閃いたと言い放ち
「アインシュタインと並ぶ無限の天才」とも称された
インド人数学者ラマヌジャン
彼を見い出し 戸惑いながらも自身の心の変化に気づいていくイギリス人数学者ハーディ
相手を受け入れ 認め 尊重する
そこから新たな自分を発見する
深い二人の関係には心うたれました
1920年閉鎖的なイギリス ケンブリッジ大学を舞台に
実話を映画化
天才…。
いつの時代でも彼らの偉業には常に苦悩がつきまとう
ラマヌジャンの公式はブラックホールの研究に役立っているらしい💫.
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トリニティカレッジが映画撮影を初めて許可したところも見処😊
数式は全く理解不能でも
数式は全く理解不能でも、ラマヌジャンの偉大さは十分に伝わる映画だった。女神の敬虔な信奉者であるラマヌジャンとその背景にあるインドへの静かな郷愁、その対極にあるハーディー氏の思考と暗く冷たい静けさのイギリスとの対比がとても印象的。結核とわかっても普通に集団生活を送り、見舞ったハーディー氏が病室でタバコを吸うのは、これは時代の違いか??最後の日々をインドで妻と共に過ごせた事実が何よりの救いでした。
数学男たち
人との付き合いが得意では無い男
数学と家族を愛してやまない熱心な宗教派インド人
2人の共通点は数学
この映画を観てピンときたこと。
それは理系の人は証明しながら生きてるということ。私は真逆の根拠のないものが好きだから、数学人と噛み合わないんだとわかったけれど、このインド人は証明をしなかったから、どちらかというと閃きで生きている。数学男ではなく宗教男なのだ。
そんな両極端とも言える2人のやり取りが楽しい。
数学男は言う。
君は友を求めていたのに人付き合いが得意でなくて…
するとインド人は女神が数学を教えてくれると言う。寝るときや祈る時に舌の上に数式を置いて行くのだと。本当の友なら、これが真実だとわかるはず。
あぁこれが証明か?いや、神を信じない数学男に
信じられるはずがない。だけど友達のいうことなら
信じるよねって会話、最後に数学男が
神を信じると言った…ここ良かったなぁ!
数学に疎い私でも、神の御心でなかったら
方程式などなんの意味もない…なるほど。
おっしゃる通りですよ。
いかに勉強と実生活が結びついているかを
想像して学ぶべきだったと私は反省してます。
素晴らしい映画だと思いました。
無限の友情
数学が大の苦手で見逃してました。はい。
デブ・パテルの主演作って、はずれがないですね。
たぶんインド人の役で横にでる人がいないからか。
素数・分割数・・・全然ピンときませんが。
一人の天才青年の花を咲かせようと奔走する、数学教授のJ・アイアンズがまたいいですねえ。最初は握手もしようとしなかったのに、最後はハグするくらいの距離感。
最後の全体会での話やその結果のあたりは。同じ学問を探求するもの同志、人種国籍を超えてよかったなー。じーーーん。
そういう史実があったことを知れて、よかったです。
テーマは良かった。テーマが良くなかったから、かなりのカス映画。文字...
テーマは良かった。テーマが良くなかったから、かなりのカス映画。文字も読めないような学のないインド人同士がインドでめっちゃ綺麗な発音の英語で話してるのがドン引き。主人公を悲劇の天才にしたいのか、したくないのか、中途半端。ただ、肩書きばかりを大事にする大学の教授達が、学位のない天才を少しずつ認めていくのはスカッとする。
見出したのはイギリス人
インドの天才数学者ラマヌジャン(デブ・パテル)と彼を見出したイギリスの数学者(ジェレミー・アイアンズ)の物語。
数学者が天才というのはよくわからなかったが、イギリスの保守性もきちんと描いており、ケンブリッジといえども、という感じ。
手堅い演出なので勉強するみたい。
君は数学と無限に踊る
映画「奇蹟がくれた数式」(マシュー・ブラウン監督)から。
「アインシュタインと並ぶ無限の天才」とも称された
インドの数学者「ラマヌジャン」と、
彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した作品。
文系のはずの私が、こんな解説に惹かれ、観始めた。
学生時代、数学の数式ほど頭を悩めたものはない。
それなのにここに登場する人々は、
「正しくみれば、数学は真理だけでなく、究極の美を併せ持つ」
数式を眺めて美しいと表現しているし、
「これ(公式)は何なの?」と訊かれれば
「絵のようなものだよ。見えない色で描かれていると想像して」と
サラッと答える。
「モーツァルトが脳内で全交響楽を聴いたように」と前置きをして
「君は数学と無限に踊る」とも・・。
「どこから着想を得るか?」の問いには「女神です」と返答し驚かす。
「眠る時や、祈る時、舌の上に、数式を置いていく」らしい。
「公式は創るものではなく、既に存在し・・ラマヌジャンのような
類い稀な知性が、発見し、証明するのを待っている」など、
一つひとつの表現が数学(公式)の話なのに、文学的で興味を惹いた。
でもやっぱり、記号がいっぱい書き込まれている「公式」を眺めて、
「(一緒に)踊る」という表現は、私には無理だなぁ。
面白かったです。
植民地であったインドからイギリスへ。色々苦悩や苦難にぶち当たりながらも、なんとか前に進めた主人公。その主人公を支え、共に研究した2人の数学者。1つの共通点から親しくなり、周囲を納得させていく。感動します。
既にあるが、形にできないもの。公式が今どのくらいあるのか知りませんが、成立してないもの,概念すらないものはいくつあるのでしょうね。
直感、啓示からなる数学者。
数学者の話は面白い
数学者の話は面白かったなあ。
「博士と彼女のセオリー」は、素敵なラブロマンス、「イミテーションゲーム」は、数学にかける青春 X 悲劇だったが、この「奇蹟がくれた数式」は、数学者どおしの友情。SF映画、青春映画に続いて、基本的に満足できる映画群「科学者ドキュメンタリー」ができた。
ラマヌジャンもハーディーも魅力的な科学者だった。
奥さんやった女優は可愛いかった。
インドの奥様って可愛い!
