あんのレビュー・感想・評価
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見ること、聞くこと。
説明過多にならないように、会話の間から気持ちを汲み取るように、そういうのを大事にしている種類の映画だと思う。
そういう種類の映画に対して、あれこれと言葉で説明したりすることはどうなんだろうという気がする。というか、あまりうまくできる自信がない。
一つだけ言うなら、もうちょっと泣かせてくれてもいいのに、それを簡単に許してくれないところが、なかなか心憎いというか意地悪だなと思った。笑
あと、てっきり勝手に店を開いて怒ると思ったのに、そうじゃなかった。良い意味で裏切られた。
見ること、聞くこと、それだけで生きている意味がある。というのが物語の最終盤のメッセージ。
そういうことには、普段なかなか気づけないよなぁと思う。浄化された。明日からまた頑張ろっと。
樹木希林さんの演技が素晴らしかった
内容や演技等に魅せられましたが、一重に樹木希林さんの演技のお陰だと思います!障害者の役も上手だったと思います!
小説も読んでみたいと思いました!ほっこり、あったかかったです!
良かった。
事前情報全く抜きで観ましたが、とても良かったです。
フィクションですが、ハンセン病の患者の気持ちをうまく表現しているのではないか。(特に最後の手紙)
差別、偏見、大衆。今の私たちを取り巻く社会そのものを写し出していて心をえぐられるような作品でした。
マイナス1なのは、他の方のレビューで、現代のハンセン病の正しい認識が描かれていないかな。という部分です。
それにしても樹木希林でなければできなかった役だと思います。
画竜点睛を欠く
悪くはない。でも、
ハンセン病が日本ではとっくに完全制圧されている(つまり、徳江さんもとっくに完全に治っている、感染する心配はない、そもそも感染力は弱い、万々が一感染しても治療法が確立しているので全く心配はない)という情報をもっとはっきり伝えなければ、浅田美代子さん演ずるオバハンがいかに無知でメチャクチャかということが分からないのではないか。
あと、ワカナ役の子は、メチャクチャな母親に苦しめられ、にもかかわらず徳江さんの手が不自由だということをその母親に言ってしまった点に感じただろう陰影を演ずるに足りない。
もっとよくなれたはず。
日常の中にひっそり輝く人間の尊さ
台詞が少なく、張り詰めた糸を紡ぐようなカットと、余韻を残すシーン。何気ない街の中の自然美を織り込んで、美しい日常を描く。
樹木希林の、この瞬間を慈しむように生きる老婆の演技が圧倒的。寡黙な永瀬正敏も、演技に深みを出し、二人の重い人生が火花を散らすように、展開する。
何度か、ふっと、こみ上げるものがある。感動を盛り上げたシーンではなくだ。これが映画の魅力かも知れない。
あえて、切ったシーン、舌足らずに、説明しすぎないことをあえて演出したという。観客のイマジネーションに委ねるべく。
その清楚な演出が映画のたたずまいに品格を与えている。
平凡な日常の奥にある人間の尊さを気付かせてくれる佳作だった。
席を立てなかった(T▽T)
久し振りに、いい映画に会えた。「舟を編む」以来かな。
ハンセン病患者の物語ということで、ちょっとテーマが暗いから観るのはよそうかなと思っていたのだが、樹木希林の最後の映画になるかもしれないと思い観た。
最後のシーンの後、主題歌が流れ、普通だったら、客席から我先に出口を目指す人がいるのに、誰も席を立たなかった。ハンカチで目元を拭い深呼吸する時間が必要だった。
原作読んでみよう(^O^)
やさしい気持ちにあふれる
あの、ジュリーと叫んで、りんご殺人事件を歌っていた、樹木希林さんの映画をようやく見れました。食べ物に注いだ愛情表現がすばらしいです。妻に毎食ありがとうと言わねば、食材にもね。そうすれば、人にも優しくなれますよね。
「あ」・「ん」への飛躍と解放
シネコンで、河瀬直美監督作品を観るというのはどんなものだろう。不思議な感覚である。商業映画の対極にあるアート系、芸術作品に限りなく近い作品を作ってきた人である。シネコンの座り心地のよいシートに座って、あたりを眺めてみる。結構、おっちゃん、おばちゃんが多かった。このひとたち、きっと、本作の女流監督さんが「カンヌ国際映画祭」の審査員を務めたこともある人だなんて、きっと知らないだろうなぁ~、などと思う。
いかんいかん、これも先入観だ。
いつも映画を観るときは予備知識なし。ニュートラル。
僕も、映画のことなど何もわからない、ど素人でいたい。そこらへんにいる、おっちゃんの一人として、作品そのものに接していたい。
僕はそういう風に映画を観ようと、いつも思っている。
どら焼き屋の雇われ店長、千太郎(永瀬正敏)は、ある事件から、この店のオーナー(浅田美代子)に莫大な借金がある。彼が一人で切り盛りしてきた、この小さな店舗は、ある種の「鳥かご」でもあり、彼はその中で飼い殺しにされてきた、鳴かない無愛想な鳥であるのかもしれない。
この、どら焼き屋に毎日のように立ち寄る、中学三年生のワカナ(内田伽羅)。彼女は一羽の鳥を飼っている。ワカナの母親は、この籠の鳥が狭い自宅の部屋で鳴くのをうっとおしい、とおもう。
