あえかなる部屋 内藤礼と、光たちのレビュー・感想・評価
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劇場でずっと観たいと思いつつ、観れなかった作品。DVDで拝見。ツイ...
劇場でずっと観たいと思いつつ、観れなかった作品。DVDで拝見。ツイッターでは高評価を目にしていたが、内藤礼から取材を断られているということで正直あまり期待していなかったものの、良い意味で想像していたものと全然違い、不意打ちで、胸を鷲つかまれた。内藤礼から撮影を断られるまでのテンポはすごく良くて、どうなるんだろう?と、ヒリヒリするサスペンスのようだった。しかし、そのあともすごく新しい手法(?)で、モデルが登場したと思ったら、女性はどんどん増えていく。ドキャメンタリーという手法の境界に挑んだのかなと。シモーヌ・ヴェイユの登場なども個人的には泣けたし、詩みたいなところもあり、文字で読みたい映画だった。(エンドロールにはデュラスの名前もあった)。危ういバランスですべてが吊りさがっているような、女性的な表現といえばそう言えるかもしれない、あまり見ないタイプの映画で、そういう意味でも五つ星をつけたい。内藤礼は、もはや人前に現れないことでその存在意義があると思った。アーティストを登場させないのに、アーティストの本質を描いた稀有な作品だし、後半は生きていることそのもののような、答えのない作り。映像や音楽のセンスもとても良い。
希望と再生の物語
見終えたあと非常に強い物が心に残り、渋谷のギラギラした雑踏を歩くのがキツかった。自分も4人の女性達に混じって、あの大きな空間に一緒にいたみたいだった。隣の女性は後半泣いていたようだ。レビューを見ると、最後の女性達の登場がとってつけたようだと言っている意見が多いが、僕はそう思わない。まず内藤礼を知らないし、興味もなかったからかもしれないが、監督が目指したのは所謂フツーのアートドキュメンタリーでないと察するので、内藤に撮影拒否を受けてからの表現こそ大事だったのではないか。結論を提示しないから混乱するかもしれないが、この社会も結論などなく矛盾はいつまでも続いて行くものだ。そういう現実世界を反映したかったのではないかと勝手に思った。監督の母親が病気である所から始まる物語が、僕に浸食してくるような不思議な作品で、映画の宣伝文句「私が私たちになる」という言葉そのものだと唸った。希望と再生の物語だと思う。
母型はずっと見ていたかったけど・・・
結局、内藤礼さん本人を撮らせてもらえなかったわけだから、内藤さんの声さえも入れる必要があったのかどうか疑問。その語りもあまり頭に入ってこなかったし。
作品と文字だけで内藤さんのメッセージは十分に伝わってくるように感じた。だからそれ以上何が必要だったのか、制作者は何を求めていたのか謎です。
とってつけたように感じざるを得なかった女性たちの内面など、自分にとっては余計なものにしか思えなかった。そんなのはいいから、アーティストの作品を魅せてくれとの思いでした。
切り取られている映像は非常に素晴らしいなぁーと思いました。それ故に、姿を現さない内藤さんと『わたし』の関係性だけで押し切ってもよかったのでは?と感じた次第。音も良かったし。ナレーション、絵、音、それだけで勝負する勇気がほしかった・・・。
偉そうに語る、いち鑑賞者の戯言でした。
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