劇場公開日 2016年7月29日

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「ん? 待てよ。 絶賛できない粗がボロボロと…。」シン・ゴジラ とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5ん? 待てよ。 絶賛できない粗がボロボロと…。

2021年12月20日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

単純

寝られる

なすすべのないように見える想定外の事態に対して、政府は、世界はどう動くのか。
震災の経験を踏まえて、
献身的に事態の収束のために動いた人々を描くことで、讃え、
スクラップされても、この国は立ち上がれるというメッセージを込めた作品。

と、テーマは素晴らしい。

でも、おままごとに見えるのはなぜ?

 ゴジラは『ゴジラ(1954)』とギャレス監督『GODZILLA ゴジラ』のみ鑑賞。
 エヴァと岡本監督『日本のいちばん長い日』未見。

前半の、政府が迷走する様は、コメディの様で、ありえそうで、その展開=目の付け所に唸った。
 何が起こっているのか把握しきれず、でも対策を講じなければならず、困惑する大臣たち。
 その一方で、粛々と対策本部室を整えていく役人たち。
 情報伝達の有様。実務に伴う懸案事項。意志決定の有様。
 資材がすぐに用意できるのは、日ごろからどこに何を頼めばよいか、把握しているからであろう。
 総務・人事…。
 『踊る大捜査線』を思い出すというレビューもあったが、
 私は『12人の優しい日本人』や『博士の異常な愛情』を思い出しながら見ていた。
演技力の定評のある役者たちの演技に支えられて、情報は混迷しつつも、テンポよく見せてくれる。

そして、ここで、石原さん演じるカヨコ登場。
総てが絵空事・学芸会の世界になる。
イーオンで鍛えた英語を駆使して、高飛車なエリートの役作りをなさっているのだが、
かえってそれが裏目に出て空回り、コメディにすら見えない。

そして物語も設定のための設定となる。
 ゴジラの出自、牧の動向…USAを絡ませる、カヨコを登場させるための設定?
 『ゴジラ(1954)』での、ゴジラの誕生や芹沢博士になぞらえているのだろうが、まったく映画の中で活きてこない。「牧教授は人類を試した…(思い出し引用)」という台詞があるが、とってつけたよう…。

 それでも、巨災対のメンバーの、これまた、演技力に定評のある役者たちによって、”研究”という地味なシーンも見どころあるものになり、
 政府側では、平泉氏演じる里見の、ボケ的なニュアンスを醸しながらも”トップ”の想いが印象に残る。

ここでも、安易な作戦。
 B-2の攻撃後に光線を発し始めたのだから、原爆を落としたからと言って、死ぬとは限らず、かえってさらに攻撃性のあるものを開花させる可能性は検案されない。もともと、放射性廃棄物に適応進化した生物と設定させているのに…。ギャグか?
 ”究極”の設定にするための設定?

 そして、ヤシオリ作戦。
 USA軍機・新幹線・在来線・重機・爆破。ジオラマを見ているようで楽しい。『しょうぼうじどうしゃ じぷた』の世界や、『シンカリオン』のように変形はしないが、プラレールで遊んでいるようで、テンションが上がる。
 ここは、四の五の言わずに、童心に帰って楽しむしかない。

と、ツッコミどころもあるが、見どころもある。

映像も、『ゴジラ(1954)』のオマージュ?と言えるようなところもたくさんある。
(東京タワーは素通りして、国会議事堂・銀座交差点襲撃もオマージュ?)
音楽は、もちろん、伊福部氏のものを多用。
ゴジラの造形もきれいで迫力ある。ポスターにしたいような映像もある。

けれど、なぜだろう。『ゴジラ(1954)』の方が怖い。
そして、痛みがない。
 『ゴジラ(1954)』と同じように、逃げ惑う人のシーンはある。避難するべく移動しているシーンもある。避難所のシーンもある。
 だが、すべてが、ニュース映像で見ているよう。どこか他人ごとなのだ。
 主人公である政府閣僚や巨災対メンバーは、現場に居ず、”安全”な場所にいるからか?
 事態を少しでも良くしようと、必死になっている様は描かれるが、熱量が伝わってこない。

『ゴジラ(1954)』は戦争体験と、原爆投下・水爆実験を体験した人たちの手で作られた。
だから、震災を経験した庵野監督たちは、この映画を作ったと、どこかで聞いた。
 でも、忘れていやしないか。体験の内容が違う。
 『ゴジラ(1954)』の関係者・観客は、ある者は従軍し、ある者は兵器開発に携わり、ある者は空襲で逃げ惑い、ある者は疎開していた。そして、ある者はその生活基盤や家族を失っていただろう。
 そして、庵野監督は、どこでどのように震災を経験したのだろうか?東京は、揺れ・地割れや建物にヒビが入ったところもあるが、基本無事だった。そして、東日本が震災・津波に飲み込まれる姿を繰り返し見させられた。その映像を”我が事”として観た人は多いが、”体験”したわけではない。

そして、もう一つの違和感は、働き方。
 未曾有の事態に、人々のLifeを守るために、献身的に働く人々。
 この映画では時間との闘いという縛りはあるが、
 昼夜間・0泊〇日で勤務することを尊いとしているって、なんてブラックな…。80年代の「24時間働けますか?」のノリ。精神論か?
 どういうふうに研究しているのか、素人考えだが、スパコンが解析している間、張り付いている必要はあるのか?
 最近の脳科学では、ちゃんと睡眠取らないと的確な判断が下せなくなるから、ちゃんと寝る権利ー昼寝だってー推奨されているのに。

 エッセンシャルワーカーに強いる負担。
 今現実的に起こっているコロナ禍でも、労働状況をと整えることなく、医療従事者・保育士・介護従事者に強いる負担。それでいて、少子化と問題視し、頓珍漢な支援策を打ち出す。
 けれど、これは、政府の無策の問題ではなく、この映画の登場人物の働き方を”良し”とする私たちの中にある価値観。それが、こうして世代伝達されていくんだなと心が冷え切ってしまった。

そして、根本的な信念として、核に対する曖昧なスタンス。

細かく考えると、ツッコミどころ満載な映画。
政府目線で、災害対策に物申す的な映画だが、ほころびがボロボロ出てくる…。

<追記2022.6.2>
どうして、この映画がおままごとに見えるのか、考えた。
 原爆・水爆を踏まえて、新しい発見が兵器利用されることを断固として拒否し、体現した芹沢博士。『ゴジラ(1954)』の真のテーマ。強烈なるメッセージ。
 今作には、このテーマ・メッセージに匹敵するものはない。
 オマージュを捧げた? 足元にも及ばない。

とみいじょん