「人の死は新聞の切り抜きでも争いの道具でも無い」64 ロクヨン 前編 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
人の死は新聞の切り抜きでも争いの道具でも無い
昭和天皇崩御により、たった七日間で終わりを迎えた昭和64年。
その七日間に起きた未解決の少女誘拐殺害事件・通称“64(ロクヨン)”。
当時の捜査員で、現在は広報部に身を置く警察官・三上を中心に、
“ロクヨン”事件に翻弄される人々、そして事件を巡る警察内部の闘争などを描くサスペンス大作。
原作未読だが、NHKドラマ版は鑑賞していたので大筋は把握済み。
おまけに前後編で公開される大作映画の前編に当たるということで
「筋も知ってて長尺だと途中退屈するかも」なんて思っていたが……
杞憂も杞憂でした。
重厚でありながらも鈍重にはならず全く中弛み無し。
濃密な人間ドラマとサスペンスによって、最後の最後まで
スクリーンに釘付けにされる、見応え十分な作品だった。
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若手からベテランまで超豪華なキャストが揃った本作だが、皆、堅実で良い演技を見せている。
娘と夫を想う夏川結衣の健気な笑い顔、滝藤賢一の振り切った外道っぷり、
永瀬正敏の燃え尽きたような目、瑛太の蔑みきった目、上司を想う綾野剛の根性、
お飾りにはならないという榮倉奈々の決意、日の光を浴びる窪田正孝の慟哭、
印象的な演技はいくつもあった。しかしながら、
主演を務める佐藤浩市はさすがの存在感・安定感。
終始自分を押し殺すような重い表情が崩れる瞬間が素晴らしい。
被害者宅の仏間で思いがけず狼狽える場面や酔いながら心情を吐露する場面ではこちらまで
泣きそうになってしまったし、終盤である決意を固めてからの僅かに和らいだ表情も見事!
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「雨宮さんはまだ、昭和64年のあのたった七日間に取り残されている」
あの印象的な台詞。
永瀬正敏演じる雨宮、佐藤浩市演じる三上をはじめ、数多くの人物が
“64(ロクヨン)”事件が起きた昭和64年1月から抜け出せないままでいる。
たったひとつの事件、たったひとりの死。
世間がいつか忘れてしまっても、事件に関わった者達は決して忘れられない。
そのたったひとりを救えなかった、自分のせいで救えなかったという後悔が、
事件に関わった多くの人間に長い永い責め苦を強いている。
その一方で繰り広げられる醜い闘争劇。
組織の目的に利用され、そして個々人の職務や保身の意識に翻弄され、
蔑(ないがし)ろにされてしまう被害者たち・加害者たちの人間像。
1人の人間が死んでしまう、消えてしまうということの重みを、誰も彼もが忘れてしまってはいないか。
人の死は権力争いの道具でもなければ新聞の切り抜きでもない。
それを忘れてしまってはいないか。
終盤、記者たちの前に、刑事としてではなく1人の人間として立つ三上。
彼は「手前が可愛いだけ」だった自分を悔い、「他人のことを自分のことのように
考える人だった」という、かつての誇り高い自分を取り戻そうとしている。
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後編、
三上は更に複雑化する刑務部と警察部の権力争い、そして記者クラブの猛攻撃に板挟みとなるが、
果たして彼は取り戻しかけた自分の道を守り通すことができるのか。
そして未だ残る数多くの謎。
上層部がひた隠しにする“幸田メモ”とは?
再び発生した誘拐事件と“ロクヨン”事件との繋がりは?
そして、全ての根幹である“ロクヨン”事件の犯人は明らかになるのか?
NHK版で結末を知っている身からすれば、実はすでに数多くの伏線が散りばめられている。
ぐああ、もし記憶を消せるのなら、真相に関する記憶を消してもらいたい。
結末を観て鳥肌が総毛立ったサスペンスドラマは久々だったから。
まだ前編なので最終的な評価はお預けだが、今のところ、判定4.0~5.0で揺れている。
監督の前作の出来がだいぶ不味かっただけに若干不安視していたのだが(失礼)、なんのなんの、
サスペンスとしても人間ドラマとしてもガッシリとした見応えで、ものすごく面白かった。
やあ、今から後編が待ちきれない。
<2016.05.07鑑賞>