コングレス未来学会議のレビュー・感想・評価
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出鱈目過ぎるアニメ。
・SFじゃない。ただのファンタジー。
・アメリカやイギリスが制作に加わっていないようだが、何故英語を喋っているのか?
・ミラマウントナガサキって日系企業。そのCEOが暗殺されるって事は日本アニメに対する黄禍論。
・薄気味悪い世界。この世界の外にはこの世界を拒否した人がいると言う設定。僕ならこのアニメの世界、5分と持たない。目の隈が目立つ者ばかり。
さて、アニメから代わった実写の人々の現実に対する象徴なのか?どちらにしても、こんな世界が来るわけがない。現実が終わる時はやはり破壊であり、民間会社ではなく、統治者や行政、司法等の三権分立の問題だ。
アニメを現実逃避として捉えているのが、とんでもない誤解。やはり、日本アニメの質の高さに胸がはれる。
・演者がデジタル化される件は事実だ。だから、ハリウッドでストが決行されている。
・結局、彼女は現実逃避する道を選ぶ。情けない。
・貧困と格差が無くならない社会で、その社会から現実逃避する結末を結論としてしまうのは、演出家が、ホロコーストを経験した国の人だけに、大変に残念である。
もし、現実逃避を否定的に描いているのなら、もう少しダイレクトに表現してもらいたい。理解するまでに沢山の無駄な死を見る亊になる。
面白い映像ではあるけれど・・
ロビン・ライトが実名で登場してるのが面白い。
前半の実写パートは、ひょっとしたら未来にはこんなCG俳優も出てくるのかしら?と思わせる内容で興味深かった。
で、後半のアニメ映像がこの作品の肝だとは思うんだけど、正直退屈で途中少しだけ寝てしまった。。
そもそも、一度薬飲んで視覚がアニメ化してしまったら元に戻れない、という設定がよくわからない。
(途中1回元に戻るけど、最後があの映像ってことはこの映画の中では基本戻れない設定なんだろうと思う。)
たぶんヒッピー文化のマリファナ使ったときのサイケな幻覚がこんな感じなんだろうなー、と想像はできたんだけど、幻覚見たような経験も無いし、別に経験したいとも思わないので、アニメパートは退屈でしかなかった。ストーリー的に全部アニメじゃなきゃいけない必然性もなかった。
最後も無理やり親子愛でまとめた感じで物足りなかったし、もう少し違うアニメの使い方すれば、もっと面白くなったんじゃないかな・・。残念。
ってことで、★3つです。
後半からビックリな展開
主演のR・ライトを認識していると皮肉タップリで余計に楽しめる。
映画「ステート・オブ・グレース」にも触れているし個人的には「シーズ・ソー・ラブリー」の印象があるR・ライト。
映画の半分がアニメーションになるのは正直、驚いたし絵が好みだったので良かった。
大胆な発想に演出が素晴らしい。
なりたい自分
「なりたい自分になる」というCMが前に良く流されていました。
「ユーキャンでなりたい自分になる」
なんだ、通信教育のCMだったら、もしかするとなりたい自分になるには無駄な努力が必要かもしれないな。
しかし、この作品で描かれる「なりたい自分」になるには努力は必要ありません。娯楽薬があれば、十分です。
娯楽薬。
全てを自分の都合通りに夢見させてくれる魔法の薬。見渡せば、私の周りは「思考停止」というドラッグだらけ。「あの人」「この人」を盲信する世界では、自分という存在は絶対的に無視しなくてはいけない、そんな現代。
しかし、思考を停止させたユートピアの先には必ず、直視できないデストピアが待っています。思考を無視すれば、それはすなわち、私は存在しないも同じ。私は、誰かの人生を生きるだけの生きた屍。
アリ監督は、自己の不在という恐ろしい現実空間へ、ポップなアニメーションという仮想空間を通じて私をいざないます。私は果たして今、存在しているのか?
スキャンの話はどこへ?
