「取り戻したのは、単なる「宝物」ではなかったのです。」黄金のアデーレ 名画の帰還 お水汲み当番さんの映画レビュー(感想・評価)
取り戻したのは、単なる「宝物」ではなかったのです。
名画として美術館で私が鑑賞してきたすべてに、私の決して知ることができない作者自身の個人的な思いがあったはずです。
また、すべての肖像画には、描かれた側の思いも同時に存在し、その親族たちにも思いがあったはずです。
美術品は、私たち第三者である観衆や、あるいはナチスや美術品泥棒にとっては「品物」なのかも知れません。
しかし、美術品の誕生に居合わせた者たちにとっては、単に金額でのみ計りうる宝物なのではないのですね。
製作者や関係者には、いくつもの思い出が、甘く、苦く、いまいましく何重にも絡みつく、だからこそ宝物なのです。
ナチスによってユダヤ人一家から奪われたクリムト作の「黄金のアデーレ」は、10年前に156億円という巨額でアメリカのギャラリーが購入したのですが、そのエピソードを「取り戻した側」から描きつつも、取り戻したのが単なる金ではなく、心と追憶を取り戻すことであったと解題してみせるのが、この映画が一級品の宝物であるゆえんでしょう。
なお、映画は最後に「タイタニック」の最後のエピソードと同じ手法で泣かせに入ります。
もちろん、この手法が成立するのは、「心そのもの」を主人公に立てたストーリーだったから。
……と分かっていても、これをやられると、私はとても弱いんです。
涙腺の弱い皆さん、念の為、ハンカチのご用意をお忘れなく。
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