キャロルのレビュー・感想・評価
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ここで終わっちゃうの!?
ケイト・プランシェットもルーニー・マーラーも好きで観に行きました。
見終わった瞬間はえっ!って感じでしたが、個人的にはキャロルがテレーズに送った手紙に望みを見いだしたいと思いました。
キャロルの表情が謎過ぎて…
パトリシア・ハイスミス原作ならば、、
昨年の春に観た「The Two Faces of January(ギリシャに消えた嘘」のほうが3倍ぐらい面白かったな。。。個人的には。
もちろん、とても美しい映画でした。1950年代のNY、ストーリー展開、音楽、そしてキャロルとテレーズ。Cate Blanchettはこういう高貴な役が本当に似合う。クラシカルなファッションも素敵でした。
美しい恋愛。これからどうなるんですか?
ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが観れるだけで幸せですが、わざわざスーパー16で撮っているそうで、ミッドセンチュリーのファッションや風景の再現が念入りで不思議な世界になってます。ストーリーの要はケイト・ブランシェットの静かな口調で語られる『わがまま』さだと思います。結婚して子どももいるのに女が好きとは、なかなかふてぶてしいオバサンですよ。そこでルーニー・マーラもなんとなく惹き付けられちゃって、最後には純愛に目覚めた?ということのようですが、現実と理想に常に悩まされる場面の連続の結末は、二人の愛以外ないような感じでした。これがケイト・ブランシェットだから上品に、エレガントに、ファッショナブルに表現されてしまうところが映画なんですよね~( ̄▽ ̄;)ちょっと原作見てみたい気になってます。
ルーニー・マーラに目が釘付け
ケイト・ブランシェットがアカデミー主演女優賞、ルーニー・マーラが助演女優賞にノミネートされており、世代やタイプが違うけど、どっちが良いと言えないくらい二人とも良かった。が、引き込まれるのはキョトンとした顔の女学生然としたルーニー・マーラだったな。彼女の顔立ちの方が日本人好みである可能性はあるが。助演になっているけど登場時間は彼女の方が長いらしい。
道ならぬ恋を描いた映画は珍しくもなんともないし、同性愛をハードルとして設定するには今のご時世では少し弱いくらいだが、舞台が1952年ということを考えるとセンセーショナルではある。その当時を描いた画面も、美しさと豊かさに爽快感すらあった。ラストも良かったな~。英語も妙に聞き取りやすい、見やすい映画だった。
高評価。 満席。 がしかし、私は言葉少ないストーリーをうまく理解出...
高評価。
満席。
がしかし、私は言葉少ないストーリーをうまく理解出来ずに観ていました。
女性同士が好きになったけど、うまく世間に認められずにいる…
美術館で絵画を観て、何かを創造する感覚なのでしょうか…
わたしは苦手な部類でした。
「キャロル」に込められた真実
1950年代。今よりもまして、LGBTの人たちへの風当たりは強かった。それは罪であり、精神疾患として病人扱いもされた。少し前の「チョコレート・ドーナッツ」の中でさえ、経済的にも社会的にも問題がない人間が、ゲイであるというだけで、司法での立場は弱かった。50年代ならなおさらだろうと思う。
旦那から見れば、キャロルはなんて身勝手な女なんだと思うのだろう。だけど、一度、キャロル本人の感情に寄り添うテレーズの気持ちになりかわってしまうと、途端にその燃えるような恋心に捕らわれてしまう。
テレーズ・べリベットというその名前。勝手ながら、そこから連想する名前、言葉は、聖女テレサと柔らかな手触りのベルベット。キャロルからすれば、テレーズはまさにそんな女性に見えたのじゃないかな。
キャロルは、天使のようなテレーズを愛した。例えばベッドシーンの前後で、キャロルの指輪を目立つようにカメラが抜くのだが、指輪をはめているショットと外しているショットで、キャロルの心情を上手く伝えてくれる演出もみごと。
とにかく、映像も美術も音楽も台詞も主演の二人も美しい。
そしてラスト。ハッピーでもなく悲劇でもなく、つづいていくことを暗示させる場面が、僕の心をざわざわと波立たせてくる。
だからたぶん僕は、この映画を忘れてしまったとしても、しばらくたってどこかでこのノスタルジックな劇中曲をもし耳にしたら、記憶がよみがえったせつなに、昔の恋を思い出した時のように頬を涙が伝うかも知れない。
この映画の原作を書いたのは、「太陽がいっぱい」などで有名なパトリシア・ハイスミス。当時、同性愛が罪であった時代に、名前を隠して書いたものらしい。
この小説の背景でなにより衝撃なのは、この物語のほとんどの部分が、パトリシア自身の体験した事実であったということ。一晩で書き上げたという。つまり、テレーズは、パトリシア本人。彼女の若かりし日の画像をみると、これがまた綺麗な方なのだ。
それを知ると、「キャロル」というタイトルに込められた思いが、かつての恋人への恋文のように思えてきてたまらなくなった。
「なんて美しいの」
眼福。スクリーンに映るすべてが美しい。16mmフィルムでの撮影(粒子が粗く画面が淡い)により50年代の風合いが再現されている。もちろん衣装や小道具も細部まで気が配られていることと思う。プロの仕事はこうありたい。本作は「昔っぽい」が故に古びることのない永遠の命を得たな
ファーストカットは地下鉄の通気口のアップでそこからパンしていく。のっけからただならぬものを感じさせられるけど俺はここで『ゾンビ』のファーストカットを思い出した。壁のアップからパンしていくあの。どちらも「今から始まるのは芸術映画なんだよ」という宣言なんだろうか?
