バケモノの子のレビュー・感想・評価
全569件中、101~120件目を表示
日本アニメらしい
DVDで見たが、なかなか、良いなあ。子供の成長というテーマなんだろうが、育ての親、ファンタジーと青春期の心の揺らぎを描いている。実写の映画だと臭く感じるだろうが、アニメだと受け入れてしまう。アニメという、一種の抽象化の特権だ。
簡単にし過ぎた
話自体は面白いし、そこで描きたい事もはっきりしているのだが、如何せん語り過ぎ。「心の闇」の話とか、「心の中の剣」とか、折角寓意的に出来る良い題材なのに、それを説明し過ぎて解説映画みたいになってしまっている。映画は多少わかりにくいくらいの方が物語に入りやすいし、解釈の幅の広い豊かなものになると思う。寓意を観客が主体的に捉えようとする中で観客の心の中に宿るものがあると思うが、この映画はそれを押し付けてしまい、単なる消費的映画に成り下がっていると思う。
119分があっという間の成長物語
また観る/勧める
オレ 90
一般受け
作品賞ノミネート可能性 50%
面白い!
少年!
ジブリにラピュタがあるように、スタジオ地図にはバケモノの子がある。
成長物語。119分があっという間。弟子と師匠
脚本がメチャクチャ
面白そうなシーンを詰め込めるだけ詰め込んだ脚本の第一稿のまま完成させた印象。料理で言えば生煮えの料理を出されたような気がした。黒澤明やカンフー映画のオマージュが随所に出てくるが、意味のあるオマージュというよりただ好きな映画からあちこちをパクって並べだだけのように見える。
物語が破綻するような部分の説明を忘れている一方で、感動のポイントを観客に説明するようなセリフも酷かった。
すべてが乱暴な作品、一生好きにはなれない
個人的に細田守監督の作品は好きではないです。
それでも公開当時「3回」観ました。
1度目は「今度はどんな映画を作ったのか、見せて貰おうじゃないか」という、海原雄山のようなスタンスで
2度目は、ヒットしている本作に対し、「この映画のどこがいいんだ?」と思いながら
3度目は、(自分の感覚がおかしいのかを確認するため)友人に観て貰うために
正直「何がそんなにいいんだ?」と思いながら、今でもときどき「金曜ロードショー」の録画を観返しています。
冒頭から「よくきたな。まぁ黙って、我々の話す物語を最後まで聞きなさい」だって。
この「聞きなさい」が、スクリーン越しに観客の「僕」へ向かって言っているのだとしたら、僕は今からスクリーンの中に居る「架空のキャラクター」に、「架空の世界であるバケモノの世界」について、一方的な説明を受けるわけです。
そんな乱暴な説明で、「わかったか?わかったら、今から始まるこの映画の世界観を納得して受け入れろ」といきなり言われても、受け入れられるわけがありません。
そんなわけで、のっけからかなり強引に作品の世界に「押し込まれた気分」でした。
思いやりなど微塵も無い大人(親戚)に「牙むき出し」で啖呵をきる主人公の蓮。
主人公の境遇を端的に見せることで、彼の行動原理に共感・同情・納得して貰おうと思ったのでしょうが、感情移入どころか「ケンカドッキリ」に居合わせられたような不快感すら覚えます。
この時点で、この主人公(ひいては細田監督)に付き合うのが苦痛になっていました。
~で、いきなり「闇」を産み落とすし・・・
歩くこと「だけ」を命じられたような、生気の無い渋谷駅前の通行人の群れ
補導すること「だけ」を命じられたような、体温の感じられない警察官の態度
街も車も道行く人間も「パーツの寄せ集め」にしか感じられない渋谷という街を、エピソードが発生するポイント(チコに謎の白い固形物を与える、熊鉄を見て『ば、バケモノ!』と言ふ、など)を1個ずつ消化しながら、何者か(細田だな)に誘われるかのようにスンナリと渋天街へ迷い込む蓮。
すべては細田監督の「思惑通り」に事が運びます。
細田監督に出口をふさがれた蓮は、生臭坊主の豚に誘われ、為すすべもなく熊徹に「飼われる」ことになります。
蓮にできた唯一の抵抗は「本名を明かさない」こと。
熊徹が「勝手」に名づけた「九太」という名前。
蓮には最後までしっくりきていなかったことでしょう。
(果たして彼は、渋天街の中ですら、一度でも、自分のことを「九太」と名乗ったのだろうか?)
