バケモノの子のレビュー・感想・評価
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惜しい!実に惜しい!もう少しで星2つだった!佳作。
応援してるチャンピォンが逆転KO喰らってマットに沈んだの見せられた感じ。
カタルシス便秘感。
実に惜しく残念な物語。
但しそこら辺のアニメよりかは遥かに面白いです。
よって星シングルを贈ります。
自分は細田監督と近い経験と感性持ってないのだろうなと
公開当時に見に行ったがすごくモヤモヤして帰った。
良くも悪くも自己中心的に作った作品、という印象。作品なんて全てそういうものなのでしょうけど。にしてもなんでここまで楽しめないのか...
ストーリーが受け付けなかった。
最後の方は特に、映像の美しさより気持ち悪さの方が勝ってしまって。
男なら、あの心の闇の表現がわかるのか?
解決方法がアニメ的で気持ち悪い。
なんの事情も知らない楓が一方的に言いたいことだけ言っても説得力が欠片もないし傲慢。当然のようにバケモノ界にいるところも謎。
詰め込みすぎた感もあり。
人間界に戻って蓮と名乗ったところも最初はそっちなの?と思ったが、住み慣れたところから去らざるを得なくなり、バケモノ界は自分の本当の居場所ではないとおもっていたのだろうな、ということで納得した。自分も同じような経験をしたことがあると気づいたら、まあ納得した。
バケモノ界を第二の舞台として魅力的に描いたのがちぐはぐな気がするけど、九太がバケモノ界を最後までないがしろにはしていないことを受ければ、まあ納得。
お洒落にしたいんだろうなとは思った。そういう要素があるからこそ幅広い人に受け入れられているのか。しかしマーケティングであってテーマを伝えたいなら入れすぎない方がよかったのでは。
一番受け入れがたかったのはバケモノという呼称。化け物の意味知ってる?だからこそカタカナなのか。醜い中の本当の美しさ的なことを表現したかったのかな?けど自分達で自分達のことをバケモノと呼ぶかフツー?そこはほんとに驚いた。彼ら自分等のこと醜いと思ってるの?思ってるからこその布文化の発達か。
なんで人間だけに心の闇があるのか。ただバケモノが人間とは根底から違う生き物で、心の闇がないからバケモノは神になれるし清く美しいのだろうけど。
人間界で生きていきたい九太が、バケモノ界を自分の本当の居場所じゃないと強く感じていたことにはこれで納得。
普通の冒険ものなら異世界こそ主人公にとっては楽しい場所であるので、受け入れがたかったのはそれと合致してなかったからか。
ここまで考えると、この映画はわりと大人向けだったのでしょうか。今度もう一度視聴してみる。
手放しに高評価している人がいることが理解できないのですが、でも世間様が誉めまくってるのには何かあるのだろうなと思うので、理解したいと思ってしまう。白鯨とノベライズを読めば少しはわかりますかね。
要素が多すぎる?
