「帰ってきたゴジラ」シン・ゴジラ futaai tokinezuさんの映画レビュー(感想・評価)
帰ってきたゴジラ
いろんなレビューを見ました。絶賛されてるものから酷評されてるものまで。人それぞれが映画に求めるもの、ゴジラに求めるものは違うと思うので、どんな感想を持とうが勝手だと思います。
ただ、個人的に許せないのが、ゴジラを知ったような口ぶりで、この映画のゴジラはゴジラでないと吹聴する者。
高評価するのはエヴァファンしかいないという、狭い見識しか持ってないくせに偉そうに語る者。
エヴァンゲリオン?知らんわ見たことないわ。(ファンの方ごめんなさい)庵野作品はこのゴジラが初めてです。でも、ウルトラマンが大好きな私は、おそらく庵野さんと似た趣向をもっているかもしれません。庵野さんの特撮博物館は、初めて関西在住である自分を呪ったほど、足を運んでみたいところでした。
ウルトラマンは、当時の円谷プロが極限まで創意工夫を凝らして作成した、特撮作品の金字塔です。今から見るとお粗末な着ぐるみだったり、突っ込みどころ満載のトンデモストーリーもあり。倒す必要あるんかい、何だか怪獣可哀想(笑)でもウルトラマンかっこいい(笑)戦闘機が飛んでるシーンも、たまにピアノ線見えちゃってるけど、カメラワークの工夫と操演技術の賜物です。そして、何より好きなのが、人類の希望をストレートに表しているところ(希望が一切ない、底なしに暗い回もありますがそれはそれで好き(笑))現実そんなに甘くない、分かってます。だからこそ、頑張った人々が最終的に報われる、ウルトラマンという救いがある。これがウルトラマンに限らず、特撮というものを楽しむ一つの観点だと思っています。
なんでゴジラのレビューでこんなにだらだらウルトラマンの話をしてるのか(笑)それは、この映画の後半は、とてもウルトラマン的な、それ人類頑張れーっいけるぞーっ勝てるぞーっそれいけーっ(笑)という声が聞こえてきそうな、特撮作品の王道を走り抜いているように感じた場面が多かったからです。電車ぶつけてゴジラ倒れるんかとか、経口注入で冷却剤入るんかとか、そんな無粋なセンスのない突っ込みいりません。ここは、ウルトラマンでいう最後の5分、絶望的な状況がウルトラマンや特別チームの活躍で一気に解決に向かう、1番スカッとするシーンなのです(笑)
私の感じたことが庵野さんの考えと同じかは知る由もありません。しかし、ウルトラマン好きの庵野さんだからこそ、あえてこういうご都合主義的な展開にしたんだろうな、と私は思っています。そこがたまらなくいいのです。
だから、エヴァだとかなんだとか黙らっしゃい。このゴジラがエヴァっぽいんじゃなくて、もともとエヴァがウルトラマンとかゴジラといった円谷特撮の色を出した作品なんでしょうが(エヴァ見てもいないのに断言しちゃってすみません^^;)
しかし、この映画はあくまでゴジラであって、ウルトラマンではない。ウルトラマンでも社会に対する問題提起という作品は多々ありますが、観客に考えさせるメッセージ性という面では54ゴジラには到底及ばないと思います。
54ゴジラでは、核の恐ろしさ、それを作った人間の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ(ゴジラが歩いたあとは、空襲をうけた街のよう)を余すところなく表し、私たちが自らの未来をどう進むのか、という重大な問いかけをしています。
ゴジラ映画は、この54年のゴジラ以降、怪獣プロレスになったり、公害のシンボルと戦ったり、またまた恐怖の象徴となったり、メルトダウンを起こして消えたり、怨霊の権化となったり、色んな姿を見せてきました。映画とは、エンターテインメントの一つです。54ゴジラでも、観客が国会議事堂の崩れるシーンで拍手喝采をしたりと、楽しみながら見られたらしいです。その時代時代をうつしながら、現代までなんとな受け継がれてきたのがゴジラという作品なのです。このゴジラはなぁ…というものも正直あるのですが(笑)でも好き(笑)
要は、ゴジラはいろんな顔があり、その全てがまごうことなきゴジラであるのです。一部のゴジラしか知らない、そして勝手にゴジラとはこういうものだとしったかぶりをしている者は、ゴジラを語る資格はもたない。