「憎まれ口」という言葉がありますが、多分、蓮は熊徹のことをずっと「好きではなかった」と思います。
(クライマックスで細田に丸く治められたように仕向けられていますが、ラストで人間界に戻って平穏な普通の生活ができることになって、清々しているはずです)
※心に宿ったことに満足する熊徹の「独りよがりな笑顔」が虚しく映ります
(この独りよがりな笑顔は、そのまま細田監督のものとして映る)
熊徹の足の動きを読み取ることができた蓮は、これまでの「憂さ」を晴らすかのように、熊徹を追い詰めていきます。
熊徹の「胸を借りる」のではなく「熊徹と張り合う」のが、彼の「修行」です。
一方の熊徹は、「得体の知れない人間の子供」との共同生活の中で、より「乱暴者」に磨きを掛けていきます。
何年経っても平行線を辿る二人の関係性に変化をつけたい細田監督は、一旦蓮を人間界に戻すという「荒業」を使います。
この演出に「シビれた人」は何人居たでしょう。
ここから、前作の「おおかみこども」と同じようなことがしばらく続きます。
※僕の中で、前作の「彼(死んだオオカミ人間)」は、彼の祖先が「渋天街出身だった」ということにしました
「いつもと違う蓮くん」をひっぱたいて、すかさず引き寄せ、背面のフェンスにぶちかました楓。
老けないオヤジ。
蓮の「心の闇」は広がっていくばかりです。
~というか、8年も前に渋谷で産み落とした「心の闇」がまだ残っているとは・・・。
そして、それを見つけた蓮が「あれは・・・オレ?」
いやー、わけがわからない。
もっとワケがわからないのは、エスパー一郎彦と、結局「弱いヤツは大嫌い」な二郎丸。
細田監督の都合に合わせて、何の脈絡もなく突然蓮を痛めつける一郎彦は、いつまで「自分の種族の被りもの」を被っているのだろう?
(あんなアホみたいな補完あるか?)
「8年もあったのに、他に立候補するバケモノは居ないの?予選は?」
そんな僕の素朴な疑問を聞き入れて貰う余地すら無い、「武力による一発勝負」の宗師決定戦が始まる。
8年経っても「落書きが一個増えただけ」の渋天街。
熊徹も同様。
8年経っても大・丈・夫!(イナバ物置き)。
「8年間何をしていたの?」というくらい、あっという間にダウンする熊徹。
よせばいいのに檄(いや、あれはヤジかも)を飛ばす蓮。
数えりゃいいのに、カウントをやめるレフェリー。
あらゆる演出が「東映まんがまつり」と化す。
そして「火事場のバカ力(←“か”ではない)」で、一発逆転をかます熊徹。
刀刺さって、ちょっぴり「松田勇作」する熊徹。
高笑いするエスパー一郎。
猪王山「サイアクだー!!」
オレが言いたいよオッサン・・・。
東映アニメ風の超能力バトルを挟んで、一郎彦ワープ。
・・・彼は「人間」なんですよね?
ぱにくる渋谷。
「なに、映画?」
・・・そんな撮影があるなら見てみたいよ。
一郎彦にポンポン吹っ飛ばされる「えきすとら」の人たち。
絶対に逃げ出せそうも無い渋滞の山手線高架下で起きる大爆発。
「死傷者ゼロ」
イエモンの歌じゃないけれど、「死傷者は居ませんでした」
居ませんでした!
居ませんでした!
・・・僕は何て言えばいいだろう?
こんな物語が「野放し」で手放しで喜ばれている・・・。
【細田監督へ】
そういえば、細田守は「卵掛けご飯」はおキライなの?
渋谷で蓮がチコに食べさせた白い四角のカタマリは何?高野豆腐?
チコは「マスコット」以上でも以下でもないってホント?
「冒険の舞台は渋谷」って、本気で言ってるんですか?
