ベルファスト71のレビュー・感想・評価
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敵味方両方から命を狙われる不条理
ケネス・ブラナー監督「ベルファスト」を見た影響で本作を鑑賞。
主人公はイギリス(プロテスタント)の軍人。
なので、アイルランド(カトリック)から命を狙われるのは分かる。
でも、いろいろあって味方であるプロテスタントからも命を狙われる。
観客からは、誰がカトリック、誰がプロテスタントが分かりにくい、という問題はあるが、それが、逆に作品の意図したところかも。
つまり、紛争前は友人隣人だった住民が敵味方に分かれて殺し合う。
更にスパイも入り乱れ、誰が敵、誰が味方か分からない、ということが実際に起こったのではないだろうか?
それを短い映画の中で、観客に疑似体験させる目的では?
と思える。
みんなルイージ見たいな顔
相関関係に苦しんだ。VODだったので、その場でもう一度みて、理解できた。要は独立戦争なんだけど、北アイルランドは独立してないけど。IRAはそれで良かったのだろうか?スコットランドが独立しようなどと数年前に言っていたのを思い出した。まぁ、内政干渉なので、何も言えないけどね。
おそろしい怖いハラハラする。緊張感。どっちがどっちなん?っていうの...
おそろしい怖いハラハラする。緊張感。どっちがどっちなん?っていうのもあるし精神的なものと暴力の恐怖。すさまじい。
登場人物の相関図が全く分からん
顔と名前と宗派と地位が全く理解出来ずに終わった。
緊張感はあるものの、突然出てくる名前がどこの誰の事を指してるのか分からない。
終盤は特に、あんた誰?となってきて意味不明な展開に。
もう一度観れば分かるんだろうけど、まあいいかと思った。
エンタメ作品ではない。70年代北アイルランドの歴史をおさらいしたほうがいい
ダービー(シャー)とノッティンガム(シャー)は隣同士だけど仲が悪いらしい。
新兵の初出動は治安活動か戦争か。
誰が敵で誰が味方か
宗教や戦争の類は本当に弱く無知なので、
なかなかそういったバックグラウンドを交えてレビューが書けないんだけども。
敵地に一人取り残された兵士。
街のワルたちは、主人公を殺すために
執拗に追いかけてくる。
なぜなら「敵」だから。
狩るか狩られるかー
常に夜の薄暗い怪しい雰囲気の中、
時には怪我を負いながら移動する主人公。
動きから、表情から、緊張が伝わる。
一人の兵士が、組織から
頭数として見捨てられようとするのは
現実にも起こった話なんだろう。
まだまだ勉強が足りないなぁ…。
こころは遅れてやってくる
1971年のベルファストを描いている。プロテスタントとカトリックの対立が劇化している。IRAのテロもある。その紛争解決(仲介?)のために送り込まれたイギリス軍。その新兵が主人公。奪われた取り返すために少年を追っていて、ただひとり状況のわからない街にさまよいこむ。誰が敵で、誰が味方か。
見どころは、その敵か味方かわからない状況をどう生き抜くか、というよりも、どういう状況でも「新人」がいて、「ベテラン」がいて、また「退役」したひとがいる、ということである。
サバイバルものの映画なので、どうしても目は主人公のイギリスと「新兵」に集中してしまうが、「敵」の側にも「新兵」がいる。「新兵」未満がいる。まだひとを殺したことがない。この少年が、この映画に深みを与えている。
敵であるイギリス兵を殺せ、と「教え込まれている」。憎しみの目でイギリス兵を見ている。「前線」には加わったことはないが、銃の準備をしたりしている。(母親は、はっきりとはそれを知らないが、息子が紛争に巻き込まれていくこと、その活動のなかで「兵士」になっていくことを心配している。)その少年がクライマックスで主人公の新兵を「射殺しろ」と銃を渡される。銃をかまえる。しかし、なかなか引き金がひけない。頭では「殺す」ということを教えられているが、「からだ(肉体)」が動かない。新兵は無防備。自分が殺されることは絶対にない。いわば少年の安全は保証されている。だが、「安心して」銃の引き金をひくということができない。