前半の、スキャンすれば女優の仕事しなくていいってくだりがメインのように予告してたけどそこじゃなかったですね。
アニメから現実に出てくるまで謎だらけでポカーンってしてました。
アニメ部分長過ぎて飽きました。
飲み込みづらい
アニメパートになると、なんでこんな表現なの?と戸惑うばかりだった。実写での映像化が難しかったのか、アニメで表現したかったのか、事情は分からないが、アニメで表現しなくてはならない必然があるとは思えなかった。その後、眠りから目覚めてからアニメになっていた方が腑に落ちるのではないだろうか。
ただ、アニメの世界を拒否する薬を飲んだら、みんなホームレス同然の亡者のようになっていたのは衝撃的だった。
人類の大半が右習えでその価値観に浸るというのは無理があるように思う。ドラッグやうつ病の薬が発展しただけだという説明があったが、それを使っているのは一部の人だけだ。あたかも映画やエンターテイメントに人類が浸りきっているような表現だったが、オレの周りでは映画館で映画をみるのはごく一部でゲームをする人も多くない。その業界にいる人にはそう見えているのかな。表現が極端で腑に落ちない。
かわいいアニメみたいな絵にそんなになりたいだろうか。オレは全然なりたくない。価値観を押しつけられているようで気分が悪かった。
ハーベイ・カイテルよかった。
脳内をジャックされる映画。
ロビン・ライトの号泣アップで、映画は始まります。
"ロビン俺を見ろ。俺が君を愛しているのは知ってるだろ?"
声の主はアル(ハーベイ・カイテル)。ロビンのマネージャーです。アルは続けます。君は選択を間違えたと。
lousy choice!
lousy movie!
lousy man!
酷い選択、酷い映画、酷い男!
君は24歳の子供だったけど、輝く未来へ続く扉がいくつも開いてた。けれどそれを君は、全部ぶっ壊した(字幕なしで見てたので俺流翻訳です)。
それを聞きながら、ロビンは号泣してるんです。
あれ?と思いませんか?役名はロビン・ライトで、女優さんもロビン・ライト。
確かロビンは24歳頃「フォレスト・ガンプ」のヒロイン役で、スターになるんじゃない?と思われたのもつかの間、あの、あの、あの、ショーン・ペンと結婚して子供が出来て、その後も映画に出演するも、鳴かず飛ばず。気付けば44歳。
そう、このアルは、ロビン・ライトのリアル人生を言ってるんです。
別のシーンでははっきりと、「フォレスト・ガンプに出てた」と言われています。
間違いなく、本人役なんです。ロビンのお子さんは、難病を患ってないようなので、この部分はフィクションです。ですが、他は本当のことです。lousy manとか(笑)度肝!
映画会社"ミラマウント"に「もう女優としては旬を過ぎたし、データ保存させてよ。こっちで勝手にデータで映画作るから」って言われてるんです。"ミラマウント……、社名にも、悪意感じますねー!
そう本作はハリウットに対する痛烈な批判が隠されて、いや、全面に押し出されてるんですよ。だって今だって、俳優さんの一部をCGにしてたりしますよね?だったら演技なんかいらんやん?俳優なんかいらんやん?って話です。
ロビンはデータを売って20年後、ミラマウントから「ホテル・ミラマウント」で行われる会議に招待されます。でもそこに入れるのは、「アニメーション」だけ。
ロビンが鼻からすっと薬を吸い込むと、自分自身も周りも、ビビットなアニメ風景に変わります。それも今風なCGではなく、ノスタルジックな手書きアニメーション!凄い!
落ち着く。動きが可愛い。ドン、ドドン、っていう可愛く軽快で、でもどこか不穏なスコアの煽り感も素晴らしい。急にぶわーって、脳内にイマジネーションが広がるのを感じます。大好きなシーンです!
