禁じられた歌声のレビュー・感想・評価
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回教徒(イスラム教)とマリ共和国のみを批判している。
それぞれのキャラクターの設定が中途半端。
ストーリーの流れがいくつがあるが、それぞれその結果どう成ったのかが分からない。
先ずはどうして争っているのかが理解できない。殺された男と殺した男は、明らかに人種(アラブ系-ベルベル人、と黒人)が違うが、殺した側の人種(アラブ系)が裁くが、人種的な配慮はないのだろうか?人種や民族としての対立は全く無視して、回教徒(イスラム教)とマリ共和国のみを批判している。マリは軍事国家までにはなっていないと思うが。きちんとした司法組織もあるし、日本にマリの大使館もある。
なお、監督は隣のモーリタニア回教共和国出身である。日本との貿易は盛んで、マリよりは裕福だろうと思われる。日本にならぶ『タコ』はモーリタニア産と思っても良い。
また、モーリタニアの人種は明らかにアラブ系だ。つまり、ほぼセム系の白人。
そして、国の宗教もモーリタニア回教共和国と言い、100%イスラム教。まさか、マリを代用して、自国を批判しているのだろうか?まさかね。イデオロギーはたぶん社会主義。
全ての思惑は兎も角、後味が悪過ぎる。
理不尽への抵抗
舞台はマリ共和国のティンブクトゥ。
サハラ砂漠があること
イスラム圏の国であること 以外のことは
恥ずかしながらほとんどわからない。
だけど、人は人の子だ。
理不尽さに対して
静かに抵抗をすること
現実にははかりしれない恐怖だろうし
恐怖は生きる意志をを削ぐだろう
だけど この映画からは
恐怖よりも 強さを感じられる
悲しみから得られる 静かな強さだ
いま僕たちに
理不尽さへの抵抗がどれくらいできるだろうか
泣いて泣いて泣きやんだら 歌を歌おう
たとえ現実は変わらなかったとしても
それがジハードなんだと思う
世界の悲しみの手触りを知る映画。
美しい砂の街が、過激派武装勢力に制圧され、これまでの生活を削り取られる地元の人達のお話です。
マリという国を全然知りませんが、置いてけぼりにはなりません。イスラムの教えに少し明るいとついて行きやすいでしょう。
エンターテイメントとしての洗練からは、かけ離れていますが、アフリカのある場所での現実を知る寓話として、価値があると思いました。
唐突に、首から下を埋められた男女が石をぶつけられて殺されるシーンがあります。逮捕されたシーンがわからなかったので何の罪かがわからなかったですが、あれは恋愛をしたからみたいです。
親が決めて認めた結婚以外の男女関係は罰せられる対象なんだとか。
他にも武装勢力の男(訛った英語話者)が、美しい現地の娘を見初めたので、その娘の親に結婚を申し込むも、武装勢力故に親が拒否します。そうすると、武装勢力の上司が許可して無理やり花嫁を与えたという結果になりました。
つまり、見初められた美しい娘は無理やりごうかんされ、事実上の妻にされたってことでする。
他にも音楽を禁じられたが、隠れて家で歌っていたグループが武装勢力に逮捕され、鞭打ちの刑を受けるなんてシーンもあります。
その歌は多分アッラーと故郷を称える歌なんですよ。
同胞へのこの理不尽な仕打ちってなんなの?という怒りがわきました。異教徒ではない、伝統的な生活を静かに営んでいるだけなのに。
人型の土偶のようなものを破壊するのは(すべきでないとおもうけど)偶像崇拝の禁止という教義上わからなくもない。けどさ。信仰の深度って強制するものではないでしょう?それを強制するのは、自らを侵略者にしてしまうことではないのかな?あなた方は侵略者にはならないはずでは?そのような怒りを持って見つめました。
主人公家族の受難は、お父さん(すげー美形。かっこよかった)の手落ちでもあるので、あれですが、お母さんと可愛い娘には災難です。でも、お父さんの処刑前に家族に会いたいってゆう希望くらい叶えてやんなよとも。それよりあの電源のなさそうな地域で携帯電話って。どこで充電?電波はいるん?という余計なお世話なことがいろいろ気になりました。砂漠での家族の暮らしは幸せそのものだったのにね。美しい音楽と砂漠の模様が素敵でした。
ボールなしでやるサッカーが表す戦いの意志には胸が熱くなり、禁じた過激派がサッカーの話や喫煙に興じる矛盾にモヤモヤしました。過激派もやりたくてやってる感じでもなく、どうしようもなく身を置いていたりもするのかもなあと思いました。
この映画を見たことで、想像の及ばなかった事柄にわずかでも輪郭が与えられたことが、よかったと思います。
誰にとっての正しさなのか
イスラム教が、豚を不浄とするのは、肉がいたみやすいからだそうです。人が、暮らすには、過酷すぎる砂漠で、生き抜く知恵だったそうです。それは、正しいことなのでしょう。ただ、その正しさを、隣人に強要することは?。作中の牛飼いと、漁師、正しいのは、どちら?。禁じられたタバコを、こっそり吸って、戒律を説く人の心境は?。ジハード(聖戦)と、十字軍、正しいのは?。答えは、遠く霞む砂塵の彼方なのか?、ご見物(観客のことです)の胸の内なのか?。ムスリムでない私に、解るはずも、ありません。ただ世界中に、この戒律と共に生きている人が、大勢いること、戒律の中に、赦しの大切さが含まれていることを、知ることで解る何かが、あるように思います。気になったセリフ、「あなたのジハードと、私のジハードは、違う。」正しさを主張することと、正しさを他人に強要することを、履き違えないように、したいものですね。
