劇場公開日 2015年4月11日

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「今年もウディ・アレン」マジック・イン・ムーンライト ささめつばささんの映画レビュー(感想・評価)

3.0今年もウディ・アレン

2015年7月13日
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鑑賞方法:映画館

楽しい

単純

幸せ

女優の魅力を引き出すという並大抵のことではない。どんなに美しい人でもオールマイティーとは絶対にいかない。役柄にしろ、化粧にしろ、服装にしろそれぞれがうまく均等に配分されなければそれは映画ではなくなる。なぜならば、あのような大画面に晒されるわけなのだから素人にも審美眼がなくとも判断されてしまう。
ウディ・アレン監督は女優の生かしかたを誠に心得ているように私は個人的に捉えている。性癖が似ているんじゃなかろうかと指摘されたこともただあるが、それは恐れ多いというものだ。監督は教養はしかり、実生活しかり、センスしかりとどれもこれもそこには彼にしかだせない妙技がある。なのでウディ・アレン作品のジャンルはと問われればウディ・アレンだといっても差し支えはないだろう。そんなウディ・アレンの最新作を遅まきながら鑑賞してきたのだが内容はともかくとして主演女優エマ・ストーンがやはり美しく撮られていた。しかし、女優というものの見せ方を80歳を間近だというのに分かるというのは畏怖の念を抱く。確かに人によって好みというものがあるのだ、これは違うなと印象を受ける人も唯あると思うがこの映画を見ていて一度もエマ・ストーンに何も感受しない人はいないだろう。それは主演女優だから当たり前じゃないかと言われるかたもいるだろうが、その普通の事ができないのが邦画の昨今の現状である。ここで、ちまちまとマスタベーション的な持論を展開することはしないがこの事柄に感して共感してくださる方がまったくのゼロということはないだろう。
エマ・ストーンは本映画の中で様々なお洒落を魅せてくれ。舞台が第二次大戦前ということで古風な部分もないわけではないのだがそこにこそばゆい美がある。例えば代表的なものを挙げればそれは麦わら帽子だろう。麦わら帽子というものに私は以前からやぼったさや田舎の象徴的なもの、あるいはナルシシズムを勝手に描いていたわけなのだがそれを一掃された。海と光、そして笑顔。これらには実に麦わら帽子が映える。私は映画を観ていながら寺山修司の歌を思い出した。海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり。私は一人、スクリーンの前で身震いしてしまった。他にもドレスや水着、びしょ濡れ姿を見せ間てくれるがこれらもどうように少女趣味が過ぎるかもしれないと疑われるかもしれないが美しくものは美しいのだから仕方がない。
内容について最後に述べるが、このシナリオは説明するまでもなく理路整然としたものなので控えたい が一つのだけ言わせてもらいたい。それは相変わらずの安定感あるドラマであるということだ。何だかんだ私はウディ・アレン作品を20本くらい、まぁ半分程度なのだが鑑賞しているとおのずと引き出しの中身が見えてくるわけなのだかその中身をうまく配置しているなと再実感した映画であるということが言いたいわけです。なので、新しいものを映画に求める人はお門違いである。この映画は映画というものを鑑賞する時間を楽しむための映画である。また、昨今の映画に悪態をつくことになるのだがメッセージ性や意味を問われる時代に成りすぎていると思う。かくいう、私もそうなのだが。だからといって、本作のウディ・アレンの映画が羊頭狗肉なものになっているわけではない。それなりのお馴染みの人生に対する謳歌が歌ってある。ただ、先程、前述したように新鮮味がないとうことだ。だが、映画の醍醐味は充分に満喫できるが大作ではないのでカタルシスは感じられない。でも、映画っていいなと思わせるその力量はさすが、ウディアレンである。支離滅裂ですが、以上とします。すいません。

ささめつばさ
はなおさんのコメント
2015年7月25日

100パー同意。微妙なニュアンス含めまさにその通り!

はなお