難解
さんざん言われてることだが
なんでちゃんとした声優使わないんだかなあ。
特にこれ、主役の子の面倒みる三匹の化け物がほんと三人とも下手。
役所広司は声優やらせるとこんなに下手なんだ、やる気ないのかと思ったよ。
他の二人は元々役者じゃないわけだけどだからって我慢ならんよ。
どうしてこういう状況になっちまったんだろう、ある巨匠監督が「演技過多の声優使いたくない」とか言ってそれが加速させたことは明白だがね
そんでそーだそーだ言うやからも多くて…おれは吹き替え世代?だいたいテレビで洋画を吹き替えで観てきた世代なんで、シラケるんだよ下手な声当ては
自然な演技?バカ言ってんなよ。
山路さんが出てきてホッとしたもんなマジで。
あと、「サマー・ウォーズ」みた時も思ったけど
細田守のアクションはまるで形どおりですごくつまらん。
本人格闘技経験はないようだから、おそらくネットの動画とか、格闘技や武道の映像作品などで調べてるんだろうが
形どおりすぎで、すごくつまらない。
今回、主人公が弟子になるオオカミみたいなやつは、自己流の格闘術と言うが
いやいや、自己流の動きじゃねーよ(笑)
それに主人公が終盤でみせる刀の使い方はありゃ居合いだろうがどうみても。
待ちの姿勢から、抜刀して逆袈裟か横殴りに切りつける感じかな。
もうそこらへんのシーンは飽きちゃってちゃんとみてなかった
ストーリーとしても、なして主人公は急に超能力みたいなこと身に付けるの?フォースなの?ジェダイの騎士なの?とか
なして突然異世界と、現実世界を自由に往き来できるようになんの?とか違和感ばかり
ほんとは「サマー・ウォーズ」からこの監督には飽きてた。次は観ないだろうなあ。
なんかもっと一皮むけられないのかな細田守。ほんとジブリの後追いばかりしてる気がする。
少年を通して皆が成長する物語
よくわからないままに化物の国に迷い混んだ少年九太が、迷いこんだ先で出会った化け物・熊テツと共に、成長していく物語。
九太が幼い頃は熊テツの短気さも相まってとにかく反発・反抗。それが成長するにつれ人間なんかと蔑まされていた九太も認められ、また熊テツも九太を育てることを意識することで一人前になっていく。
この辺りで人間界と化物界を行き来するようになり、育ての親と生みの親とのどちらも大事にしたいが共存はできない葛藤等見所も多く、楽しくみることができた。
だがラスト付近はフワッフワで、「このキャラ達がそれぞれこう動いたからあの結末にたどり着いた」感はほぼ無く「この結末にたどりつかせるためにキャラ達にこういった行動をさせた作品」だったなという感じ。
ラストの「心の中に剣が〜」のくだりをやりたいが為に、序盤のチンピラ同然の熊テツに「心のなかに剣が~」と急にキャラ違いなことを言わせたように見えた。
私生活もだらけていて、しかもこのセリフの直前は「ガーッ!」やら「ドーン!」とか言ってたヤツからそんなセリフ出るか?と違和感があったがまさかそれがオチに使われるとは・・・
あとは一郎彦が鯨になる展開をやる為に白鯨の本を九太に持たせ続けたようにしか見えない。その展開に持ってきたいが為にキャラに無理なセリフ・行動を与えているのが見る側に伝わってしまい、さらにそのセリフや行動がストーリーの根幹のメッセージに直結するためそれこそ1番の見せ場であるラストシーンが茶番劇に見えてしまった。
あとヒロインが本当に影が薄くてコイツ必要か?って思うレベル。
あとは説明口調がすぎる場面もあった。
熊テツが負けている時に来た九太に対して仲間が「元気づけてやってくれ」といい、その後喧嘩を始めた2人に「なんで喧嘩するんだ?」と2人の関係を全く知らないような口ぶりでこの後の展開を煽っているようにしか見えなかった
神を決める戦いまではホントに良い作品だと楽しんで見れただけに、後半の適当な雰囲気押しにガッカリした。
非常に惜しい作品だと思った。
実の親と育ての親。周りのキャラと個性的
誰もがウチに秘めるバケモノを飼いならす
今日、高校生による殺人事件があったのは、この映画のメッセージをより際立たせた。子どもの殺人事件があると、誰もが被害者の立場で語る。僕は加害者の親になることを思う。「あの凶悪な犯罪者もみんな昔子どもだってね(JAM 吉井和哉)」「大人がかっこよければ、子どもはグレないんだよ(チルドレン伊坂幸太郎)」「性善説みたいに、あまり子供や人間に期待してるとバカを見る。だろ? 暗い部分を分かった上で、どうにかするしかない。(オー、ファーザー 伊坂幸太郎)」誰も子どもをモンスターにしようなんて思っていない。しかし誰もがモンスターになりうる。そんな世の中で、どんな覚悟で生きていくか。また泣かされました。