武装集団は村を静かに支配弾圧蹂躙していく
舞台であるイスラム教の村は砂漠の中に、ぽつねんと存在している。
ひとびとの暮らしは穏やかで、ときに神を讃える歌を歌い、こどもたちはサッカーに興じたりもしている。
しかし、イスラム系武装集団が村を支配してからは、その暮らしぶりは変貌した。
外出する女性たちには髪のみならず、手や足首まで覆えと命令し、それは魚売りの娘にまで及んだりする。
神を讃える歌であっても歌うことは禁じられ、冒した者は地中に埋められて、礫を投げられ罰を与えられたりする。
さらに、武装集団の若い男は、夜陰に乗じて娘を犯すが、集団の長はイスラムの教えに則った正式な結婚だと主張する・・・というハナシ。
巻頭と巻末に、村の導師が、武装集団の長に対して、集団の支配のやり方がコーランの教えに則っているのかを詰問するシーンがあり、なかなか興味深い。
彼ら武装集団のやり方は、コーランの教えを都合よく曲解して、ひとびとを弾圧しているということだ。
導師の話す言葉の端々から、コーランの教えは、もっと優しく、価値観の異なる隣人を理化して、相手のために行為をなせ、といっていることがわかる。
ならばキリスト教と、さほど変わらない。
さて、映画はというと、先に挙げたそれぞれのエピソードが並行して描かれており、どちらかというと散文的な印象を受けました。
現実を見つめるという姿勢、弾圧・蹂躙が静かにひたひたと迫ってくるというのは評価できるが、村の導師なり、ひとりの少女なり(ポスターに描かれた少女)なりの一環した視点があると、もっと集中できたかもしれません。
ドラクロワの画のような
宣伝用のスチールにも用いられているショットをはじめ、人物が団らんや音楽でくつろいでいる場面の画は、フランス・ロマン派の画家ドラクロワの作品を思い起こさせる。ドラクロワが北アフリカを旅して得たものをを題材にした作品の構図や色彩などを感じさせる。
父親が横たわり、足元の娘と話をするショットとドラクロワ「サルナダパールの死」の構図はあまりにも似通っている。視覚的なことだけではなく、被写体が死を待つ身である物語も共通する。
つまり、この映画の根底にあるものは、ドラクロワが北アフリカを観る目と同じく、オリエンタリズムに満ちた視線なのだ。ここには西洋人から見たアフリカのイスラム社会が映し出されている。
しかも、制作している当事者はこれを意識的に行っているのではないか。
こうした視点をあえて強調することで、かの地で起きていることへの我々の視線が、相対的で一面的なものに過ぎないことを、われわれ自身に突き付けてくる。
メディアを通して我々が受け取るイスラムやアフリカ世界へのイメージ。そこで起きていることを知る私たちが、そのイメージを増幅強化することしかできず、被害者と加害者という関係でしか解釈することができない事実。
牛をめぐって起きる殺人事件、ボールのないサッカー、歌いながら鞭打ちの刑を受ける女。これらへ本当の意味での共感が湧いてこない限り、我々は彼らのことを自分たちのことのように理解するのは難しい。
今年(2015)最後の作品に巡り会って
イスラム過激派におけるイスラム教徒への拷問。 何か良いことがあっても、悪いことがあっても、神が、 神がというイスラム教の信者のアラーへの崇拝が 私には、理解出来ない。
ごめんなさい…わかりません
不条理がまかり通る政治って
戦時下の日本みたいなもんかな…と
想像力を働かせてはみたものの
やはり宗教と文化の違いの壁は
乗り越えることはできなかった~
勉強不足は認めます。
でもこのストーリー
盛り上がりに欠けません?
分かりづらい
流れる音楽はいいけれども、特に音楽を焦点にしたストーリーでもないわけで、内容が分かってしまうと、この日本語タイトルの恥ずかしさはどうなんだろう?と疑問に思うと同時に、まんまとそれにひっかかって見てしまった自分の未熟さを憂う。
イスラム過激派組織は理不尽だと言うことしか主張していない映画だった。それも一方的。対立も比較検証も何もなし。説明不足の暴力表現や理不尽の表現というものは如何なものか…
とにかく説明があまりに足らなすぎる。しかもストーリーテリングが非常によろしくなく、時系列がよくわからない。
この映画は、明らかに物語性を持たせているわけで、そういった面で、このストーリーテリングのまずさは致命的に感じてしまう。
弱者が抑圧されている映像だけではそれほど感情は揺さぶられない。もっとバックグラウンドを感じさせてくれないと、感情移入なんてできない。
子供の将来を憂いながら、その子供がとってつけたような存在にしか感じられなかった。そう思われる時点で、この映画の価値は半分以下なんだろう。
これを見せられたところで平和なんてとても望めない。単に憎しみや対立が生まれるだけ。
何がジハードだ
背景はジハードと言う言い訳の信仰の押し付けだけど、牛飼いと漁師の遺恨がきっかけの悲しい話しで争いの縮図と言うイメージ。
主人公家族の女の子が可愛らしく、のどかさと緊迫感が良く現されていたけど…字幕の付かないセリフが多いことによるモヤモヤとまったり感で眠くなる。
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