ルック・オブ・サイレンスのレビュー・感想・評価
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現実から眼を逸らすことが悪意を増長させる
前作『アクト・オブ・キリング』が加害者たちから一方通行だったものが、被害者と加害者の双方向へと変化している。
ただし、加害者の言い分は前作から変わらない。
すなわち、
・知らない
・あれは善行だった
・おれはただ、これこれ(上からの命令や、直接ではない行為など)をしただけだ
・いまさら、ほじくり返してどうなる
など。
そんな言い訳ばかり。
本作品の主人公ともいうべき被害者の弟アディは、彼らが行った行為が非道であったことを認めさせたいのだが、その他の被害者の心情は、どうなのか・・・
映画中盤で、虐殺の中で生き残った老人が登場する。
彼は、当時は若者で、アディの兄の友人で、虐殺から逃れた後、村から離れて暮らしていた。
その老人がいう。
過去のことは、ほじくり返さない方がいい・・・
えええっ!
たしかの老人の立場としては、生き残っていることが知れたら、余生がどうなるかはわからないが、それにしてもあんまりだ。
眼を閉じて、見ないでいれば、なかったことにできる・・・そういう、一種の諦めなのか。
現実から眼を逸らすことが、唯一の生存手段ならば、それは悲しく哀しい。
しかし、眼を逸らすことが、無自覚な悪意を増長させている。
それは明らかだろう。
非道な行為であればあるほど、その行為を見つめ、非道であることを認める。
そうでなければ、より善き世界には到達しないだろう。
そんなことを考えた一編でした。
人間の本性の露呈。賛否必至のドキュメント。
【賛否両論チェック】
賛:人間の恐ろしさや浅ましさを垣間見る。様々な議論を生みそうなテーマなのも、興味深い。
否:この映画の主張自体も、やや乱暴な理屈か。非常に淡々と進むので、眠くなるかも。グロテスクな話も多数あり。
命乞いをする者達の首を切ったり体を切断したり、絞め殺したり。そんなむごたらしい話を飄々と語る実行犯達にも驚かされますが、その多数が
「命じられて荷担しただけ。自分は悪くない。」
と開き直っている姿にも、人間の浅ましさを感じてしまいます。ただ逆に言うと、被害者からの視点でしか描かれていないので、自然と
「被害者=善で、加害者=悪。」
という構図になってしまっているのも、少し乱暴な理屈なのかなと思います。
また、特にBGM等もなく非常に淡々と進むドキュメンタリーなので、気をつけないとかなり眠くなりそうです。
良くも悪くも、命や社会や正義について、色々と議論のきっかけとなりそうな作品です。
フィクションという残酷さ
加害者達はみんな逃げている。自分のした事から、目を背けている。本当は自分のした事を分かっているのに、認めたくなくて、怖くて、逃げる。加害者の家族も同じ。
事実は曲げられ、真実は伝えられずに、みんな見たくない、知りたくないと、知ろうとしない。怖いから。
でも、みんな、目に涙を溜めて、辛そうな表情をしていた。どうしてその理由に目を向けようとしないのだろう。
殺人は決して賞賛される事ではない。英雄なんかじゃない。
加害者の家族は、自分の家族のした事を一緒に背負わなければならない。自分は知らなかった、関係ないではなく、知らなくちゃいけない。被害者からの目に、声に、耐えなければいけない。それが人を殺すということなんだから。一緒に苦しまなきゃいけない。
観ようか悩んでたけど、みてよかった。フィクションと考えると、ものすごく息が詰まる、苦しい映画だった。
視線。
終始、登場人物の視線に魅せられた映画でした。
何を見て、何を考えているのか。何から目を背けて、何を考えないようにしているのか。
そして最後にアディは画面の向こうにいる観客を見つめます。まるで「あなたは何を見るのか」「あなたは何を考えるのか」と問い掛けるように。
見ていて非常に息の詰まる映画ですが、見終わるとまだまだ見ていたい、と感じる自分がいました。お互い何も語らず、ただ登場人物が見つめ合うだけの画面を後一時間くらい見ていたかったです。
力強い絵に魅せられる
色彩豊かの絵が展開される中、悲惨な話が告白されゆく。こうやって殺した、ああして殺したと実演を込めて話される内容は、事実なのだろうと思うのだが、映画の中の絵があまりにも美しすぎるために、何か御伽噺のように見えてしまう。恐らく、それは告白する側に罪悪感というものが皆無だからなのだろう。世間話と同様に虐殺の話をするその姿を見ていると、思わず吹き出したくなる瞬間がある。政治という衣を着た人殺しのやるせなさ…被害者家族にとっては、話のどの部分も笑えるものではない、映画の中でその主張を強く感じさせられる。
起こってしまった悲惨な過去をどうしたらよいものかと、ただただ途方に暮れる思い…。
惨禍を引き起こした当事者そしてその加害者すべてが地に帰ろうとも、禍根は永久に残ってしまうのではなかろうか。
そんなやるせない気持ちが湧いてくる。
インドネシア1960年代の共産主義者大虐殺の実行犯に虐殺の再現映画...
インドネシア1960年代の共産主義者大虐殺の実行犯に虐殺の再現映画を持ちかけた前作と比較してまっすぐストレート。散々得意げに虐殺を語った実行犯に「実はそこで殺されたのは私の兄なんです」と言う眼鏡検査技師アディ。殺人者たちの眼は泳ぎ、過去は忘れろさもないと、と恫喝する者、過去はどうあれ今は兄弟だと言う者、様々。アディは言葉を選び、沈黙し虐殺者と握手をし、去る。これを見ている大半の日本人の観客は虐殺者たちの家族の立場に居ながら、殺された者の視線で見ていくことになってしまう。被害者の弟に見つめられながら「あれは国家のためだった」と言い抜けようとする実行犯たちに言いようもなく嫌悪を感じながら、その時どうできたか、明日起こったら何ができるかはまったく自信がない。
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