ぼくらの家路のレビュー・感想・評価
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ドイツ版万引●兄弟?
小学生日記。
ドイツの男性の演出家が作った男目線なお話。
ドイツは大和民族よりもアイデンティティがしっかりした国であり、しかも兄弟が白人のク●ガキなので、こんな話の展開になるわけが無い。
見ていてすぐに分かると思うが、この兄弟二人は『火垂るの墓』の兄妹と同じ状況。つまり、混沌とした社会でしか起きない状況である。個人主義であっても、ここまでこの兄弟を無視したり放任する事は、東西が統一した元分断国家で、元ナチス・ドイツであってもない。
つまり、作られた子供たちの不幸でしか無い。
そして、母親の立場をものすごく軽視している。それが、この類の映画の程度を決定すると言っても過言ではない。
インドのニューデリーでは、このくらいの子供たちが、えたいのしれない日常品を夜の10時に売っていた。赤信号で車が止まると、どこからか子供たちが現れ、その品物を売り込みにかかる。
『泰山鳴動して鼠一匹』と言うか、結論は最初から決まっている。
少年よ大志を抱け。そのうち、母親の気持ちも分かるようになる。もっとも、この演出家自身が母親の気持ちを分かっていないが。
つまり、育児した事の無い演出家が描いた育児放棄の母親のワガママなんでしょ。
切ない
10歳のジャック、6歳になる弟のマヌエルはシングルマザーの母と3人で暮らしていた。ある事件から施設に預けられることとなったジャックは、友達もできず、施設になじめない毎日を送っていた。やがて施設からの外出が許される夏休みが訪れ、その日を心待ちにしていたジャックだったが、母からは迎えが3日後になるという電話が。落胆したジャックは、施設を飛び出し、夜通し歩き続けて家にたどり着く。しかし、母は不在。カギもなく母の携帯電話にかけても留守番メッセージで一向につながらない。母に伝言を残し、預け先までマヌエルを迎えに行ったジャックは、兄弟ふたりで母を捜すため、母の仕事場や昔の恋人の事務所などベルリン中を駆け回る。母親に会うことが出来たジャックだが、母親は相変わらず男探しばかりしている姿を見て最終的には施設に戻る決断をする。ジャックの気持ちがとても切なくて愛情に飢えているような表情が感じられて泣ける作品。
ぼくらの未来。
まず浮かんだのがあの「誰も知らない」。親になれない母親が
遊びまくる代償を子供が負う。この子が大きくなった時、母親
のことをどんな風に扱うのだろうかと当初から気になっていた。
育児放棄は今に始まったことではないが、子供は親を選べない。
もし自分の親がダメならば、保護者役にならなければならない
ことは小さい頃から身に染みて分かっている。だからジャック
には同世代の友達ができず、馴染めない施設ではイジメられる。
それでもまだ10歳なのだ。母親が恋しくて愛されていることを
実感したい願いに溢れている。幼い弟も大切だし家を守ること
が使命のように頑張るジャック。母の元カレには若干救われた
ものの、誰も自分の家にはなってくれない。であるならここで
決断するしかない、と行動に移したジャックの行きつく先とは。
巧い邦題なのだが、もうそれを選ばねばならない時期とは辛い。
ジャックの選択
子どもたちにとっては愛おしい、愛情あふれる母親だが、社会人として見れば母親の自覚にかける、そんな母を持つ主人公の少年ジャック。預けられた施設を抜け出したジャックは、母親のことを探すために幼い弟を連れ、町をさまよい歩く。数日後に母親と再会し、その翌朝までを描いた作品。画面は終始、少年ジャックと同じ目線、同じ視界だけで動いていき、余計な情報は観客に与えられない。母親を含めて、数人の大人が登場するが、そんな大人たちがどんな人間なのかは、少年の目を借りて判断するしかない。
そしてラストシーン、少年ジャックは、母親を思い、自分たちのことを思い、自ら選択する。
ラストシーンのシークエンスを含めて、なかなか引き込まれる作品だった。観客は、この映画の原題が「JACK」であることを知らされるが、最初はなるほど「ジャック」のままで放題にした方がいいと思った。しかし、よくよく考えてみると、「ぼくらの家路」という放題も、とても含みがあって良いと思い直した。子どもの視線だけだからこそ、観客はいろんなことを考えさせられる事になるだろう。
ジャック
お兄ちゃん役のこの演技が素晴らしいです。
結局、はじめの家ではない家に帰る、というのがなんともいえず悲しかったですが。
しかしジャックは本当に大人。
お母さんが若くてふわふわしてると息子はしっかりしてしまうというのはよく聞く話ですが、最後あんなに会いたがったていたお母さんの元を離れる決断をするのはすごいと思った。
ずっとママママと探し続ける二人の姿をみると、親になる責任を感じずにはいられません。
男児の潔い決断が際立つ社会派映画
ドイツを舞台に母親に見捨てられた幼い兄弟が帰る場所を探す『ぼくらの家路』、ストーリーはこう。
ジャックとマヌエルはシングルマザーに育てられる10歳と6歳の男の子。
ふたりの容貌の差異もあり、母親の男出入りが窺い知れるところ。
生活も苦しく、まだ自分の自由を謳歌したい母親は、生活保護機関に相談して、兄のジャックを保護施設に、弟のマヌエルを自身のもとに引き取ることとした。
サマーシーズンとなり、多くの仲間が親元に引き取られることになったジャックの施設であったが、ジャックのもとには母親から「迎えにいくのが2日ほど遅れる」との電話があった。
施設でトラブルを起こしたジャックは、母親の迎えの日の前に施設を離れることにしたが、母親の行方が杳として知れない・・・
触感はダルデンヌ兄弟の映画を思わせる。
つまり、説明は排除し、主人公に寄り添って、物語を進めていくという手法。
まだ10歳にしかならないジャックの、母親探しと生まれ育ったベルリンの街でのサバイバルが描かれるのだが、ダルデンヌ兄弟の映画と比べると、少し緊迫感を欠いているような感じがする。
物語の語り口のせいかもしれないし、それまでの母親の生き方に依存するのかもしれないが、母親探しの行程において観客の知らない場所・人物が頻出してしまう。
まぁ、伏線を張ればいいのかもしれないが、そうすると、この映画のドキュメンタリーイズムが崩れるし、尺も長くなるので、それは出来ないところ。
終盤は意外や意外な展開となって、それまで以上の社会性を感じます。
つまり、行方知れずの母親は3日後あっさり自宅に帰還し、サバイバルを繰り広げた子どもたちと再会するのだが、再会をよしとして終わらせず、母親の無軌道で自堕落な生き方をジャックは良しとせず、決断する。
この映画の「決断」で終わらせるのは、まさにダルデンヌ兄弟の映画を思わせる。
この潔さはこころよい。
個人の意思が、社会派映画を成り立たせている。
これがこの映画の特筆すべき点である。
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