「安心」は、別のところにあるのだ。言い換えると、「不安」は別の形になって、少年をつかんでいるのだ。
「殺す」ということを少年は「概念」で知っている。仲間が殺された(死んだ)ということも知っている。実際に、殺される瞬間を見たかどうかはわからないが、そういうことがあることを知っている。しかし、実際にひとを「殺す」ということ、「肉体」は知らない。こころは知らない。そのとき何がおきるのか、わからない。目の前で肉体が死んで行くというのはどういうことなのか、わからない。ひとを殺したら自分がどんなふうになってしまうのか、それがわからない。それが少年の「不安」である。相手の変化(死ぬ)と同時に自分の変化が「不安」なのである。自分のことが「安心」できない。それは「不安」というよりも「驚怖」に近いかもしれない。「殺す」というのは「怖い」ことなのだ。相手を殺す前に、自分の「驚怖/不安」を殺さなければならない。
これはきっとあらゆる「新兵」に起きる。だからこそ兵隊になったら「殺す」ということができるように「肉体」を変えていく。キューブリックの「フルメタルジャケット」がこの過程を克明に描いているが、銃を自分の「肉体」にする、罵詈雑言を「頭」ではなく「肉体」で反復できるようにする。なじませる。「憎しみ」をつくり出す。
射殺される寸前の新兵(主人公)は殺さないでくれ、と頼む。そして、そのときためらう少年の姿を見る。ためらっているのがわかる。殺されるという「驚怖/不安」と同時に、少年の「不安/驚怖」もわかってしまう。
そのじりじりする「時間」。そこへ新兵を救いに来た男があらわれる。銃をかまえている少年を見て、即座に射殺する。彼は「ベテラン」である。銃を見ると、即座に「肉体」が反応する。銃をもっている少年が「不安/驚怖」で動けないでいるとは考えない。先に殺さなければ自分も殺される。これは戦場ではだれもが教えられる「鉄則」であり、それを男は実践している。
うーん、と私はうなってしまう。
「新兵」(新兵未満)から「ベテラン」へかわるまで、ひとの「肉体/こころ」はどう変化するのか。何を乗り越えるのか。何を乗り越えないといけないのか。そして、それは誰にでもできることなのか。
もうひとりの重要な人物、「退役」してしまったひとは、「殺す(死ぬ)」ということに対して、どう動くか。新兵が負傷しながら逃げる。道に倒れている。それを退役した兵士(衛生兵)と娘が見つける。娘の方が先にイギリス兵だと気づく。かかわってはいけないと、不安になる。かかわれば自分たちが攻撃される。だが父親は傷ついた人間をそのままにしておけない。「衛生兵」として働いたときの「肉体」が、そうさせる。「こころ(倫理)」の問題としてではなく、「肉体」がそう反応してしまう。そのあとを「こころ/倫理」が追いかけている。この「肉体」と「こころ」の関係が、たぶん、私たちが考えなければならないことなのだと思う。
少年が射殺をためらう。それは「こころ」が「肉体」に追いついていない。「こころ」が「肉体」よりも大きな存在になっていない。「こころ」が「肉体」をリード(支配)していない。「こころ」はいつでも「肉体」のあとを追いかけるものなのだ。「肉体」が動いて、そのあとに「こころ」は遅れてあらわれる。遅れてしかあらわれることができない。
ひとを殺したあと、「こころ」はどうなるか。平気なひともいるようだが、「こころ」が傷つくひともいる。「肉体」は傷ついていないが、「こころ」に「肉体」の動きが深い傷を残す。どんな傷になるか、それは体験してみないとわからない。遅れてしか、わからない。それが「戦争」というものなのだろう。「肉体」は死ななくても「こころ」が死ぬということがあると、「軍隊(のベテラン)」はわかっている。だからこそ、訓練で「人間性」を剥奪する。「こころ」をたたき壊してしまう。先に「こころ」を殺しておいて、「こころ」が傷つかないようにするのだ。
戦争が人間に何を引き起こすのか。私はその「現実」を「肉体」では知らない。わかっていない。
