劇場公開日 2015年5月23日

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「ロボット開発者がロボットに命を吹き込む」チャッピー ハルクマールさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ロボット開発者がロボットに命を吹き込む

2024年10月13日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

悲しい

興奮

と聞くと、素敵なSFファンタジーを想像するところだけど、そこに一言追加するだけで途端にテイストが変わるマジックワードがある。それが、”in ヨハネスブルグ”。

現代進行形のディストピア都市こと南アフリカの首都、ヨハネスブルグでは止まらない凶悪犯罪に歯止めをかけるべく、警察官ロボットを現場に投入することを決定する。
半AI知能の警察官ロボットは現場で大活躍。そのAI機能を更に進化させるべく開発者のディオンはフルAIの開発を日夜行っている。

町では相変わらず犯罪が横行、下っ端ギャンググループのニンジャとその一味は他のギャングから頼まれた仕事をしくじり、一週間後に2,000万ランド持ってこいと脅される。
そこで、現金輸送車を襲撃することを思いつくも、ロボット警察官をどうするかで計画は行き詰まる。その時、一味の女子ヨーランディは、ロボットだって機械、リモコンでピッてオフにしたらいいんじゃね?と言い出し、その”リモコン”を持っていそうな開発者のディオンを拉致することを思いつく。

他方、ようやく高次元AIの開発に成功したディオンは、AIの性能を試すべく廃棄処理となっているロボットへの試験インストールを会社に提案するも、拝金主義の社長にあっさり却下される。
しかし、諦められないディオンは廃棄ロボット22号のパーツ一一式と、ロボットのシステムにアクセスできるアクセスキーを持ち出し、自宅に向かう。
その道中、ディオンはニンジャ一味に捕まり、ロボットのリモコンをよこせ!と迫るが、そんなものはもちろん無いため、代案としてロボットを起動させて仲間に加えることを提案する。もちろん、ディオンはその途中で例のAIを廃棄ロボットで試そうと考えているが。

ニール・ブロムカンプ監督作と言えば第九地区、あとエリジウムもそうだけど、南アフリカの現状を映画に映し出してその悲惨な現状を伝えるところが彼の真骨頂。第九地区やエリジウムはどうしようもない格差社会を描いていたけど、本作では日常的に起こる凶悪犯罪や命の軽さ、ヨハネスブルグにおける犯罪の手軽さ、ハードルの低さを描いている。
ニンジャ一味始めギャング連中は言うに及ばず、主要な登場人物ほぼ全員何らかの犯罪を犯してる。開発者のディオンでさえも。

こんな常識のトチ狂った世界に放り込まれたピュアなAIが、果たしてどのように育っていくのか、が本作のテーマ。ギャング一味の女子ヨーランディはチャッピーと名付けたAI搭載ロボを我が子のように護ろうとするが、ニンジャはパパだと名乗りつつチャッピーを騙して…もうディストピアやん!
しかも、ヨーランディにせよニンジャにせよ、彼らはアフリカ系の人間ではない。南アフリカではそういう括りではなく犯罪が横行しているとなると、これはもう恐ろしい世の中になってきたものだと思う。

監督のメッセージとして強烈だなと思ったのが、本作中でロボット警察官の採用が決まった年が2016年、つまり公開年の翌年の設定になっている。
これは、従来のロボットもので前提になっている、このぐらいの時代ならこのぐらいのテクノロジーの進化はあるよね、ではなくて、来年にはこのぐらいの強力な防衛力が無いと犯罪は増える一方だぞ!ということなのだろう。
つまりチャッピー始めロボット警察官は居ないけど、こんだけの犯罪は日々起こっているということ。これが言いたかったんじゃないかな。

やっぱりブロムカンプ監督はヨハネスブルグをテーマにすると映画が冴える。エイリアン5とかグランツーリスモとか、舞台をヨハネスブルグにしたらきっと快作になっていたかもよ!エイリアンを襲うギャングとか、人をバンバンなぎ倒すスカイラインとか…。

ハルクマール