『奇蹟がくれた数式(2015)』
原題:THE MAN WHO KNEW INFINITY
(あらすじ)
1914年。ケンブリッジ大学で数学を教えるハーディ(ジェレミー・アイアンズ)の元に、インドから手紙が届く。
手紙の主はラマヌジャン(デヴ・パテル)。手紙に記されていたのは、無限に続く和の形で表される数式="無限級数"(永遠に続く和=1+2+3+4+……)に関することで、オイラーの「ゼーダ関数」と同じ答えを、独学でオリジナルの美しい方程式で導き出していました。
ハーディはラマヌジャンをケンブリッジに呼び寄せ、共同研究を始める。が、そこには宗教、人種などといった壁が立ちはだかる。
※新年初映画でした。実話でございます。
またまた私語りになるのですが、数学が苦手でしたー。
あ、苦手っていうレベルでないことは、高校の時に受けた模擬試験のコメントから窺われます。
「貴女は数学的な物の考え方ができません」
数学的な考え方?
私はこの映画を観るまで、「数学的な考え方?意味わかんねー」と、釈然としない思いで30年近く生きてきました。
数学的に物を考える。ってどういうことですか?
試験勉強は数学しかしないのに、赤点ギリギリとか、1回は0点だった時もあります。
不思議なことに、「答えは全て合っているが、そこに辿り着く方法が間違っている。教えた方法と違う」と言われ、0点でした。
数学って、答えが重要じゃないの?
プロセスが重要なの?
おら、わかんね。おら、わかんね。
このわかんね状態で、35歳で金融業界に転職して、都市銀(住宅ローン)→保険会社(資産運用商品)に行く過程で、数式は数式でも、お金に関わる数式なら、すっと頭に入ってくるタイプの人間だって気付いたんです。
このラマヌジャンは、アインシュタインに匹敵するほどの天才と言われているんですね。
恥ずかしながら、この映画を観るまで存じ上げませんでした。
ラマヌジャンは独学だったため、生み出した方程式は「思いつき(直感)」によるものです。
後になって、その直感のことを"女神の導き"と表現しています。
なので、その方程式が正しいかどうが、証明するという概念がないんですね。
あのー、直感で方程式が現れるってどういうことでしょう?
ラマヌジャン曰く「方程式を書く」=絵を描くのと同じ。数学は芸術だ!
そうなんです!数学的な物の考え方なんつーのは、ない!
なので、ハーディから「正しいことが証明できないと、この方程式は方程式ですらない!」と言われ、最初は凄く反発するんです。
あ、これが数学的な物の考え方か!と、ちょっと納得しました。
つまりラマヌジャンの直感は神がくれた物なので、それを否定するのは神を否定すること。
って、なるんです。
無神論者でコミュ障のハーディとラマヌジャンは、なかなか上手くいきません。
その内、ラマヌジャンの体に異変が……。
ハーディはコミュ障なので、相手が具合が悪いとか、なかなか気付かない。
当時のケンブリッジですから、そうとう差別があったのではないかと想像します。
本作でも教授から、あからさまな差別を受けるシーンがあります。
ストーリー自体は王道でよくある伝記物ですが、ラマヌジャン役のデヴ・パテルの必死の眼差しとか、こんな偏屈な役をやらせたら右に出る者がいないジェレミー・アイアンズのコンビが妙に良くて、新年から号泣してしまいました。
カーストの低い身分に生まれたラマヌジャンは、30歳くらいでハーディに見出されます。でも、もっと早い段階で専門的な勉強を初めていたら、どんな発見をしていたのだろう?と思いました。
私は無神論者ですけれども、もし神様がいるなら、全ての子供の傍に、その子の才能を発見する大人を配置してくれないだろうか?といつも思います。
私もそんな役目を背負っている大人の1人であるということを、忘れないようにしないといけないなーと思いました。
しかし、いつもの邦題問題。やすっぽい感動系のタイトルにしないで!
