「簡単には変えられない認識」ザ・トライブ よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
簡単には変えられない認識
聾唖者たちの物語である。全編セリフなし。外国映画ではあるけれども字幕なし。BGMもない。
登場人物たちの会話は手話。音声から聞こえてくるのは、足音や扉を閉める音。我々の生きている世界から人の声を消去すると、おおよそこのような世界が広がるのではないと思わせる。
しかし、このような世界に生きる聾唖の若者たちは、身も蓋も無いほどに人間社会の欲望を体現している。
人の声が聞こえない分、人の世の灰汁に触れることも少なかろうという、障害者への眼差しはここにはない。むしろ、彼らの金銭や性への欲望はあけすけに描かれる。
そしてなにより非情なのは、聾唖学校の寄宿生の社会には厳然とした階層が存在することである。寄宿舎の部屋によって所属階層は明らかで、逆に階層からの脱落は、部屋を移らなければならないこととして描かれる。
もしも、障害を持った若者たちが平等に仲良く生活を送っているなどという甘ったるい幻想を観客が抱いていたとすれば、この幻想は徹底的に粉砕されるだろう。そこには、障害者の存在もその一部であるはずの人間社会の残酷な一面が描かれているのだ。
衝撃のラストは、主人公が彼ら聾唖者自身の弱点を突いたもの。彼は自分が生きている社会の矛盾を暴力で一気に解決することを選ぶ。
映画は終始問いかけてくる。我々の社会は彼らを内包しているのか。この物語は我々の世界の物語なのか。それとも別世界の話なのか。聾唖者たちを素材にしながら、映画が我々の生きている社会を映していることは間違いない。
聾唖者がこの映画を観たらどんなことを考えるのだろう。このような問いが頭に浮かぶ時点で、私の固定観念はまだこの作品を観る前と変わっていない。障害者への眼差しが固定化され変化させることが難しいものであるという自己認識を迫られる。