「バックグラウンドが薄い」ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声 森泉涼一さんの映画レビュー(感想・評価)
バックグラウンドが薄い
ボーイ・ソプラノとは生まれてから声変わりまでの限られた時間にしか与えられない天声のことをさすが、本作のテーマもまさにここにあり限られた時間で自分に何ができ、どう成長するかという合唱団物語らしからぬ大人びたコンセプトには興味を抱かせる。
だが、各々の成長を窺うにあたりバックグラウンドの説明が浅すぎるのが難点。
本作が長編デビューとなるギャレット・ウェアリング演じる主役の少年ステット。複雑な家庭環境で育ち学校では手に負えないほどの不良少年が、名門音楽学校へ入学してから生まれ変わるかのように心身ともに成長していく姿のギャップに惹かれる面はあるが、元々天性の歌声を持っていると将来を嘱望された背景が不透明。ここがはっきりしていない限り何をされても説得力に欠けてくる。
そして、名門学校でステットを指導するダスティン・ホフマン演じるカーヴェル。初登場時からとっつきにくい頑固親父の風貌を漂わせ、とにかく規律に厳しい。それだけに入学当時の不良っぽさが拭えないステットに対しては厳しくあたるが、少年の地道な成長と同時に天性の声が本領発揮してくると見る目が変わってくる。少年の時期に挫折を味わい、今は指導者として少年の時に成し遂げられなかった頂点の道を一歩ずつ上がっている。そんな彼の前に現れたのがステットという天才少年であり、今の彼にとって天性の才能は必要でもあり、妬むものでもあった。
各シーンでカーヴェルの心情は意外にも単純に理解できる。だが、ステットが音楽学校で挫折しかける時に初めて自身の過去を話しだすが、これもステットの天性の背景が不透明なのと同様になぜそうなったのかという話が淡泊すぎるため理解し難い。
ここをちゃんと描けていればカーヴェルを深く理解でき、ステットとの触れ合いの見方も違った角度から楽しめたのではないかと思うと非常に勿体ない映画だと感じてしまう。