「人々ではなく、ひとりひとりの物語。」グローリー 明日への行進 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
人々ではなく、ひとりひとりの物語。
日本にいると、つい人種問題という社会問題と歴史については疎くなってしまう。黒人たちの有権者登録を求めた公民権運動の最中に起きた「血の日曜日」事件をテーマに、映画はもう一度人種と人権を問い直す。1965年。たった50年前のことだ。わずか50年前まで、ただ人種がそうであるというだけで、国民が当たり前に持つべき権利を妨害されていたのだから、人間は実に愚かしいし、50年経ってもまだまだ問題は消えていない現実に、目が覚める思いがする。
日本人が海外で差別を受けることもよくあることだが、アジア人が海外で受ける差別というのは、「見下される」「バカにされる」「相手にされない」というものが多いように思う。しかし、当時アメリカにおいて黒人が受けていた差別はそんな生易しいものではなく、「黒人なら暴行をはたらいてもいい」「黒人なら殺してもいい」というレベルのものだから悍ましい。そしてその暴力にたいし、「非暴力」で対抗するキング牧師と人々の気高さに感動する。
キング牧師が登場する映画ではあるが、安易に物語の中心にキング牧師を立たせることはしなかった。この物語の中心は、セル間の大行進に関わった一人一人である、という解釈で映画が作られているように感じられる。よってこれはキング牧師を称える映画ではないし、歴史的な出来事を記録するものでもない。権利を求めて活動した人々や、迫害され続けてでも何もできなかった人、白人でも理解を示す人、黒人でも違うことを思う人、そういったすべての市民一人一人を主人公にした市民の映画であり、その主人公たちが意志をもってセルマに集い、あの大規模なデモ行進と、歴史の変わり目に繋がったのだ、と言う風に映画は捉えている。この世に生きる、一人一人のための映画というふうに。
ラストのキング牧師のスピーチは、演者も作り手も完全に熱が上がって、完全に映画を超えたシーンになっていた。そして最後に流れる「グローリー」で完全にやられた。そしてまた日本国民として、考えさせられる部分も大きかった。