「あえてゴジラでなくても」シン・ゴジラ 薫さんの映画レビュー(感想・評価)
84ゴジラがゴジラの逆襲~メカゴジラの逆襲までをすっ飛ばして組み立てられたように、初代ゴジラを最大限にリスペクトしながら、過去のゴジラをあえて亡き者にして1から構築した2016年版初代といった見方が正しいんじゃないんですかね。過去のゴジラの影を引きずったまま、歌舞伎役者よろしく、いよっ!待ってました!敵と戦うついでに出血大サービスでそこらを破壊して適当に暴れて放射能熱線を吐き散らして適当に追い払われる・・いつもの構成で終わっていたら、もう二度と日本のゴジラは生き返らんでしょう。人間が「核」というものに手を出したがためのしっぺ返し、という軸もズレてない。でもまあ、こうやってゴジラとは・・という空想上のカタチを真正面から多人数で多面的に殴り合って語るのもまたゴジラの醍醐味、かな。
僕も薫さんと同じように、歴代ゴジラのファンとして、残念な映画でした。
他のコメントのかたは、「古いゴジラしか認められないのならもう見るな」「時代の変化だからしょうがない」とコメントされていますが、
たとえば昭和ゴジラが子供向けのヒーロー物になっていた時代も、初代ゴジラから逸脱したストーリーに対する批判などがありました。そういった意見に対して、「新しい時代についてこれないだけ」と切り捨ててしまっていたら、たとえば1984年のゴジラはできていません。そういった様々な意見を取り入れつつ、それまでのゴジラを一新し、初代ゴジラの復帰をテーマとしたり、さらに時代背景を取り入れて様々なコンセプトを組み込んだりしてきたゴジラの歴史があります。
「昭和のゴジラしか認めないのであればもうこれから一切見るな」
というのは暴論だと思います。私も最初のコメントの方と同様に、歴代ゴジラのファンですが、リメイクされた映画でも、歴代の映画をリスペクトしたゴジラを作る事はできたと思います。
さらに言うと、昭和時代のゴジラ、90年代のゴジラ、2000年代のゴジラはそれぞれ全然世界観が違います。 それでも世界観の違いを味わいつつ、「ゴジラ」の歴史として、作られた当時の時代の事情等にも想いをはせつつ、「ゴジラ」として楽しむ事ができました。
今回のゴジラは、エメリッヒ監督のゴジラ以上のぶちこわしだと思います。
昭和末期生まれのゴジラ好きとして共感します。なぜゴジラなのか?ゴジラでなければならなかった理由は?そのアンサーが作品内に存在しないのは、なんとも言えず悲しいものです。