このアニメは「スーパーマン」「ベティ・ブープ」「ポパイ」で、当時はディズニーとアニメ界の双璧だったフライシャー兄弟を模して制作されました。
また世界観は、今敏監督の「パプリカ」「東京ゴッドファーザーズ」からのインスパイアらしいです。なるほどと思います。
あれ?と思いませんか?そうフライシャー兄弟と、映画会社パラマウントの軋轢は有名ですよね?結局パラマウントは、フライシャー兄弟を社から追い出してしまいました。
本作に登場する映画界の"悪"の象徴「ミラマウント社」って、間違いなくパラマウントですよね?
ロビンは会議が行われる「ミラマウント・ホテル」に到着します。
そこには薬を服用した人達が沢山いるんですけど、なんかおかしいんです。
ジョン・ウェイン
マリリン・モンロー
エルビス・プレスリー
フリーダ・カーロ
トップガン姿のトム・クルーズ
みたいな人がいる。
というのもこの薬は、ミラマウント・ナガサキ(日本企業らしい)が製造した新たな娯楽薬で、自分の好きなようにストーリーも創造できて、その中の好きな登場人物になれるというもの。もう映画を作って観客に公開する時代ではない。観客の自由意思で物語りを作ればいい!
だってハリウッド映画なんかストーリーは陳腐で、ほぼCGだろ?制作やめて、ドラッグ作ったらいいやん!ってアリ・フォルマン監督の声が聞こえたような気がしました。
ロビンはある意味ユートピアにいます。でもユートピアなんですが、どこか違和感があって不穏な雰囲気があるんです。
ここから目覚めた!が、しかし夢。目覚めた!が、しかし夢の繰り返し、アニメと実写の使いわけで、現実と幻想の境目が分からなくなる、多層世界に引き摺り込まれます。
そんな中で、ロビンを現実に引き留めるのは息子への愛です。
流れる「forever young」の歌詞が、テーマに深く関わっています。
私はこの曲を勘違いしていました。若くありたい女性の歌じゃないんだ!
久々に脳内をジャックされました!
映画を観てる時は、私の次元でも、映画の次元でもなく、双方の次元が融合して別のパラレルワールドができあがる。そこに私はいるんだ!と、ずっと思っていたんですが、本作のアニメーションパートが、それを表現してくれて嬉しかった!
アリ監督が「誰もがパラレルワールドに生きていると考えています。良い映画とはこの2つの世界を一つにしてくれるものだと思います」と答えていて、やっぱり!分かってくれてる!と興奮しました。
また先日観た「チャッピー」と同じく、死の定義をどこにもってくるか?とか、そもそもそれすらなくなった場合、果たして人生の価値はどう変化するか?
未来を見つめて、考えさせられました。最近、未来ばかり見ています(笑)
本作は、去年「東京アニメアワードフェスティバル」コンペティション部門でグランプリを受賞しましたが、やっとやっと配給会社さんがつきました。良かった!
実はお話した通りハリウッド批判をしておりますので、当然出資は得られず。アリ監督は、イスラエル・ドイツ・ポーランド・ルクセンブルク・フランス・ベルギーで資金集めし、そしたらその国にお金を落とさなくてはいけないので、アニメーションを各国に発注したようです。
当然、絵にばらつきがでます。その調整が大変だったようですよ。
ほんと、配給会社の「東風+gnome」さん、拾ってくれてありがとう!
実はアリ監督には少し思い入れがあります。前作「戦場でワルツを」も衝撃的でしたが、そうではなくて。
「日本でヒットして欲しい。日本にはSFファンも多いし、変な人も多いから」
みたいなことを言ってて、またまた監督分かってるなーと、変人の私は大興奮です。
公開を例の30年待ったハリウッド映画と同じ日にしてるのにも、配給会社さんの気概を感じます(勝手に)。
とにかく、全力でお勧めします!!