少年の成長活劇
意味なんて、てめぇで見つけんだよ。
映画「バケモノの子」(細田守監督)から。
「神にすらなれる我らバケモノと、なれぬ人間とでは、
生きる世界が違うでな」の設定で物語が設定され、
渋谷の街とバケモノたちが住む「渋天街」という2つの世界が
交錯するストーリーを楽しみながら、
書籍「十二国記」シリーズ(小野不由美著)を思い浮かべた。
注目は、人間の少年がバケモノ(熊徹)の弟子になり、
複数の賢者に「畏れ多くもお尋ねいたします」と前置きをし、
「強さとは何ぞや?」と尋ね歩くシーン。
(賢者1)は「幻は、時として、真実よりもまことなり」
(賢者2)は「そんなもの求めて何になる?」
(賢者3)は「それをわしに問うのは筋いじゃ」
(賢者4)は「わしは、達観などせん」
どれも、納得のいく答えは見つからなかったと思うが、
少年は「強いって、いろんな意味があるんだな」と悟った。
「どの賢者の話も面白かった」と言いながら、
「意味なんて、てめぇで見つけんだよ」と言うアドバイスで、
「意味を自分でみつける」ことの重要性を理解したはずだ。
この気付きが、彼を成長させたことは間違いない。
いろいろな人に助言を求めるのは悪いことではない。
しかし、最後は自分で意味を見つけ、自分で判断し、
自分の信念に従って行動することこそが、大事だと知る。
生きている意味も、自分で見つけなくちゃなぁ。
日本アニメらしい
簡単にし過ぎた
脚本がメチャクチャ
すべてが乱暴な作品、一生好きにはなれない
個人的に細田守監督の作品は好きではないです。
それでも公開当時「3回」観ました。
1度目は「今度はどんな映画を作ったのか、見せて貰おうじゃないか」という、海原雄山のようなスタンスで
2度目は、ヒットしている本作に対し、「この映画のどこがいいんだ?」と思いながら
3度目は、(自分の感覚がおかしいのかを確認するため)友人に観て貰うために
正直「何がそんなにいいんだ?」と思いながら、今でもときどき「金曜ロードショー」の録画を観返しています。
冒頭から「よくきたな。まぁ黙って、我々の話す物語を最後まで聞きなさい」だって。
この「聞きなさい」が、スクリーン越しに観客の「僕」へ向かって言っているのだとしたら、僕は今からスクリーンの中に居る「架空のキャラクター」に、「架空の世界であるバケモノの世界」について、一方的な説明を受けるわけです。
そんな乱暴な説明で、「わかったか?わかったら、今から始まるこの映画の世界観を納得して受け入れろ」といきなり言われても、受け入れられるわけがありません。
そんなわけで、のっけからかなり強引に作品の世界に「押し込まれた気分」でした。
思いやりなど微塵も無い大人(親戚)に「牙むき出し」で啖呵をきる主人公の蓮。
主人公の境遇を端的に見せることで、彼の行動原理に共感・同情・納得して貰おうと思ったのでしょうが、感情移入どころか「ケンカドッキリ」に居合わせられたような不快感すら覚えます。
この時点で、この主人公(ひいては細田監督)に付き合うのが苦痛になっていました。
~で、いきなり「闇」を産み落とすし・・・
歩くこと「だけ」を命じられたような、生気の無い渋谷駅前の通行人の群れ
補導すること「だけ」を命じられたような、体温の感じられない警察官の態度
街も車も道行く人間も「パーツの寄せ集め」にしか感じられない渋谷という街を、エピソードが発生するポイント(チコに謎の白い固形物を与える、熊鉄を見て『ば、バケモノ!』と言ふ、など)を1個ずつ消化しながら、何者か(細田だな)に誘われるかのようにスンナリと渋天街へ迷い込む蓮。
すべては細田監督の「思惑通り」に事が運びます。
細田監督に出口をふさがれた蓮は、生臭坊主の豚に誘われ、為すすべもなく熊徹に「飼われる」ことになります。
蓮にできた唯一の抵抗は「本名を明かさない」こと。
熊徹が「勝手」に名づけた「九太」という名前。
蓮には最後までしっくりきていなかったことでしょう。
(果たして彼は、渋天街の中ですら、一度でも、自分のことを「九太」と名乗ったのだろうか?)