スクリーンに映るすべてが美しいって書いたけど1番はルーニー・マーラのおっぱい。ケイト・ブランシェットはあくまで台詞として「なんて美しいの」と漏らすがそれは奇しくも俺の率直な感想と同じものだった…
社会的正しさに従うだけでは自分の存在意義が無くなるというメッセージも素晴らしいな。ラストの彼女達の選択にネルソン・マンデラの「私が我が運命の支配者。私が我が魂の指揮官なのだ」を思い出した。ほんでまたラストは素晴らしい余韻が残るんだなあこれが
俺もルーニー・マーラのおっぱい揉みたいなあ
違和感
皆さん、絶賛のこの作品。
だが、僕には違和感が残った。
なぜか?
ケイト・ブランシェット演じるところのキャロルがあまりに一方的だからだ。ルーニー・マーラーには違和感は感じられなかったのだが。
①夫の描き方がむごい。そうだと思わない?
クリスマスの時はいつもひとり、夫は仕事ばかりだった。
そういうことが重なり、許せなくなったのだろう。
しかし、夫は自分なりに反省し、妻に会いにいった。
でも、愛がなくなったキャロルにはついていく選択はなかった。
夫がいかにも悪人もしくは敵役として一方的だと思った。
②こどもは聖域においた描き方。
キャロルはこどもに大しては手放しに愛している。
それじゃあ、こどもとテレーズだったら、どっちをとる?
究極的にはその選択を求められるはずだ。
③セレブにして身勝手な人、キャロル
豪華な毛皮のコート、見もしないで買ってしまうクリスマスプレゼント、テレーズへの贈り物は高価なカメラ。
そして夫と別れたあとはバイヤーになって、高給取り?
あまりにも恵まれていないか。50年代にはこんな階級社会があったのだろうか。
と、まあ、文句をつけすぎたかもしれない。
でも、ケイト・ブランシェットにはあっている役だろう。
テレーズ演じるルーニー・マーラーはあくまで受け身の立場で、翻弄されてしまう役をうまくピュアに演じたと思う。
この映画の10年後はどうなっているだろうと想像する。
ふたりは幸せに暮らしているだろうか。
話二の次の映像美
正直、同性愛の気持ちとか全く理解できないけれど、心を動かされました、激しく。
この映画が表現したかったことがよくわかったし、しかも全てにわたって完璧だったという印象。映像も音も音楽も衣装も時代背景も、そのた全てやりきった感。
ストーリーに嫌悪感を持たれてしまう危険をはらんでいるけれど、敢えてこのテーマを扱ったことにも納得。
トッド・ヘインズの技量もさることながら、主演の2人が素晴らしすぎる。表情、仕草でその内なるこことの全てを表現しきっているように感じた。
もう一度見たいと思わせてくれた、素晴らしい映画。
恋愛映画だったんだ…
ケイトブランシェットとルーニーマーラーの顔合わせ見たさだったんだけど女性同士の恋愛作品でした。文芸作と勘違いしちゃった…。
自分に正直に生きる決断をくだす道と、ラストの幸福感タップリな映像がなんとも叙情的。ひたすら悩んで悩まれて、押して引いてなお話は男女と一緒。が、男同士だと絵面的には美しくならないだろうけどこの作品は最後まで綺麗です。
男前
女性向な映画かなと思いつつ、ケイト・ブランシェットの大ファンなので映画館で鑑賞しました。
ケイト・ブランシェット、男前です。
ケイト・ブランシェットに負けないルーニー・マーラの演技も凄いです。
彼女らの目の演技にアカデミー賞ダブルノミネートの理由を理解しました。
ひとつの芸術作品だと思う
冒頭の言葉のないシーン
音楽、絵、カメラワーク(震え)、表情、目線
セリフ以外のすべてによって醸し出される
雰囲気が
何よりも形容し難い言葉を語る
