母と暮せばのレビュー・感想・評価
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親思う心にまさる親心。悲しい中にも温かい、絆の物語。
【賛否両論チェック】
賛:戦争を生き延びた人々の悲哀を、登場人物達が見事に醸し出している。母と子のお互いを思いやる気持ちにも感動出来る。随所に垣間見える戦争への批判も印象深い。
否:かなり説明口調のセリフが多いので、違和感を感じる人もいそう。内容的にも、同じようなシーンの繰り返しなので、好みが合わないと退屈すること必至。
出兵や原爆で、数え切れないほど多くの人が大切な人をなくし、悲しみに暮れていた時代。生き残ったことで自責の念に駆られたり、いけないこととは分かっていても、幸せな他人を見ると、
「代わりに自分の子供が生きていたら・・・」
と考えてしまったりする。そんな人々の苦しい胸の内を代弁するかのように、伸子や町子が織り成す人間模様が、とても儚く描かれていきます。そして、そんな伸子に優しく寄り添い、努めて明るく振る舞おうとする浩二の姿もまた、切ない中にも温かい光を照らしてくれるようです。2人のかけ合いも微笑ましく、言葉の端々に、母の愛と息子の愛がにじみ出ていて、すごくステキです。
ただやはり、どうしても伸子と浩二が昔を回想するシーンがやたらと多いので、異常なくらいの説明セリフが続いて、違和感を感じる人もいるかと思います。展開もかなり単調かつ長いので、思わず眠くなってしまうかも知れません。
好みは極端に分かれそうな作品ですが、反戦の想いが詰まった作品だと思います。是非この機会にご覧になってみて下さい。
母になってしまった吉永小百合。
井上ひさしの戯曲に「父と暮せば」という作品がある。黒木和雄監督が映画化した。
本作は、そのアンサームービーの位置付けになっている。
山田洋次監督の反戦に対する思いは並々ならないものと、今さらのように思う。
オープニングの原爆投下のシーンは、全世界の人に見てほしい。
原爆で失った息子が、母の前に現れる。
本作には戯曲はないはずだが、ひょっとすると井上ひさしの草稿があったのかもしれない。
極めて演劇的である。
息子の二宮和也もよくしゃべるが、母の吉永小百合も負けずによくしゃべる。しゃべるだけではなく、よく笑いよく泣く。
「父と暮せば」にあった、生きていて申し訳ないというモチーフは、黒木和雄はまともに自分のことでもあったし、主人公が体現していた。
本作では町子(黒木華)が背負っていた。
山田洋次は、基本的に人間賛歌であり、それが母子の喜怒哀楽に表れている。
戦争のことをほんとに考えなければならない。
もし、戦争さえ無かったら…
今年は多くのハリウッド大作が公開されたが、邦画にも良作が多かった。
ざっと挙げるだけでも…
「日本のいちばん長い日」「駆込み女と駆出し男」「幕が上がる」「海街diary」「ソロモンの偽証」「バケモノの子」「風に立つライオン」「くちびるに歌を」、まだ未見の作品で気になるのは「あん」「恋人たち」「ハッピーアワー」などなどなど。
自分がアカデミー会員だったらとても5本に絞りきれない!(>_<)
そんな豊作だった今年の邦画の劇場鑑賞トリとなる本作も!
井上ひさしの戯曲「父と暮せば」と対となる物語を映画化した山田洋次監督最新作。
長崎の原爆で最愛の息子を失った母の前に、息子が幽霊となって突然現れ…。
山田洋次初となるファンタジックな要素を含みつつも、監督の持ち味である家族ドラマ、人情、反戦が込められ、これぞ山田作品!という仕上がりに。
幽霊となって現れてもお喋りな息子。飄々としてて、ユーモアを挟む。
普通なら驚く所だが、そんな息子をすんなり受け入れる母。いかに息子を愛していたか、再会出来たその喜び。
主に茶の間の会話劇となる二人のやり取りで、母と息子の関係を丹念に描写する。
また、結婚を誓いながらも果たせなかった恋人との関係にもホロリとさせる。
山田洋次は家族モノ人情モノの名匠と言われているが、反戦映画にも長けていると思っている。
前作「小さいおうち」でもさりげなく込め、「母べえ」は庶民の立場から戦争の悲惨さを訴えた傑作。
本作のメインメッセージであろう“戦争によって失われた親子の絆”は、まさにその真髄。
もし、戦争が無かったら…。
この温かい母と息子の関係は自然の流れで母が寿命を全うするまで続き、恋人とも結婚し、平凡でありがちだけど幸せな一生を送っていたに違いない。
戦争が全てを奪った。
戦争が多くの命を、大事なモノを奪った。
多くの人に、一個人に、深い傷を負わせた戦争は、一体何だったのか。
去年の「ふしぎな岬の物語」は個人的にコケたが、山田作品に映る吉永小百合はしっくり来る。