・・・。
細田監督は、知識人めいた能書きをたれることはやめて、単純に「観る人が楽しめる・興奮するアニメを作りたい」って言えば良いと思ます。
細田監督の一連の作品を見ていると、家族の絆や子育てをするお母さんのすばらしさ、子供の成長を、本当に「描きたかった」とは、とても思えないのです。
よく作られた親子の成長物語
父親とは離婚の為別れ、母親に死なれ、たった独りになってしまった少年「蓮」。不愉快な親戚に引き取られることを嫌がり、ただ一人街へ飛び出す。
新宿の街をさまよううちに出会った謎の男。その男に誘われるまま迷い込んだのは、異形の怪物ばかりすむ「渋天街」。
そこで彼を誘った謎の男こと「熊徹」の弟子になる。二人は日々、大喧嘩しながらも、互いに成長してゆく。
この話のテーマとして感じたのは、 「親子」「成長」でした。
熊徹と蓮(九太)。ふたりは凸凹コンビですが、互いに嘘なく真っ直ぐに生きて行きます。良い親子だなと感じました。
九太は最初からたくましいですね。家を飛び出したり、バケモノの家に居ついたり。我の強さと、負けん気の強さ、勇気は相当です。
熊徹は良くも悪くも単純で嘘がなく、ひたすら真っ直ぐです。九太を通して、彼も成長していきます。
熊徹のライバル猪王山。全てに置いて熊徹を上回る男でしたが、息子の一郎彦には嘘をついていました。彼も人間だったのですが、伝えることがありませんでした。その嘘が、後半に大きなトラブルを起こすことになってしまいます。
一郎彦が成長するにつけ顔を隠すようになったのは、自分が人間であることに対する引け目。人間でありながら、バケモノの街で平然と生きていける九太への嫉妬だったんですね。
次郎丸はいじめっ子から、包容力のある立派な若者になったなと思います。今後が大変な一郎彦を支えていけるでしょうね。きっと。
多々良と百秋坊。2人が間にいたからこそ、熊徹と九太の関係が成立出来たんですね。
孤独ながり勉少女楓。
楓は九太が蓮として人間世界に帰るきっかけになります。
この作品は、九太の本来の親である父親との関係もしっかりと描いています。
バケモノの子九太としてだけでなく、人の子である蓮としての彼も描いていったのが秀逸だと個人的には感じました。
一見の価値ある良い作品でした。
最後に一郎彦と猪王山の親子関係。一郎彦の今後の生き方なんかを別作品で書いてくれたらなあと思ってたりします。
ふむ
評判がよかったので期待して観たら、悪くないけどこんなものかってちょっと物足りない感じ。
悪くはないのだけどね。
『サマー・ウォーズ』のほうがじーんときた。
渋谷のリアルな描写とジブリ的な異世界のつながりはよかった。
音楽もすき。
子供の九太はかわいい。
物足りない
全体的に物足りなさを感じました。
各キャラの人物描写が雑に思えた。
九太と熊鉄の関係を父と子に描きたかったのだろうが師弟関係にしか見えなかった。
途中に父親らしいエピソードがあれば分かりやすくてよかったのに。
ただ、九太と熊鉄の修行シーンはどんどん絆が深まっていき魅了されました。
師匠と弟子
映像が綺麗で、話の展開はわかりやすいと思います。ストーリーが進むにつれて、教わる側の弟子だけではなく教える側の師匠も成長していく、二人の姿とか絆に感動できました。特に修業のシーンとライバルとの決戦が見所ですかね。また、主人公たちの懸命さがよく表現されていました。
他方、序盤でもう少し人間界とのリンクがほしかったです。後半から登場するヒロインの主人公に対する態度にやや違和感がありました。あとは、最後のシーンの抜刀術でやや笑ってしまいました。
う~ん・・・
前半を観ていて、初期の宮崎アニメを小粒にしたようなノリだなと感じていたら、成長した少年が人間界への憧れを募らせてゆく後半から流れがやや変わり始める。
しかし、簡単に二つの世界を行き来できる所や主人公の少年が元の人間界で生きてゆく躊躇いや葛藤の描写が希薄。
クライマックスの渋谷での戦いも、相手側のライバルの少年との因縁を前半から伏線として何も描いていないので無理矢理に盛り上げた感は否めず、親父代わりの熊鉄の最後の決断も何か場当たり的に感じてしまう。
''親父越え''がテーマだと思うが、これでは結局親父代わりの熊鉄頼りで勝利した事になり、焦点がボヤけたまま終わってしまった。
日本の劇場用アニメの本当の意味での親父(宮崎アニメ)越えはいつになるのか。
広瀬すずや大泉洋などは違和感なく、とてもよかったです。 結局、チコ...
広瀬すずや大泉洋などは違和感なく、とてもよかったです。
結局、チコがどういうものなのかいまいちわからなかったけれど可愛かったです。
全569件中、101~120件目を表示