キャロルのレビュー・感想・評価
全194件中、101~120件目を表示
たばこ
ブロークバックマウンテン然りだけど、どうも同性愛ものには涙腺を刺激される。
この映画の二人もそうだけど、特に後天的な同性愛というのは互いの心の隙間を埋めるための承認欲求から来るものが非常に大きいと思う。
それってやっぱり人間にとって一番核となる感情だと思うし、自分にとっても身につまされる部分がある。
ラストシーンの語らなくても今までの感情すべてを思い起こさせる微笑みには本当に泣かされた。
ただし、この映画には難点があって、それは悲愛の切なさを描くにはあまりにも二人も風景もストーリーも美しすぎたということ。
特にルーニー・マーラがあまりに美しくて、ただただ見惚れるしかない場面が多々あったよ。
30
ザ・ラブストーリー。
センセーショナルな内容もさることながら、構成の妙にうならされた。
クエンティン・タランティーノのような複雑なものではないが、心にしみる構成であった。
レストランで対峙するキャロル(ケイト・ブランシェット)とテレーズ(ルーニー・マーラ)。観ている我々は、彼女たちがのっぴきならない仲だということを知っている。そこにテレーズの男友だちがテレーズに声をかけて、彼女をパーティに誘う。キャロルはそれを機に席を立ってしまう。
そこからテレーズの回想に入っていく。
この冒頭のシーンがどういう意味をもつのか、再びこのシーンがやってきたとき、我々は知ることになる。トッド・ヘインズのしかけはすごい。
ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラはともに名演を披露している。
キャロルの大人の余裕をまとった気品ある振る舞い。テレーズの、まさに恋する乙女のごとき佇まい。
まわりの男どもの愚かさが実に腹立たしく見えるのも、ふたりが素晴らしすぎたからかもしれない。
さて、ふたりはどうなったのか。
それは、観ている我々に委ねられた。
ルーニー
ファーストカット、地下鉄の換気口?の格子をバックにタイトルが入ってそのままクレーンアップして、通りを越えてパンして脇道のリッツに入るハットを被った男を捉える。そのワンカットに見える、行き交うエキストラの衣装と車とセット?に既にヤられる。で、ガラス越しと鏡の装置。物語の大半は、ガラス越しのテレーズとキャロルを捉えたショットの積み重ねで構成されて、雨垂れだったり、映り込みだったり、雪の跡だったり、汚れだったり、汚れに乱反射したフレアだったりが、彼女達の像、グロリアみたいなというか、アンジェリカヒューストンというか、大楠道代というか、腐りかけの水蜜桃が一番甘い的な真っ赤な口紅の金髪レディと、オードリーというか、ナタリーポートマンというか、ノラジョーンズというか、最上の黒髪ガールのバストショットに被さって、もう好事家には堪らない。で、決定的な覚悟はいつも鏡の前で起こる。キャロルがテレーズに接吻するのも(モーテルの鏡のデザインの格好良さったら)、テレーズがパーティ会場の友人宅のアパートのトイレでもう一度キャロルに会いに行こうと決心するのも。老舗デパートのオモチャ売り場で働く写真家志望のシュートカット娘のサンタ帽子姿はもう萌えるしかないし、仕立ての良さそうな毛皮のコートにパンツスーツスタイルの金髪がシカゴのドレイクホテル前で自分で運転してきた車から降りてきたら誰も勝てないし、でもちゃんと金髪年増のケバい、自己中心的な、そしてクイーアというかネバーランド的というかグロテスクなモンスタ的な危うい振る舞いというかエレガンスからこぼれ落ちた脆弱さが盛り込まれているし、デパートでタバコ吸おうとするし、ちゃんとベッドシーンを撮るし、アビーの運転する車で渋滞にはまる背景はまぎれもなくニューヨーク50sだし、運転に疲れて部屋に入って速攻ベッドに雪崩込むキャロルの足元には白い大中小の旅行カバンがポーターの手によってきちんと配置されるし、手痛い一発を食らってもキャロルは最高に男前だからちゃんとテレーズを自分のベッドに招き入れるし、銃身短めのリボルバーが火を噴く瞬間は訪れないけど皆がちゃんと果たすべき役目を果たす。そしてラストのオークルームでいきなりカメラが三脚から外れて、主観ショットの手持ちでキャロルを見つけ、ヨロヨロとキャロルに向かいだす瞬間の勇気と共に訪れるカタルシスたるや。ウォンカーワイとかニコールキッドマンが悔し泣きしそうな良い映画。
1番感情として強く湧いたのは"寂しさ"でした。
1番感情として強く湧いたのは"寂しさ"でした。お互い決して幸せではない状況に出会って惹かれ合いお互いにようやく本当の心の居場所が出来たと思いきや2人の表情にはどこか寂しさが宿っている。とても難しい作品だった。
まずまず。
映像美というにも、少し足らず、
ストーリー性はそこまで面白味もないだけに、
やはり、キャスティングが全ての映画です。
それにしても、もっとミステリアスに、
もっと妖艶に撮れたなら。。
勿体無さを感じてしまう作品でした。
期待外れ
個人的にはストーリーはありふれたものであると感じた。
同性愛をテーマにした作品ではあるが、特段同性愛者に関する問題を観客に投げかけるのでもなく。