が、今回の金星は若い二人ではなかろうか。
「武士の一分」のキムタクに次いで山田作品二人目となるジャニーズ、二宮和也。母親思いの息子を好演。
母と息子の物語に、息子の恋人役で一際の感動を織り込む黒木華。今年は良作続き、個人的に助演女優賞を。
泣けると期待して見ると、意表を突かれる。
何故なら作品には、悲しみと苦しみが覆い被さっている。
戦争から生き逃れた者は、いつまでも過去を振り返ったままではいけない。
何かを諦め、思い出を断ち切って、この命と共に新しい人生へ。
その一方…。
結末は、見方によってはハッピーエンドでもあり、悲劇でもある。
明暗分かれた残された命。
少々辛辣ながらも生への温かいメッセージ、そして戦争が起こした悲劇…。
終戦70年目のトリを飾るに相応しい秀作。
また、今年母を亡くした自分にとっても、このタイトルや物語は胸に迫るものがあった。
ちょっと気持ち悪い・・・
予告を見て、正直観るタイプの映画ではないと判断できたが・・・
黒木華に外れなしと見て、観に行った。
全編、ただただ、長い説明セリフで疲れた。
この映画はそういうタイプの映画だと思って観るほかなかった。
最後はレビューをあらかじめ見ていたのでだいたいの予想はできたが、まぁ、あんなものか。気持ち悪かったけど。
その前の件で、母親の一言、結局それを言っちゃうの?・・・と思ったが、最後のシーンへのつながりとしてはああなるのか。どうせファンタジーなのに正直、言ってほしくなかった言葉ではあるが。
「なんであんたが生き残ってうちの子が死んだの?」的な遺族の対応は正直、辟易する。なにかパターン化してませんかね。嫉妬と怨嗟の多い日本人的とも言えなくもないが・・・
作品的には必要以上に大きいスクリーンに感ずる・・・
ただただ長かった
実は、最近泣いていないから、今日はトコトン泣いてやろうなんて、変に気合い入れちゃったせいですかね?
それとも?
親子の会話がずっと続いていただけだったのと、設定に??を何度も感じてしまい、結局感情移入できず、泣けませんでした。
消化不良です。
理性と感情の相克
この映画は反戦であると同時に、人間という生き物がもっている内面の二重性をも描いた映画といえるのではないか。
たとえば、死んだ息子。
フィアンセのことを愛しているなら解放してあげれば、という母親のことばに反抗する。でも、次の場面ではほんとうに自分以上に町子のことを愛しているならそれでもいいよ、という。そんな奴いないと思うけど・・・とも。
たとえば、その母親。
フィアンセが悩みつつ結婚相手をつれてきた後、息子にいう。なんであなただけがひとりぽっちにならなければならないの、と思わず叫んでしまう。その声を聞いて自己嫌悪に落ちいる。
たとえば、フィアンセの町子。
おかあさん、そんなこと言わないで、私は浩二さんに一生添い遂げるのだから。それでも、新しい結婚相手をつれていく。そして、帰りしな母親を抱きしめて、ごめんない、ごめんなさいと泣く。
この心の揺れこそが大きな見所だろうと思う。
国策によって、翻弄されるひとたち。ひとりひとりの人生。
そして、ここに登場する役者たちにも拍手を送りたい。
母親(吉永小百合)、息子(二宮和也)、フィアンセ(黒木華)の3人だけでなく、結婚相手となった浅野多忠信や、闇市から運んでくるおじさんの加藤健一の存在感、父親の消息を聞いた女の子本田望結のけなげさなど、みんな素晴らしかった。
最後のシーンは賛否両論あるが、過酷な生活を送ったひとたちに対する山田監督のやさしさだろうと、僕は解釈しました。
婆さんと、オッサンと、オーバーアクション。
三十路を越えたオッサン(劇中では十もサバを読んでいるが)が、母親(もうお婆ちゃんにしか見えない)の目の前でその布団に入って現れ、「あぁ…母さんの匂いだぁ」と言うのを観せられどう思うかが分け目の一本。
自分には其処が気持ち悪すぎて、とにかく泣くどころではなかった。
ネームバリューは別として考えて、せめて役柄に近く違和感ない俳優を邦画は使うべきだと思う、せめて。
吉永小百合氏の演技が上手いと思ったことは、過去作を観てきても一度もない(「画面の華」の人だし、近年は実年齢と乖離した役が多すぎるのもある)し、別に二宮氏の演技力に不満があるわけでもない(「青の炎」「STAND UP」の頃は最高だった)けれど。
とにかく「舞台劇」のような演技が過剰で非常にうるさく感じた。
そこに「私は自然体です!」と常に不自然な空気を纏う黒木華(舞台ならばそれでいいかもしれないけれどね)が出てくるから。
炭水化物×炭水化物の食事のように、くどい事この上なく。
そして冒頭の試金石。
何がしたいのか、言いたいのか。
旦那や長男坊には見向きもしない、歪んだ母親のはらむ狂気?