戦争を語るとき、好戦派(?)は「敵の脅威」を問題にする。その人たちは、自分が戦いの前面に立ち相手を殺すとき、自分のなかに起きる変化を考えたことがあるのか。私はもちろんだれかに殺されたくはない。しかし殺すというのも簡単にはできないと思う。殺されるのは一瞬だが、殺すのはきっと一瞬ではない。そのあと、生きている間中「殺した」ということがついてまわる。その「自分のなかの不安/脅威」にどう向き合っていけばいいのか、見当がつかない。「殺される」ということについて、「死ぬ」ということについて見当がつかないのと同じだ。
九月一九日、国会で「戦争法」が成立したが、賛成した議員はこの問題をどう考えるだろうか。「個人の問題など知らない。個人よりも国家のことを考える」と言うだろうか。だが、戦場で戦い、死んで行くのは「国家」ではなく、「個人」である。「ひと」である。「私」である。「誰か」ではなく、それはいつでも「私」なのである。
映画にもどって言えば、クライマックスのシーン。イギリスの新兵は射殺されなかった。「肉体」は生き残った。けれど、彼の「こころ」はどうか。彼を殺そうかどうしようか迷っていた少年の「こころ/不安/驚怖」、その少年への「共感」は少年といっしょに殺されてしまった。そして殺されてしまったにもかかわらず、その「こころ」は主人公の「肉体」に住みついて、生きている。生と死の「矛盾」のようなものが、主人公を絶望させる。生きているのに、希望ではなく、絶望するしかない。
ここから、どうサバイバルするか。だれも答えを出せない。そのひとにしか「答え」の出しようがない。「戦争」に「結論/決着」はない。そういうことを考えるために、この映画を見てほしい。そう願って★一個を追加した。
Not bad, but needs more spice as a movie??
■こんな人におすすめ
基本的におじさん・おじいさん
地味な戦争関連映画好きな人
UKのどんよりした空見てても気分までどんよりしない人
■こんな人にすすめない
映画で少し映画の勉強なんてしようかなとか思ってる人
ポスター見て「あれ、トムハーディ?見なきゃ」とか勘違いしてる人
基本的にラブコメしかみない女子
■こんな時におすすめ
アイリッシュの英語がアメリカ英語を聞き慣れた日本人にはどれだけ慣れていないか再確認したい時
300に出演していたというジャック・オコンネルは1990年生まれと若い。なかなか良い演技なのでは!
「敵だけどまだ若い青年へ向けるまなざし」とか「傷が痛い感じ」とか良いし、これから色々な役で幅を広げていくことに期待しつつ。
ポスター見てトムハーディかと思った、、、似てない?
ジャンルはサバイバルスリラー?
色々と複雑な心のうちや人間関係もある内容で、この作品は99分と短い。だから見やすいのはいいのだけど、色々と観客に考えさせる間もなくあっという間に終わるため、心の奥までは届く途中まで持っていかれてる間に終了した感があった。
私は基本的に短い映画好きだけど、観客の興味を引き続ける内容が詰まっているので、(時間的に)あっさり終わってしまうのがもったいない気がした。
新宿武蔵野館で鑑賞。平日の夕方で20人は来ていたと思うがほとんどが50以上と思われる男性。女性は私以外いたのだろうか。
その客層からもわかるような、年配男性が好きそうな作品。
ツタヤでDVDで並んでても埋もれてしまうような地味なタイトル&イメージ画像なので劇場で見られてよかったです!
驚かしのホラー映画よりずっしり怖い。
民族紛争の真っ只中に取り残された新米兵士の死と隣り合わせな恐怖の脱出劇。
何が怖いって、一般市民が暴徒化した無秩序な世界。子供の純真な問いかけ、‘なんできらいなの?’。大人も答えるのみ、わからない、っと。
敵味方それぞれの思惑にならった状況設定もリアルで怖い。
怖い、という言い方が正しいかわからないけど全編張り詰めた緊張感がただよう仕上がりでした。
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