「もう、この鳥、どうにかしなさいよ」と娘のワカナに文句を言う。
ワカナには父親がいない。母親とは口もきかない。心を許せるのは、この籠の鳥だけだ。
ある日、千太郎のどら焼き屋に一人のおばあちゃん、徳江さん(樹木希林)がやってくる。
「アタシ、五十年、あんを炊いてきたの。ここで雇ってもらえないかしら」
徳江さんは、自分で炊いたあんこを千太郎に渡した。
千太郎は決してこの店を繁盛店にしようとか、行列のできる店にしてみせよう、という熱意はない。
千太郎はもともと甘党ではない。どら焼きが好きでもないんでもない。というより、そもそも彼は、どら焼きを一個まるまる食べたことすらないのだ。
店で使っている「あん」も一斗缶に入った「業務用」のあんを使っている。
千太郎と「どら焼き」との距離感については、情熱や愛情とは程遠いものがある。あくまで「雇われ店長」であり、「仕事」なのである。
オーナーに借金を返さなくては……。
その義務感から、毎日もくもくと、女子中高生相手に、どら焼きをつくり続けているだけなのだ。
一度は徳江の申し出を断った千太郎。ただ、五十年あんこを焚き続けてきたおばあちゃん、ということがひっかかった。ためしに徳江が置いていった「あん」を指で一すくい、口の中に入れてみた。その味は、千太郎の舌に、体の奥底に、波紋のように広がる。衝撃の味わいだった。
千太郎は徳江を雇うことにした。やがて千太郎の店のどら焼きは評判を呼び、行列のできる「どら焼き専門店」となる。しかし、ある日、パタリと客足が止まった。
雇っている徳江が「ハンセン病患者」であることが、噂として広まったのだった……。
徳江は「あん」を炊くときに小豆に向かって話しかける。
「がんばりなさいよ~」
自分は、ずっとハンセン病患者として、隔離された専門病院で人生を過ごしてきた。外の世界とは隔絶された空間。
そして彼女は、あんを炊くことを人生の楽しみとしてきた。
彼女にとって「あん」を炊くことは、材料である小豆との会話なのだ。
「あんたは生まれてきてよかったんだよ」
「美味しい”あん”になろうね」
徳江さんは小豆と自身へ語りかけている。
世の中から「消された存在」として生きて来たハンセン病患者、その自分の元へ、外の世界からやってきた小豆。目のまえの小豆は、誰に、どのように育てられ、どんなドラマを経て、何のいきさつで、隔離病棟にやってきたのだろう? そんな小豆を徳江さんは”愛おしい”と思うのだ。
「あん」という「言の葉」について。
「あ」と「ん」は日本語のひらがな表記の最初と最後の文字である。小豆を煮詰めた集合体である”あんこ”が「あん」という象徴的な二文字で表すことが出来る事。しかもそれが、ひらかなの最初と、最後の文字。いわば、たった二文字で、この世の全てを表現できる、という象徴的な意味。
原作者ドリアン助川氏が「あん」というタイトルを「発掘」した時の、感動と興奮はどれほどのものだっただろう? と想像してみるのである。
ハンセン病棟で、かごの鳥のように生き続ける徳江。
どら焼き屋の小さな「鳥かごのような」店舗の中で生き続けている千太郎
そして、母子家庭という「カゴ」から、今まさに飛び立とうとする、ワカナ。
本作は「精神の解放」のお話ではないか、と感じた。
「徳江」という存在はあらゆる制約の象徴でもある。
その徳江さんの手によって、小さな、小さな粒の小豆は、この世の全てを煮詰めた物質「あ」「ん」へと高次元に飛翔するのである。その味わいは、人の心に飛躍と解放の勇気を与える。
映画作りの作法について、感じたことを少し。
映画のタイトルからくる印象とは真逆と言っていい。
河瀬直美監督は観客に、あえて「甘ったるい」余韻を与えていない。
シークエンスの切り替えの潔さと厳しさが印象に残る。
こういうカット割りをする人は、きっと自分に対しても厳しいのだろう、と思う。お客さんに対してウケようとか、そんなこと全く考えていないように思えるのだ。
しかしながら本作は、紛れもなく商業映画としてのシステム、体裁をもって制作されている。
河瀬監督としては珍しく原作があるし、キャスティングもプロの名だたる俳優たちを起用した。しかも、エンディングには秦基博の楽曲が使われるなど、いかにも一般の客受けを意識した印象が濃い。
公開直前には、主演の樹木希林や市原悦子までもが、珍しくテレビで番宣をおこなうなど、プロモーション活動も活発に行われている。
こういう、金のかかった商業映画は元が取れなきゃ、終わりである。
主人公の千太郎ではないが、莫大な借金を抱えて、身動き取れなくなる。
次の映画はもちろん撮れなくなるし、最悪、監督の家族は路頭に迷うことになる。
数字も取れて、内容も面白い、難しいことを易しく、そして味わい深く。そんな作品がなかなか生まれてこない。
「嗚呼……」と深いため息をつきつつも、なぜか僕は映画館に通う。「奇跡の一本」に出会えるかもしれない、という淡い期待を込めつつ。
本作はその「あん」という内容について、相当丹念に、手間暇かけて煮詰めた作品であることは、疑いようもなかった。
なんというか色々と普通だった。予告編を何度も観てたため、ここの台詞...