他でもない自分が言ったことを、あっさり捨てて自分を可愛がる雌のしょうもなさ?
ただただ解らない、山田洋二監督らしからぬ難解さといったら。
加えてあのラストの笑撃の演出…
頭が痛くなった、本当に。
長崎をネタにした近年でも類を見ない、邦画の珍シーン。
過去の意地と約束があるとはいえ。
実力の無いメリル・ストリープはいい加減そろそろ脇へ回ろうよと思った作品。
メリルは主演は譲らなくても、婆さんの役はやるからね。
♪映画「母と暮らせば」の活用法?
このお話の感想をどうシェアしようかと考えた時、ふと思ったのが、「お手本」…。
…モデリング(マネ)の対象にしてはどうかと言うことです。
では、何の「お手本」か?ですが、
今の社会、親御さんが代々続く「安全基地を持てない」ことによるハンディキャップ…自尊心の低さの為に自分の「安全基地」を持てない子供が増えていると感じています。
安全基地とは、そこに戻れば、安心できる、自分が守られていること、愛されている事を再確認出来る場所です。
無償の愛を感じることが出来、自分が認められ、許され、肯定される場所。信頼できる相手が存在する場所。
そんな安全基地として吉永小百合さんが演じたお母さんは、一つのモデルになると感じました。
そして、その安全基地的なお母さんに育てられた、二宮和也氏演じる次男がどんな子に育ったかは安全基地の大事さを理解するのに役立つと思います。
明るく、笑顔絶やさず主体的に愛情を注ぐ事ができる子。
遠慮無く、自分の気持を表現できる子。
もちろん、映画の中のお母さんも、次男も完璧ではないので、問題もあります。
…生きて幸せを謳歌している人を見て嫉妬してしまったりとか、
…大事にしていた存在を失う悲しさ故に相手の自由を束縛しようと
したりとか。
でも、”安全基地”があるからこそ、そんな葛藤という新しいことへのチャレンジができ、徳を積む的な私たちの原点に戻り、相手にとっての幸せのために何が一番いいのかを理解し、…自分の中に感じた奪われる恐怖から脱することができます。
…もし、そんな安全基地を知らないという人がいるなら、ぜひ、この映画の中の二人を真似ることで、まず、自分自身の安全基地を目指しては、と思いました。
この二人も、その周りの人々との関係、つながりも、全て参考になると思います。
安全基地の影響力は、代々受け継がれます。
江戸時代には、安全基地だらけだった日本も、明治維新後に出来ること、表現することの自由を奪われ、人間関係のつながりを奪われ核家族化、個人主義で自立するための忙しさ(心をなくすこと)
に没頭される中で、
…競争を通して様々な怖さにさらされ、人や自然とのつながりを絶たれ、多くの安全基地が失われつつあります。
それでも…
「安全基地は、私から復興させる」
今、生きづらさに苦しまれている方も、これからお母さんになられる方にも、ぜひ、そんな覚悟を持っていただきたいという願いを込めて、この映画をオススメしたいと思います。
若い人に戦争や原爆投下問題を考える契機の一つとして推薦
上さんが気分転換で映画を観たい、と言っていたのですが、今週、特別チェックの映画はなかった状況でした。年寄りの身で、今更、典型的ハリウッド映画の代表のような「スターウォーズ」は観たい気がしませんでした。上映中の映画の中、消去法で考えたら山田洋次監督の「母と暮らせば」が残りました。
長崎原爆を含め戦争の被害を通じて当時のありふれた悲劇の一端が良く描かれていました。もっと戦争を知らない若い人たちにぜひ観て欲しい映画と思いましたが、映画館内は高齢者が目立ちました。台詞に重みがあって、全体に松竹映画の伝統を感じることができました。
映画の中で国力差が桁違いのアメリカと戦争した愚かさを2度ほど批判していましたが、国力が同程度だったら果たして問題がなかったのか、山田監督に聞いてみたいと思いました。国力の弱かった中国への侵略戦争はどうなるのでしょうか。戦争被害だけでなく加害の面も忘れることは許されないと思います。内外、数多の犠牲者の上に、戦後日本の平和と民主主義がもたらされたことを忘れてはならないと、改めて映画を観て思いました。
どうでもいい些細なことですが、映画の中で正月の切り餅が出てくるのですが、西日本では角餅ではなく丸餅のはずと思ったのですが、どうなんでしょうか。
笑いもあるけど悲しくて切ない
原爆で亡くなった息子が亡霊となって現れて…親子の温かくてほっこりするようで所々笑えるようなシーンもあって。
だけど彼はもうこの世の者じゃない。
最後にはやっぱり悲しみのほうが残る温かいけど悲しくて切ない映画。
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