原題:THE MAN WHO KNEW INFINITY
INFINITY=∞
∞を知る男。でしょうか。
ラマヌジャンの功績の中で有名なのが"擬テータ関数"らしいのですが、そこから来たタイトルでしょうか。
この擬テータ関数が理解されたのは、2005年。
天才に時代が追いつくまで、100年近くかかったわけです。
この擬テータ関数は、ブラックホールや、インターネット網の研究に使われているらしいです。
ああ、新年からええ映画観ました!
PS マダム・イン・ニューヨークで思ったんですが、インドの奥様たちって可愛いですよね!
分数
実在した天才を描いた映画って本当ハズレがない。
分数の計算すら怪しい数学アレルギーな僕でも、小難しい数式などは敢えて出てこないので楽しめた。
ひたすら、粛々とラマヌジャンと共同研究者の教授の奮闘を描いており、盛り上がりは少ないがかなり質の高い映画。
数学出きるようになりたい。
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いまでは「アインシュタインと並ぶ天才」と称えられている夭逝の数学者...
いまでは「アインシュタインと並ぶ天才」と称えられている夭逝の数学者ラマヌジャン(デヴ・パテル)と名門ケンブリッジ大学で教授を務める数学者ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)との出会いと、インド出身の若者が数学者として認められるまの過程が描かれいるヒューマンドラマ。
当時インドはイギリスの植民地で相当な決断で海を渡ったんですね。
学歴もなく身分の低いインド青年の孤独。
彼の直感を証明として残さなければならない事を理解して貰いたいハーディの闘い。
2人が言葉の壁、文化の壁を乗り越えて証明できたものは数式だけではなく、2人の間に生まれた絆もだったのでは。
デヴ・パテルは「スラムドッグ$ミリオネア」でも天才ぶりを発揮。ジェレミー・アイアンズは最近観た「ある天文学者の恋文」で天文学者を演じてましたが、同じ大学教授役でも数学者と天文学者、人間性が全く違くてそこも楽しめました。2人を見守るリトルウッド(トビー・ジョーンズ)もいい存在感でした。
差別キツイです... よそ者はいつの時代も 肩身が狭い... 見て...
差別キツイです...
よそ者はいつの時代も
肩身が狭い...
見ててツライです。
どこにも相談出来ず
結果...
病に倒れちゃったのは
悲しかったな
数学者達に受け入れられて
1年でも妻の所に戻れたのが
救いかな
数学がわかれば
タクシーナンバーも
意味のある数字に変わり
楽しめたりするのね(笑)
絆の糸を歪に結ぶ数学者たち
天才的な感性で数学の公式を見つけられてしまうインド系の青年と、イギリスの数学者との歪な友情と、二人の功績の物語だ。時代が時代だけに、インド系のエリートでも何でもない青年が突如スポットライトを浴びるのを批判的に見る人もいる。また同時に青年には公式をひらめきこそするものの、それを証明するという感覚がなく、数学会においては正式に認定できるものではないという頼りなさもある。天才型の青年と、学術的な思考の理論的な数学者という組み合わせが、衝突しつつも友情に似た絆を築き上げていく様にドラマを感じる作品だった。
かと言って二人の友情に湿っぽい馴れ合いっぽい要素はない。むしろ人間関係や対人関係が得意ではない者同士が、まったく噛み合わない動作を繰り返しながら、綺麗に絆を結ぶことが出来ないがために、かえって縁の糸が不格好に固結びされていくような不思議な友情の形成のされ方で、中盤まではまさか友情の物語だなんて気づかないかもしれないほどだった。
もちろん、移民である青年が数学のエリート世界で目を出す物語としての快感もあるし、それに伴う苦しみもきちんと描かれていて良い。実話であるが故に逃れられなかった「病」という展開にはいくらか違和感を覚えたが、(繰り返しだが)実話であるが故仕方がないのだろう。
もはや、インド系の好青年役はほぼ専売特許になっているデーヴ・パテールの演技は安心して見ていられる温かみがあって好きだ。「マリーゴールドホテル」のようなコメディもできるし、こういったドラマ作品でずしっとした演技もできる。それでいて爽やかで愛嬌があって素敵だ。対するジェレミー・アイアンもさすがの貫禄で余裕の懐を魅せる。数学のことに詳しくなくてもきちんと楽しめるようになっているし、実録ものの歴史的な文化作品としても、感動的な友情と絆の物語としても十分楽しめる良作だった。
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