劇場公開日 2015年12月12日

「失った人、失った時間」母と暮せば ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0失った人、失った時間

2016年1月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

知的

劇場で鑑賞してから、本作のHPを見てみました。
ああ、なるほど、と「微妙に納得」
井上ひさし氏には「父と暮せば」という作品があります。
宮沢りえさん主演で映画作品にもなりました。舞台は原爆が落とされた広島。ならば、二発目の原爆が落とされた長崎を舞台に、作品を作らねば……。
それが「原爆」という、人類史上類を見ない虐殺兵器を、作品のモチーフとして扱ってしまった作家の義務である、と井上氏は強く思ったことでしょう。未完のままで自分は死ねないのだ、広島を描いておいて、長崎に生きた人々を描かないことは、創作者として、けっして許されないのだ、という強い想いがあったのだと思います。
その井上氏の尊い遺志を引き継いだ形で、山田洋次監督自らオリジナル脚本を書き上げたようです。これは山田洋次監督としても、大変なチャレンジでしょう。
井上ひさし氏、お得意の戯曲形式。舞台劇を強く意識した体裁で、本作「母と暮せば」は制作されております。
映画を見慣れた方なら、お分かりになると思います。
本作の特徴は、なんといっても
「長セリフ」
に尽きると思います。
山田洋次監督は、日本映画界の巨匠です。映画の、ど素人である私が言うまでもなく、映画という芸術作品をどのように構築して行けばいいか? そんなイロハは、もう「映画職人として」体に染みついているはず。
たとえば「ここは観客の皆さん、泣いてくださいよ」と「わざとらしく」センチメンタルに演出する。そういうことはしない人だろうと思ってきました。
ところが本作では、あきらかに「セリフによって」「泣かせよう」という意図が見え見えの演技があるのです。もうそれが「臭いぐらい」分かっちゃうわけです。
もう一点、長セリフに関連して
「説明セリフ」
の多用が本作では特徴的です。
作品を見ていて、まさか「あの」山田洋次監督がこんな稚拙な手を使ってくるとは?! と当初僕は仰天しました。
普通、映画の主人公が、作中の相手や私たち観客に思い出などを語るとき、冒頭のセリフをきっかけにして、あとは映像として引き継ぎますよね。
たとえば「あのとき私は……」と主人公が語り始める。
そのあと回想シーンが始まる。
当時の風景。客船であろうが、鉄道の駅であろうが、映画ならなんでも登場させられる。
そこに生きた当時の人々の息づかい。その時代の衣装、服装。
その中でクローズアップされてゆく、劇中の登場人物。キャメラはそこに寄って行きます。さあ、どんなドラマが始まるのか……と、まあ、こういうのが典型的な回想シーンのやり方。
映画の魅力と、映画のもつ最大の説得力とは何か?
それは「時間と空間を切り取った”映像”を自由自在に編集できる」ことに尽きると思います。
どの時代の、どの背景の、どの人物の映像なのか、それを編集という映画特有のマジックにより、一瞬で時空間を飛び越えることができます。
しかし、驚くべきことに、本作において山田洋次監督は、その映画文法そのものを、かなぐり捨てることに挑戦したのだ、と私は解釈しました。
本作の主人公は吉永小百合さん演じる福原伸子。長崎の原爆で医大生の息子、浩二を亡くし、悲嘆にくれる毎日です。
そこに、ある日あの世から、息子の浩二の幻が現れます。許嫁の佐田町子(黒木華)は今も無事であること。そして、母、伸子は、日々の暮らしでの想いを、浩二の幻を相手に語ってゆくのです。
本作において山田洋次監督は、前作「小さいおうち」に引き続き、黒木華さんを抜擢しました。
僕は「小さいおうち」を劇場で鑑賞しました。黒木華さんの、昭和初期の古風で丁寧な言葉使い、イントネーションで話される「長セリフ」
これは実に魅力的でした。
彼女はこの作品で、第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を獲得します。
本作「母と暮せば」を構想するにあたり、山田洋次監督の頭の中には「黒木華」という女優の長セリフの気持ちよさ、佇まいのよさ、というのが大きな前提としてあったのではないか? と僕は推測するのです。
長セリフをやめて、従来通り、映像で語る手法をとるのは「安全策」です。
映画製作50年以上のキャリアを持つ山田洋次監督にとっては、実にたやすいことであったでしょう。
しかし、山田監督はあえて新たな冒険を試みています。
説明セリフでどれだけ映画作品が成立するか?
巨匠と呼ばれる映画監督が、未だに新しいことに挑み続ける、その姿勢こそ、本作の最大の見所なのかもしれません。
また、商売上手のちょっと怪しいおじさんを演じた、加藤健一氏の名演に拍手を送りたいと思います。
本作においては吉永小百合さん演じる福原伸子、また、黒木華さん演じる佐田町子の登場シーンにおいて、ほぼ回想シーンがないのです。全ての時間はもう、二度と過去に戻らないのです。
歴史上起こった事件、戦争は、もう引き返せない。時間は一方通行なのだ、という当たり前だけど、大切なことを思い知らされるのです。
現実とは残酷なものです。
将来の残酷な結果を見たくなければ、時代の流れ、時代の節目に、しっかり立ち止まって考える勇気を持っていたいものです。

ユキト@アマミヤ