「鑑賞後、「虚構」から「現実」へ再び目を向けたくなる映画。」シン・ゴジラ 平 和男さんの映画レビュー(感想・評価)
鑑賞後、「虚構」から「現実」へ再び目を向けたくなる映画。
元々、私は怪獣映画が大好きであり、新作怪獣映画が出るなら諸事情に邪魔されない限りはできるだけ映画館に足を運ぶ主義だ。
その私の眼からみて、世界の怪獣映画の現時点での最高到達点と言える。
(私の中でそれに非常に近い位置付けなのが、シン・ゴジラ登場より前の最高到達点であった初代ゴジラと、1995年からの平成ガメラ三部作、そして2001年のゴジラ(通称GMK)だ)
ゴジラの歴史に一旦ピリオドを打った『ゴジラ vs デストロイア』も大好きな作品なのだが、その劇中、スーパーX3に(一時的とは言え)完全に凍結されるシーンが有った。
そのシーンを見て
「劇中世界の人類が持てる知恵と力を振り絞った結果、ようやくゴジラを封印し得るところまでこぎつけた」という奇妙な感慨を抱くとともに、
「オキシジェンデストロイヤーのごとく過激な手段ではなく冷凍という穏便な手段で対処可能になってしまったあたり、ゴジラが弱くなってしまった様に感じる」という奇妙な残念さも感じた。
シン・ゴジラも「ヤシオリ作戦」で凍結されるが、
『 vs デストロイア』のゴジラが「凍結解除後もまだ打つ手が有りそう」と感じられたのに対し、
シン・ゴジラの方には「凍結解除される様な事態が有れば、今度こそ人類滅亡」という恐怖と絶望感が漂う。
それは、あのラストシーンを見た人ならおそらく同意する事であろう。
そういう意味で、今までのゴジラの中で最強(最凶)であり、
初代以上に「人間の手に余る超存在」として強く印象に残った。
劇中世界では「もしもゴジラの凍結が解除されたら1時間以内に核攻撃可能な体制」が維持され続けているが、果たしてシン・ゴジラを核攻撃したところで跡形も無く抹消できるものだろうか?
数万トン級の軍艦に対する核攻撃の影響を実験したクロスロード作戦でも核爆弾一発で完全消滅といかず、標的艦となった長門を始めとして多くの軍艦が原型を留めていたが、シン・ゴジラは軍艦よりもはるかに強大な耐久力を劇中で見せつけている。
たとえシン・ゴジラをツァーリ・ボンバ級の水爆で核攻撃したとしても
「一部の肉片が蒸発を免れ、そこから小型の群体(※)が際限無く増殖し、人類滅亡」という最悪の展開になりそうな気がしてならない。
(※劇中でも可能性が示唆されているし、あらゆる元素を変換して栄養にできるのだから、実質上無制限に増殖可能)
シン・ゴジラの世界が我々の現実世界にとっての『虚構』である事は言うまでも無いが、
ここで虚構から離れて現実に目を向けてみると、
【核保有国の思惑に翻弄される日本】という構図は、
あちら側の世界(虚構)とこちら側の世界(現実)とで、
何ら変わりない事が分かる。
また、どちらの世界においても、核保有国はもちろん非核保有国も、核兵器に対する心理的抵抗が年々薄くなっているように感じる。
私にとって『シン・ゴジラ』とは
「核兵器を持つ事による安全保障上のデメリットがメリットをはるかに上回る(※)のでない限り、人類が核兵器を捨てる事は有り得ないのだろうな」と、
改めて考えさせてくれる作品であり、
「その忌々しい状況を打破する方策の模索を諦めるべきではない」と
改めて考えさせてくれる作品であった。
(※正にその様な状況を作り出すニュートリノビーム兵器の実現可能性を真面目に考察した日本人物理学者が実在し、そのアイデアは本として出版されてもいるが、残念ながら、理論的には可能でも実質的には実現不可能である。――半径数十kmを超える超巨大加速器が必要だからだ。プラズマ加速方式などの新技術を導入すれば大幅に小型化できるだろうが、それでも、破壊工作に対して十分な対策を取れる程度に小型化するのはまず不可能だろう。仮に実現したとしても、今度はそのニュートリノビーム兵器自体が、核兵器よりも遥かに凶悪な『悪魔の兵器』となる可能性が高い)