あんのレビュー・感想・評価
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こんな店地元にあったら
もしも、地元にこんな店があったら、「あそこの店のあんこ作ってるおばあちゃん、ライ病だってよ、みんなに病気うつるじゃん。保健所に報告して、やめさせようぜ。」てな感じでつぶれちゃうだろうな。そんな、偏見まだ残ってるから、あの人達、家に帰れないんだろうな、悲しいな。
閉じ込められた三羽の鳥たちのハナシ
予備知識なく観ていたもので、中盤、徳江がかつてハンセン病を患っていたことが判明する件で、いまどきこの話題なのかぁ、とかなり驚きました。
映画としては、うーむ、ちょっと肝心なところが欠けているかなぁ、という印象。
映画の核となるのは、次のふたつ。
ひとつは、ワカナが飼っているカナリア。
閉じ込められたカナリアは、三人三様の象徴。
隔離政策で人生の大半を世間から隔離された徳江。
過去の刃傷事件で小さなどら焼き屋に囚われたように生きている千太郎。
貧しい母子家庭を憂い、自分で自分の未来を閉ざしているワカナ。
陽のあたるところ(世間のあるところ)で暮らしてみたいと願って行動した徳江の行動が、結果として千太郎とワカナを解き放つことになるのだけれど、千太郎とワカナが決意・転換する瞬間が描かれておらず、判りづらく、感情移入しづらい。
もうひとつは、丁寧に小豆からあんをつくる徳江が、小豆に耳を傾けるところ。
あんになる前の小豆が、どのように過ごしてきたか、それを聞くんだよ。
だから、おいしくなれと願って、丹精を込めるんだよ。
徳江は千太郎にそう語る。
もの言わ(え)ぬものの声を聴く・・・
多くを語らなかった徳江の声を聴くのは、最期の最後、彼女が遺した手紙によって。
タイトルが『あん』なのだから、たぶん、こちらが本筋、物語の核なのだろう。
が、映画は先のカナリアに収斂している。
ならば、やはり千太郎とワカナが決意・転換する瞬間がどうしも欲しい。
なので、うーむ、ちょっと肝心なところが欠けているかなぁ、すとんと腑に落ちないもどかしさが残ってしまいました。
今を生きる人々
千太郎の寡黙な演技と、そこにある情念のような思いが演出で存分に伝わってきました。
徳江さんも小説から飛び出たような、すんなり入る演技はさすが樹木希林さん、圧倒されますね。
ワカナちゃんが語り部の一人を担っていたのも若者向けで好感が持てました。
この映画は今も療養所で生きている人々の温もりを感じます。
筆舌に尽くしがたい差別に苦しみ、今もなお療養所でくらされている方々は多くいると思います。
そんな方の一片の希望であり
差別を目の当たりにして来た世代の方にも深く考えさせられる構図でした。
ひとつ何点をつけてしまうならば
10代20代のハンセン病を知らない若者たちに、もっと大きな強い差別という名の衝撃を与えても良かったのでは。
と感じました。
それがあるからこそ、療養所で暮らす人々の体温が伝わって来るかと思います。
へー、こんなことがあったんだ。差別ってよくないね。
だけでは淋しいな・・・。
と思ってしまいました。
同じ生を持つ人間の、泡立つ血というものが
皆持っている当たり前の事になるように。
それが徳江さんたちの、現代に生きる療養所の方々の切なる思いを感じました。
徳江さん、美しく咲き誇ってください。
千太郎さん、もうひと頑張りですよ。
ワカナちゃん、自由に羽ばたいてください。
ラストで泣かされました。
まず知ることが大切。
予備知識なく空いた時間タイミングよく入れた映画がこれだったのだけど、開場してから人がどんどん押し寄せ満場に。
なるほど、鑑賞後素晴らしい映画だと認識しました。
あんって人の名前か何も知らないまま観たのだけど、どら焼きの餡のこと。
不思議な現れ方をした徳江さんが魔法のように美味しいあんを作り出す。
主題はものづくり、あんづくりではないのだけれど、小豆があんになっていく過程が詳しく描かれていく脚本は、物やそれを作る人を愛おしんでいるのがひしひしと伝わってくる。
折しも某朝ドラではフランス菓子を作る物語なのに、素材の紹介はおろか、どう作ったかも説明もないし、出来上がったものすらまともに映らないのをもどかしく思っていたところ。
小豆の一粒一粒と語り50年美味しいあんを作り出してきた徳江さんのあん作りの工程は観ていてもちろんそのあんを食べてみたくなるし、自分でも作ってみたくなる思いにさせられる。その工程を観るだけでも素晴らしい河瀬直美監督ならではの脚本・演出だった。