ストーリーもシンプルで統率されているが
なにより、
名画をみているようであり
クラシックをきいているようであり
芸術作品として鑑賞できる類いであると思う
綺麗という言葉が合う素敵な映画
タイトルに、テレーズも加えてあげてよ
1950年代、米国ニューヨーク、時はクリスマスシーズン。
デパートのオモチャ売場の店員をしているテレーズ(ルーニー・マーラ)の前に、裕福な婦人のキャロル(ケイト・ブランシェット)が現われる。
幼い娘へのプレゼントとして人気の人形を所望したのだが売り切れで、別の商品を購入することにした。
その際、キャロルは高価そうな手袋を忘れ、テレーズはその忘れ物を商品の配達に同梱して届けた。
それが、はじまりだった・・・というハナシ。
まだ同性愛について理解のなかった50年代のこと、さぞや周囲のバッシングはヒドかったのだろう、そんな中で許されない愛を貫こうとするなんて、なんという困難だろう・・・
と、かってに観る前に思い描いていました。
ありゃりゃ、そんなところは全然描かれない。
まぁ、キャロルの離婚話に絡んで娘の親権を争う段になって「不道徳理由」と指摘されるのだから、全然というのは語弊はあるかもしれない。
でも、同性愛ということを横に置けば、不倫をしているのだから「不適切理由」には相当するんじゃないかしらん、なんて思うわけ。
どうしてこんな連想がでたのかとツラツラ考えると、どうも、ケイト・ブランシェット演じるキャロルが、お金持ちで脂ぎった中年オヤジにみえていたのだろう。
個人的な嗜好で申し訳ないが、ケイト・ブランシェットの金ぴかゴージャス感や押し出しの強さが、苦手なのです。
こういう連想が働くと、もう、いけない。
ルーニー・マーラ演じる小柄なテレーズが、中年オヤジの毒牙にかかった無辜な娘にみえて、ああ、なんでこんなオヤジに引っかかっちゃうんだぁ、なんて思っちゃう。
実際は、そんなことなく、テレーズも、これが「絶対の恋愛」と思って行動しているんだけど。
というわけで、鑑賞中、非常に居心地が悪かったです。
50年代の再現、バックに流れる音楽など、見どころは多いのですが、どうも個人的には受け付けなかったです。
解放の物語
平凡なよくあるメロドラマであり、1度の人生では体験出来ないであろうドラマチックさ。
誰もが憧れる美しい恋愛であり、誰もが望まない心がちぎれる悲しさ。
同性愛者にしか分からないであろう部分もあったりして、でも誰もが共感できる恋愛物語であったりして。
なんだか両極が綺麗に纏まっていて、何度でも観たくなる中毒性があるなと感じました。
同性愛を扱った映画ってハッピーエンドもバッドエンドも、これは同性愛を扱った映画です!!!という主張を感じるのですが、この映画はそういう押し付けがましさがなく非常に観やすいと思います。
誰もがひとりの人間として、依存せずに、こころのままに生きること。改めて大切だと感じました。
最後に、わたしはレズビアンなのですが、ああ今すぐ恋人を抱きたい!ってなりました。まじオススメ。
危うい美しさ
思わずため息がこぼれる場面も…
美しいです!カメラのファインダー越し、曇った窓ガラス越し…はっきりしないような映像からの視線。それが、そこにいるのに触れられない危うい関係を表してるようで視線の先に釘づけになりました。
強く触れたら消えてなくなってしまいそうな2人の関係…ケイト・ブランシェットが、どこか儚げで、それでいて強さも感じられるキャロルを見事に演じてます。ルーニー・マーラも切ない心の葛藤を、それは見事に演じてます。
ラスト、身体中に電流が走り抜けたような鳥肌がたちました。
全194件中、161~180件目を表示