「憎まれ口」という言葉がありますが、多分、蓮は熊徹のことをずっと「好きではなかった」と思います。
(クライマックスで細田に丸く治められたように仕向けられていますが、ラストで人間界に戻って平穏な普通の生活ができることになって、清々しているはずです)
※心に宿ったことに満足する熊徹の「独りよがりな笑顔」が虚しく映ります
(この独りよがりな笑顔は、そのまま細田監督のものとして映る)
熊徹の足の動きを読み取ることができた蓮は、これまでの「憂さ」を晴らすかのように、熊徹を追い詰めていきます。
熊徹の「胸を借りる」のではなく「熊徹と張り合う」のが、彼の「修行」です。
一方の熊徹は、「得体の知れない人間の子供」との共同生活の中で、より「乱暴者」に磨きを掛けていきます。
何年経っても平行線を辿る二人の関係性に変化をつけたい細田監督は、一旦蓮を人間界に戻すという「荒業」を使います。
この演出に「シビれた人」は何人居たでしょう。
ここから、前作の「おおかみこども」と同じようなことがしばらく続きます。
※僕の中で、前作の「彼(死んだオオカミ人間)」は、彼の祖先が「渋天街出身だった」ということにしました
「いつもと違う蓮くん」をひっぱたいて、すかさず引き寄せ、背面のフェンスにぶちかました楓。
老けないオヤジ。
蓮の「心の闇」は広がっていくばかりです。
~というか、8年も前に渋谷で産み落とした「心の闇」がまだ残っているとは・・・。
そして、それを見つけた蓮が「あれは・・・オレ?」
いやー、わけがわからない。
もっとワケがわからないのは、エスパー一郎彦と、結局「弱いヤツは大嫌い」な二郎丸。
細田監督の都合に合わせて、何の脈絡もなく突然蓮を痛めつける一郎彦は、いつまで「自分の種族の被りもの」を被っているのだろう?
(あんなアホみたいな補完あるか?)
「8年もあったのに、他に立候補するバケモノは居ないの?予選は?」
そんな僕の素朴な疑問を聞き入れて貰う余地すら無い、「武力による一発勝負」の宗師決定戦が始まる。
8年経っても「落書きが一個増えただけ」の渋天街。
熊徹も同様。
8年経っても大・丈・夫!(イナバ物置き)。
「8年間何をしていたの?」というくらい、あっという間にダウンする熊徹。
よせばいいのに檄(いや、あれはヤジかも)を飛ばす蓮。
数えりゃいいのに、カウントをやめるレフェリー。
あらゆる演出が「東映まんがまつり」と化す。
そして「火事場のバカ力(←“か”ではない)」で、一発逆転をかます熊徹。
刀刺さって、ちょっぴり「松田勇作」する熊徹。
高笑いするエスパー一郎。
猪王山「サイアクだー!!」
オレが言いたいよオッサン・・・。
東映アニメ風の超能力バトルを挟んで、一郎彦ワープ。
・・・彼は「人間」なんですよね?
ぱにくる渋谷。
「なに、映画?」
・・・そんな撮影があるなら見てみたいよ。
一郎彦にポンポン吹っ飛ばされる「えきすとら」の人たち。
絶対に逃げ出せそうも無い渋滞の山手線高架下で起きる大爆発。
「死傷者ゼロ」
イエモンの歌じゃないけれど、「死傷者は居ませんでした」
居ませんでした!
居ませんでした!
・・・僕は何て言えばいいだろう?
こんな物語が「野放し」で手放しで喜ばれている・・・。
【細田監督へ】
そういえば、細田守は「卵掛けご飯」はおキライなの?
渋谷で蓮がチコに食べさせた白い四角のカタマリは何?高野豆腐?
チコは「マスコット」以上でも以下でもないってホント?
「冒険の舞台は渋谷」って、本気で言ってるんですか?
・・・。
細田監督は、知識人めいた能書きをたれることはやめて、単純に「観る人が楽しめる・興奮するアニメを作りたい」って言えば良いと思ます。
細田監督の一連の作品を見ていると、家族の絆や子育てをするお母さんのすばらしさ、子供の成長を、本当に「描きたかった」とは、とても思えないのです。
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