私は一昨年のブルージャスミンのほうが断然良いと思った。まぁあっちはヒューマンドラマでこちらはラブストーリーだから比較するのもどうかとは思うが。どうしてもケイトの演技がクサイというか不自然に感じてしまったし、アカデミー賞の肩書きから期待し過ぎてしまった部分もあるのかもしれない。
何年に一度の名作とかそういったものには入らないだろう。
とはいえ、曲や衣装は素晴らしく、舞台となる時代の雰囲気を濃く感じた。
言葉に表れないもの
女性同士であっても、表情から、お互いに惹かれ合う気持ちが伝わってきて、切ない想いがした。
キャロルの、大人の女性らしさや、夫との関係に悩み、それを克服して、自分を偽らずに自立しようとするところは、同じ女性からみても格好良かった。一方でテレーズは、繊細で、ひたむきで美しく、経験を通じて自分の意思を持つようになった。
交わす言葉は少ないけれど、愛しい想いが強く伝わる、不思議に純粋な映画だった。
見る度に良さがわかってきた
最初見た時は(確かに主演の2人・映像・音楽すべてが文句なく美しい。けどちょっと惹かれあってく過程が唐突に感じるし物足りないかな。)というのが正直な感想でした。
その後原作を読み、色々なレビューや映画評を見て、2人の演技に注目しながらもう一度映画を見てみると(初回、私は何を見ていたんだ!?)と思うほど、最後までずっと引きこまれてしまいました。
たびたびチラッと目を合わせては微笑んだり、キャロルとテレーズが何気なくお互いを見ている時のまなざしなど細かい部分の演技が素晴らしいです。お互いに好意を持ってるときってまさしくこんな感じ。
また、キャロルのカッコ良くて魅力的な反面に寂しさと脆さを抱えているところや、テレーズの前半のあか抜けない可愛さがキャロルと色々あって乗り越えて変わっていくところも見どころでした。目や口元で表現できてしまうのは実力派女優のなせる技なんだなぁと。キャロルがケイト、テレーズがルーニーなのはこれ以上ない最高の配役だったと思います。
自分なりに感想を持ったあと、ネットで他の人の感想など見てみると、気付かなかった心理描写などいくつも発見があり更にこのキャロルという映画が深みを増して楽しめました。
見る度にこの映画が好きになり、結局3回観に行ってしまいました。もうすぐ上映終了なのが残念です。
どう感じるかは、恋愛経験によると思います
実際にキャロルのような人と恋に落ちた、落とされた経験がないと、感情移入は難しい、しかし、経験があれば、二人の二人にしかわからない、空気感や、瞳と瞳だけで会話することの尊さが、切ないほど伝わり、満足できる作品でしょう
ケイト・ブランシェットお姉様に身を委ねる
性欲をほのかにふくむ年上女性への憧れってある。『キャロル』は同性愛…というほど強い言葉ではなく、淡い少女時代に美しい先輩に憧れた記憶を見てるような作品。
自分が何者かも分からない、恋愛にも興味はあるけどよく分からない、そんなあやふやな年ごろのテレーズ(ルーニー・マーラー)は退屈な日常の延長から、美しくミステリアスな女性、キャロル(ケイトブランシェット)と出会うことから物語が始まる。
かっこいいお姉さんとお近づきになりたい、一緒にいたい。手取り足取り教えて欲しい。
女性ならきっとテレーズの気持ちになって、キャロルに憧れるんじゃないかな?
少女性、同性愛…という繊細なテーマの割に情緒的な表現が少ない。いい意味でも悪い意味でも感情を揺さぶられない。どちらかというと映画というより2時間ドラマのようなコンパクトな作品という印象。
しかしながら、スクリーンで観るケイト・ブランシェットの成熟した美しさ。確かなキャリアを感じる演技。ケイト・ブランシェット46歳のための映画じゃないかな。ある意味、アイドル映画。
クラシカルハンサムなケイト・ブランシェットと、クラシックガーリーなルーニー・マーラーちゃんの対照的なファッションが楽しい。
愛する形はさまざま
先日テレビ見た「エデンより彼方に」が好きだったので、同じ監督と同じ美術担当のこの映画を観たかった。
1950年代のファッションやインテリア、全体のクラシカルな雰囲気はとても好きだった。ケイト・ブランシェットは好きな女優さんだし、彼女の美しさとエレガントな所作にはため息がでる。
ストーリーとしては、わたしは好きでも嫌いでもなく、肯定も否定もない感じだった。異性であれ、同性であれ、恋しく思う気持ちや、恋愛のせつなさは変わりない。人と人は出会い、恋をして、求め合う。シンプルなことでさえ、難しくなるのが人生なのか…?
「エデンより彼方に」ほどは、心には響かなかった。
ケイトブランシェットだから格があがった作品
1950年代のアメリカ社会の中で恐らく少なからず有ったであろう女性同士の恋愛。それを美しく、でも社会の中で、家族がありながら…と言う難しさも盛り込んだメロドラマ的作品。
この世のものであってこの世のものでないような美白と気品を備えたケイトブランシェットだから、純朴な中に信念を持った「一般人」といった風情のルーニー・マーラが引き立つ。
お互い立場も経験も違いながら、惹かれ、真の自分に気付いていく過程をうまくとらえていたし、映画の語り口も優雅。
カンヌの勢いがアカデミー賞に続かなかったのが悔やまれるが、今年の受賞作の傾向から言えば仕方ないか。このテーマを大仰に大作にしたほうが却って映画の品格を落としかねなかったと思うし、両女優がしっかりノミネートされたことで大成功だったと思う。
全194件中、101~120件目を表示