今回の映画は、特に54ゴジラをモチーフとした、極めてメッセージ性を重視した作品なんだと理解しました。これが、怪獣プロレスでもある程度楽しんで見られたと思いますが(笑)その、メッセージ性を重視した作品として、このゴジラは本当に完成度の高いものだと感じました(こういう表現は上から目線的で好きでないが)。1954年はまだ生まれてもいないので、耳から得た知識でしかありませんが、現実の脅威として核実験が大きく注目されていたと言われます。だからこそ、54ゴジラは核実験によって住処を奪われた太古の恐竜という設定であり、山根博士がラストで「核実験が続けて行われるなら第2第3のゴジラが現れる」と言っているのです。
では、今の日本の脅威は何か。異常気象による土砂崩れや洪水、地震といった自然災害。原発事故にともなう核汚染、放射性廃棄物の処理問題。今回のゴジラはそのすべてを表していたように感じます。まぁ、核関連はなくてもよかったけど。54ゴジラが扱った問題が核に関してだったからといって、ゴジラだから核を扱わないといけないとは思わない。その社会での問題を映すのがゴジラやと思うから。
人知を超えた神の所為ともいえる破壊力、まさに私たちをこれから襲うであろう大地震ではないか。なすすべなく人々を飲み込んでゆく津波、理不尽な自然の営みではないか。なぜ日本にくるのか、科学的には説明できるのかもしれないが、私たちはただ蹂躙されていくのみだ。このゴジラがなぜ日本に来るのかという理由づけかないとか言って、そこがゴジラっぽくないとか言っちゃってる意見もあるが、私はそんなものいらないと思っている。自然災害は、理由なく私たちを襲う。そこに意志などない(あったらもっと怖いわ)。ただ自然はそこにあり、時には人々に恵みを与え、時には人々に災厄をもたらす。日本人の古来からもつ「神」とは、まさに日本の自然そのもの。ゴジラとは大いなる自然であり、「神」であると、この映画では表されていたと感じます。
映画のラストで、ゴジラは完全に消滅せず、また活動を開始するであろうことが示唆されていました。これも、大いによかった。私たちは自然やそれにともなう災害を根絶することは不可能です。災害は必ず起きる。それにどう対処するのかが、私たちの考えるべき課題です。この課題を政府のリアリティあふれる危機管理体制や呆然と佇む人々を映し、停止したゴジラの姿をはっきり残すことで、私たちに突きつけているのだと考えます。停止したゴジラは原発みたいでもありましたが。
以下、個人的にツボったところ
伊福部昭さんの音楽大好き。まず、54ゴジラの「ゴジラ再上陸」。これから怖いモノが来るというのが、ぞくぞくと予感される。あの第2形態が立ち上がるのは、まさにそんな感じでした。キングコング対ゴジラとメカゴジラの逆襲の曲は使ってたシーン忘れた。ヤシオリ作戦開始の時の宇宙大戦争マーチは最高でした。フリゲートマーチや怪獣大戦争マーチや色んなアレンジありますが、どれも好き。エンディングの4曲も全部好きですよ!負けました!笑
驚愕だった進化するゴジラ。まぁ、ゴジラ細胞は進化するらしいから、いいじゃない(ビオランテが、進化してる…笑)未知のモノ感があって、よかった。54以外のゴジラ映画は、少なくとも1回はゴジラが出たって設定なので、私らは、ゴジラがどんなモノかだいたい知ってしまってる。でも、少なくとも54ゴジラを見た観客は、ゴジラがどんなモノか知らない。その感覚を味わえたのは大きいなぁ。ただ、あのゴジラを見た目の時点でゴジラじゃないって受け入れられない気持ちも分からないでもない。ビジュアルも大事だもんな~VSビオランテのスーツと咆哮は最高だったな~
ゴジラの怖いこと怖いこと。目の怖さは54ゴジラを彷彿とさせる。あのどこ見てるのか、見えてるのかさえ分からんところ。基本VSシリーズでは、VSモスラ以外ゴジラ応援してたのに、VSデストロイアで最後のレクイエムに号泣したくせに、このゴジラは頼むから早く停まって!って念じてしまった。放射熱線吐く時の絶望感といったら...それはそれでよかったポイント。
続編は、個人的にはいらないと思ってる。