やがて徳江さんは実は元ハンセン病患者だと、知らずに観ていた自分も千太郎と同時に気づくことになる。
訳ありな人生を生きている千太郎は徳江さんを辞めさせずに雇い続けるが、やがてそれも病気の噂が広がりままならなくなる。
千太郎は言葉で解雇を申し渡したわけではないのだが、察しのいい徳江さんからどら焼き屋を離れていく。おたがい相手を想いながらどうにもできない悔しさに打ちひしがれる。
それからの中学生のワカナとの施設への訪問で、徳江さんたちハンセン病患者の差別と偏見を知るが、どうやって立ち向かえばいいのか、観る側にも胸に突き刺さる問題である。
家族からも絶縁され、間違ったらい予防法で長く隔離政策に苦しめられてきた彼女たちの人生は想像もつかない絶望感でいっぱいであったはず。
その重苦しさは具体的には描かれてないけれども、施設を隔離する美しくて静かな自然が対照的で切なくて哀しい。
ハンセン病に限らず、人を差別したり偏見を持つことには誰でも少なからず持っている人間の卑しさなのかもしれない。絶対に自分は差別なんてしてないと言い切れないのが心に痛い。それには正しい知識を得ることが大事だし、知るだけで終わるのではなく啓発、教育も必要。
重くならず、けれど胸に訴えるものは大きく響いてくる映画でした。多くの人に観てもらいたい素晴らしい映画。
オススメです。
こころの濾過
差別というものを思うとき、頭では理解していても、心底からの許容は難しい。特に形から来る差別というものは、表面的には出てこなかったりして、厄介極まりない。このお話し、ハンセン病に限らず、他のすべての差別にも同じことが言えるだろう。 この作品は、自分の心の中にある差別に対する意識に、ゆっくりと、そして鋭く問いただしてくる。自分自信は差別の気持ちなんか持ってない、と思っているものの、果たしてそうなの?と問いかけ方は優しい。 自然の様々な風景や音、佇まいの中、やりたいことがなにも出来ずに過ごしてきた人生がある。生垣の向こう側に行くことも叶わずにひっそりと生涯を暮す現実がつい最近まで続いていた。 この事実を知らずに差別の話は出来ないのかもしれない。 徳江さんに会いに行った施設。そこで出されたおぜんざい。 千太郎とワカナは、ほとんど躊躇することなく食べた。 ・・・だが、もしその場に居たのがぼくだったら、そのおぜんざいを食べることができただろうか?? 映画を見終って一日が過ぎたが、頭の中でそのことを繰り返し自問自答している。 河瀨直美監督の豊かな感性や鋭利な問題提起、そこに樹木希林さんの円熟の演技、表現力が合わさって、この映画は最高の出来映えとなっていると思う。これほどあらゆる面で完成度の高い作品はなかなかないと思う。 そして、この作品を見て、悲しい、可哀想、と思うのではなく、自分の心をしっかりときれいにしてくれる映画なんだ、と深く感じることが大事なんだ、と心から思う。 こころを、透明に、純粋なものに濾過してくれる、そんな映画である。
いいんだけど…
あまり映画を見ない人間ですが、ハンセン病の人権問題、樹木希林さんに興味があり、見に行きました。 いいんだけど、喫煙シーンの多さにちょっと参りました。はじめから最後まで「音」を協調して「生」を表現しているところに、タバコは一体何を表現しているのか…。ちょっと不可解でした。
『私達には生きる意味があるのよ』
徳江さんの言葉・行動全てに心洗われる気持ちになりました。 この映画のフライヤーにあった 『私達はこの世を見るために 聞くために、生まれてきた。 …だとすれば、何かになれなくても、 私達には生きる意味があるのよ。』 という言葉に惹かれて鑑賞しましたが、本当に観てよかったです。 そして、樹木希林さんの演技の素晴らしさには毎度驚いてしまいますね。 秦基博さんの主題歌も、映画での大切なことがぎゅっと凝縮されている歌詞で、エンドロール中も涙が止まらず困ってしまいました。笑
言葉が重い
言葉が重く感じる作品でした。原作力と同時に監督力を感じます。そしてもちろん女優力も。
ワカナを伴って徳江を訪ねる永瀬正敏の姿が原作者と重なって見えました。そう「何かになれなくても生きる意味がある」。
無知を恥じる。そして励まされる。
あん、見てきました。
普段は交通費のかからない映画館でしか観ていないので、往復400円の電車代+1100円の映画代を高いと思うかどうか、ちよっと不安でした。
