「意味分からない人のために解説。分かりやすそうに見えて、実は分かりにくい作品」バケモノの子 夢見る電気羊さんの映画レビュー(感想・評価)
意味分からない人のために解説。分かりやすそうに見えて、実は分かりにくい作品
一見、分かりやすそうなストーリーで、分かった気になるんだけど、実は真に伝えたい部分は、分からない人も多いように思う。表面で起きていることのみに注目するだけでは全体像は見えないからだ。
心の剣とは?鯨とは?劇中で説明されるけど、何の意味があるのか、わからなかったりするだろう。
鯨は劇中でそのまま、小説『白鯨』の鯨とリンクさせている。鯨は主人公の敵だが、同時に自分自身でもある。これは劇中のセリフそのままの解釈で分かる。つまり、一郎彦の鯨のイメージは、蓮が見ている自分自身のイメージでもあるのだ。それを倒すということはどういう意味だろうか。
それは、誰しもが持っている黒い部分―自分の弱い部分、何もかも人のせいにして、自分だけの世界に閉じこもることを意味しているかもしれない―を克服することを表している。それが、自分自身と戦い勝利するということにつながる。そうすることで、困難や難問に挑む心を養うことが出来る。そうした心を「心の剣」という言葉で表現している。そして具体的なイメージとして熊徹が化身した姿となり主人公の中に宿ることで表している。
困難に挑む心を持つことで、蓮は一郎彦に勝つことができるのだ。
エンタメしているようでいて、実はエンタメでもないというところに、この映画の難しいところがある。エンタメであれば、敵は極悪で、倒すべき理由があるものがなったほうがスッキリしてみることができる。でも、この映画ではそうしていない。本当に極悪な人は途中で出てきた高校生くらいで他はいない。では、なぜそうしないかというと、やはり上で言ったように自分自身を見つめ直し、改めるという部分、つまり極悪として処理できない部分との戦いであるからだ。なんともスッキリしないとしても、それはこの映画では意図しているものだ。観客にも、自分自身を見つめ直してもらうために、あえてエンタメにしていないのだ。
こういう流れがあるからこそ最後に実の父親を許せるのだし、大学受験へ向けていくら困難があろうと、蓮は努力し続けられるのだ。
以下は推測
キャラクターは西遊記をモチーフにしていると思われる。エンドクレジットで、「悟浄出世」とあったので、それを読むとヒントがあるかもしれない。ちなみに、沙悟浄は日本ではカッパだが、原作では毛むくじゃらのバケモノである。そう、実は熊徹は沙悟浄かもしれない。
チコは恐らく死んだ母親の化身か何か。何かあるたびに、母親が出てきたのはこれのせい。単に寂しさの表れかもしれないが。チコに対しては蓮以外は何も触れないので、蓮しか見えない幻かもしれない。
ラストでチコは出てきてなかった気がする。寂しいと思うと出てくる生き物だ。そうでなければ出てこない。