なんというか色々と普通だった。予告編を何度も観てたため、ここの台詞か、とは思い浮かべたが、それだけだった。
ライについてもふわっとしてて、なんだか色々と不完全燃焼な感じ。
ちょっとは泣けたけど映画館で観る程ではなかったかも。
うーん(^_^;)
全体的に静かな映画だと思いました。原作はまだ未読なのでわからない事が多いのでしょう。樹木さんと永瀬さんは流石の存在感で素晴らしかったです。色々突っ込みたい部分は多いのですが、食事中の中学生の前でタバコを吸うんじゃない(♯`∧´)、それからカナリアを離したりしちゃダメだろう!
映画を見ながら現実の厳しさを実感しました
正直樹木希林さんの演技を見に行ったと言っても過言ではありません、話さなくても表情一つ変えるだけでこれだけ魅了できる
本当に凄い方だと思いました
私は今回の映画は映画館での予告編のナレーションの一つ一つの言葉に引き込まれて見に行ったのですが
映画が終わった瞬間にこれだけ
考えさせられる映画は久しぶりでした
三人の主演見事としか言いようがない演技と
河瀬監督の何とも言えない空間にずっと引き込まれました
樹木希林さんという俳優
そこにいたのは樹木希林さんではなくて、確かに徳江さんでした。
小豆を愛おしげに煮詰めてゆく視線、こぼれ落ちる言葉たちは演技ではなありませんでした。そこで徳江さんが呼吸していました。
「自由っていいものよ」
この言葉の重みに
その過酷だった過去や、
現在でも差別にさらされる生活が語られるたび、
涙が溢れました。
ラストシーンの一言だけ、それだけ
んーー…と思ってしまいましたが
映像と生活音、環境音だけで紡がれる映像美で
すぅっと世界に入り込める良作です。
樹木希林の演技は、素晴らしい 映画の世界に吸い込まれてしまう 自分...
樹木希林の演技は、素晴らしい
映画の世界に吸い込まれてしまう
自分は何も悪くないのに、偏見によって仕事を追われてしまう、あんなに行列していた店が、噂によって閑古鳥が鳴いてしまうという、世の中の不条理が浮き彫りにされた作品だった
季節のながれとほんのわずかな希望の物語
どら焼き屋の訳あり店長とそこに訪れた老女、女子高生〜何れもが社会の光に入れない影を背負いながら〜交差していく1年の物語。
河瀬直美監督ならではの自然の美しさ、前半から少しだけカーブして人生の深遠さを描く後半…という語り口スタイルは過去作同様であるが、原作ものらしく哲学的な難解さはなく、物語と人物の表情に深読みせず浸れる内容であった。秦基博さんの主題歌も内容にしっかり寄り添う素敵な一曲。
水野美紀さんや浅田美代子さんの演じた役が、主人公たちを翻弄するけれど、言動が一本調子で感情移入できない薄っぺらな感じだったのが狙いなのか気になったが、でもそれは作品のマイナスにはなる程度のものではない。
どら焼きが無性に食べたくなった。
若いっていいわね
自分を自由にして、叶えたかったことを叶える。
これまでの人生を否定することなく、他者を慈しみながら、自然との対話を繰り返しながら、
やってきてあんを作って去って行った徳江さんは、
もはや精霊レベル。
画面いっぱいに自然の美が広がって、感性が浄化されるような作品です。
タバコを吸った手ですぐどら焼き焼くなんて、イマイチ信用できない。
とか、細かい観客の感情を演出の味方にしているような作り。ソツがない、無駄がない。
女優樹木希林の仕事を、ずっと見ていたいと思わせる作品。
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