なぜなら河瀬監督の前作・二つ目の窓が中々にアクが強かったものですから…
しかし、そんなのは杞憂でした。
原作ものだからでしょうか、作家のアクを殆ど感じませんでした。
テーマは強く迫ってきましたが、作り手の声ではなく、登場人物の声として感じられ、物語に引き込まれました。
とはいえ、言葉にしやすい粗筋部分がはしょられた感じもして、まぁそれは容易に想像で補えるという判断でそうしたのかなぁと思いましたが、そこらへんが少し理解しずらい方もいるかもな、と思いました。
10代の若者が観て、いろいろ勉強すると、いい教材になるように思ったので、すこし上級者むけの映画文体が、そこを妨げるように思ったわけです。
ええ、余計なお世話なのは、承知しておりますよ。
例えば、月を一緒に見て鳥を預かる約束をしたシーンはのちの会話でしか出てきません。例えば、千太郎は徳江にやめて欲しいと言ってなかったと思いますが、わかなには来なくなったよではなく、辞めたよと言ってました。例えば、お店が流行らなくなったことが、風評被害だということも、明確には描かれませんでした。
それがダメなんて思ってませんよ。だだ、ちと難しくなっちゃうね、と思ったわけです。しつこいな、わたし。
閑話休題
ハンセン病については、モーターサイクルダイアリーズで出てきた位しか知らなくて、日本での歴史は全くの無知でした。学ばないとと思いました。
触れる機会がなかったから知らなくて仕方がないと開き直る事もできるますが、それではいけないと思います。
差別されていると認識してないから自分は差別していない、という事ではないと思うのです。
差別的な状況や文脈に、遭遇する機会があった時に、それに気づかず流布させてしまったとしたら、気づかなかった者にも責任があると思うのです。
気付きながら我が身が痛まないからと無視する事は尚更。
だから知ってる事は必要だと思います。
それとは別の方向で、私自身が誰かに理解されたい、寄り添ってもらいたいと切望しています。私の身になって考える、という事をして欲しいのです。
自分がそれを望むならば、私も誰かに寄り添わないと、と思います。その為には、なるべく人の立場を慮れる想像力と知識がいります。だから、いろんな事を知りたい。
そういう意味で、課題を貰えた映画でした。1500円は安かったです。
樹木希林はもはや生き神様のようでした。痛々しい両手の造形と、生きる歓びに満ちたオーラの対比が美しく、悲しい。
でも、想像の及ばない悲しみがあったのでしょう。できた子供を産むことを許されないとは、どういうものなのか。隔離されるとはどういうことなのか。
千太郎が善哉を食べながら泣くシーンでは、もらい泣きを、堪えられず。そこから殆ど泣きっぱなしになってしまいました。
不甲斐なさを抱えているときに、暖かい食べ物を差し出されると、どうして食べながら泣けるのでしょうね。
千太郎だけでなく、見ているこちらも励まされる気がしました。
浅田美代子が偏見むき出しの嫌な人として、出てきていましたが、上手だなぁと思いました。すごく利己的で、そこになんの迷いもない感じが、もうその辺にいそうで…
バラエティー番組でのど天然ぶりがいつまでも印象強いですけど、いい役者だなとおもいました。
市原悦子も良かったです。
発想が素晴らしい
ニュースになっても具体的な映像で示さないと理解してもらえない問題を、見事に表現していたように思います。 樹木希林と永瀬正敏との関係性に涙しました。 ただ、後半のストーリーと演出には多少の不満を持ちました。 途中の手持ちカメラ的演出の中で、部分的に気に入らないところがあり残念に思いましたが、それをも完璧にするということは至難の業かなぁーと思いつつも、それを追求した究極の作品を期待したいです。
無知は罪ですね
恥ずかしながらハンセン病について殆ど予備知識なく映画を見ました。 差別全般の諸悪の根源は正確な知識の無さが招く事を改めて感じ自分が恥ずかしくなりました。 希林さんと永瀬さんの二人が素晴らしく引き込まれました。 手作りのあんこ食べたいです。
歳の離れた友情は大切な味を残した
どら焼きの美味しさが結び付けた歳の離れた三世代の友達は掛け替えのない大切な友情生んだと想いましたまた何時から始めても諦めなければ達成出来て成功すると作品に教えて貰いましたどら焼きも心であんが甘くて暖かみが出来上がったのかも美味しいさは記憶に残ると感じました
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