劇場を出た後に見るビルや草木や人間が幻に思える
シネマテークが上映してくれたおかげで、名古屋でも鑑賞できた。この狙っていない難解さが堪らなく心地よい。面倒なので現実か幻かなどこの際どうでもよい。
絶妙なバランスで悪趣味に仕上げられたアニメパートは普段の退屈な日常から解放させてくれる。私からすれば映画を見ていない現実こそ悪夢そのものなので、こういうバッドトリップ映画は心の救いである。
アートでおしゃれな映画だったらどうしようと不安だったが、いざみていると真面目でかなりしっかりしているけど、やっぱり馬鹿な面もあるヘンテコな内容で満足。
誰にも薦める必要はないだろうが、「俺は好きだよ?」と言いたくなる嫌いになれない映画なのは確かである。
バッドトリップ感は味わえる
ほぼ予備知識なし劇場で鑑賞。
始まってから話がどっちに進むのかと思っていたら、オオッという感じで中盤パートに侵入。こちらの戸惑い、困惑をよそに物語は進む。そして終盤に再度驚きがあり、考えさせられるラストへ。
ううむ、これは変だ。ここ数年で1,2を争うぐらいの奇妙な映画。解説とか読まないとわからない系。柳下毅一郎が監修してると聞いて観ようと思ったのだけども。
アニメパートがタッチも好みでないし、技術も高い訳ではなく正直眠たくなった。間延びしたシーン多いと思う。
前半出てた息子やアル(ハーベイ・カイテル)が後半絡んで来ないのも残念(そこが良かったのに)
テーマは面白いし実験的精神は嫌いじゃないのだが、映画としてまとまりや完成度を考えると星2つってとこです。
この映画が警告してるのは「今」
変わっていてとても面白い映画だけど、ちょっと人には勧められないなー、と思った。エンタメ的にやってはいけないことをいろいろやってる。
複雑な状況や世界観を長〜い会話だけで説明しようとしてたり、起承転結がちゃんと構成できてなかったり、テーマがあっちこっちいって整理されてなかったり。
前半は、人気俳優の姿をスキャニングして、そのデータを使って3DのCGに演技させるから、もう生の俳優は要らなくなる、という話で、正直それほど目新しい話題でもない。
問題は後半で、世界中がアニメの世界になっちゃって、現実なのか幻覚なのかわからなくて不安で今上を向いてるのか下を向いてるのかわからないような、サイケなトリップにひたれる。
これって、未来のディストピアを描いているようでいて、実は現代の現実社会そのものの暗喩なんじゃないだろうか。
僕らは考えてみれば、世界をほとんど概念とか記号でしか認識してないように思う。その方が脳みそが楽だからだんだんそうなってしまうわけで、本当に世界をありのままに見ようとしたら非常にしんどい。
たぶん、風景画を描く、みたいな機会でもない限りは、見たものを見たままに認識するのは不可能なんだろう。
アニメの世界ってのは、概念と記号だけの世界だから、現代人のほとんどの人はアニメの概念化された世界に生きてるようなものだ。
この映画の中で、アニメの世界に入ってるときの不安感は半端ない。いったい現実では何が起こってるの、って思う。まるでピンぼけしたカメラのレンズを通してるみたいで、頭がぼんやりする。
でも、実は現実世界でもピンぼけした状態であって、もっと記号や概念で考える「手抜き」をしないで、世の中をありのままに見る努力をしないといけないなー、と思った。
追記
最後、主人公が残りの余生をアニメの世界で生きることを決めたあと、それまでの人生のすべてを再び自分を主人公とするアニメ作品として再体験する。
そのあと、現実では出会わなかった、ライト兄弟の飛行機に乗った息子と再会する。
これが、はたして主人公の幻想に過ぎないのか、それとも本当にアニメの世界で息子に再会できたのかが気になる。
しかし、主人公からすれば、それはどちらでも変わらないのかもしれない。この世界ではフィクションと現実の境界は曖昧で、区別する必要すらない。
また、この映画のようにアニメの世界にいなかったとしても、誰でも主観的世界に生きているのだから、他人が何を考えているのか、心と心が通じ合っているのか、というのは思い込みと想像に過ぎない。
こういう「そう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな」という考え方を良しとするのか、それとも、自分がヒーローになれるわけではない、つまらない現実の世界で、世の中の無意味さを直視して生きるべきなのか。
これって、エンデの「果てしない物語」で、現実に戻ってこれなかった帝王達のことなのかもしれない。
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