あんのレビュー・感想・評価
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静かに、静かに、余計なことは語らずに。
河瀬監督らしい映画。
鳥の鳴き声、擦れる葉音、車のクラクション、人々の喧騒、、、すべての生活音があふれている。台本にある台詞というよりは、会話のようなしゃべり。顔の脂汗がレンズにつくぞってくらいにアップの多用。風景に変な色も付けず、曇天でもいとわない。そして、ここぞというとき以外は一切音楽を使わないから、ぐっと心を持っていかれる。
樹木希林扮する徳江は、これ見よがしに苦節を語らず控えめな態度で笑顔を絶やさない。それでいて、人の邪魔をしないような心配りができている。
そして、「自由っていいものよ。あなたたちも好きなことをしなさいよ。(たしかこんなセリフ)」という言葉をいう彼女。囲いの中で50年も生きてきた彼女だと思うからこそ、そのささやかな笑顔に隠された本当の強い本音がこちらに伝わってきてとめどなく涙があふれてくるのだ。自分の人生が変わってしまったのと同じ年頃の少女たちを見つめながら笑ってそういう彼女を見ながら、涙があふれてくるのだ、たまらなく。
「カナリア」に擬された彼女の人生。この笑顔を得るまで、この人がどれだけの人生を生きてきたのか想像するだけで胸が詰まって仕方がない。だからこそ、徳江のしぐさひとつひとつを見つめているだけで、悲しい場面でもなくても、涙腺が緩みっぱなし。
千太郎もワカナも、その生き様に心が震えるは当然だろう。
終わり方もいい。特段何を成功したでもなく、少なくとも、「生きていこう」と強く心に決めた千太郎が愛おしい。
脳裏に残る千太郎の「どら焼き、いかがですか!」。ああまた泣けてきた。
鳥かごのカナリア。
河瀬監督の話題の映画を鑑賞しました。登場人物の関係等細かい説明等あまりない。でも、互いの会話や表情などで過去から今の背景など鑑賞しているこちらが想像出来るように演習されてます。樹木希林さんの実のお孫さんのもっている鳥かごのカナリア。これに物語が集約されてるような気がしました。もちろん、餡子をつくる映像と音。桜。晩秋を想わせる街の風情など!映像も美しく、その辺りも見処でもありましょう。
鳥かごのカナリア。いろんなルールや世間体や国の決めた法律等いろんなものに縛られて私たちは、今生きています。でも、どこかで折り合いつけて生きていかねばならない。そんな苦悩の中からでもヒントを見つける。そんなことを河瀬監督は言いたかったんでは?私はそう思います。 最後の永瀬さんのシーンは、まさに何か生きていくヒントを見つけたんだと思います。 いろいろあるけど、明日から頑張ろう。
タイトルなし(ネタバレ)
◆良かった
樹希さんの語り、表情が良い。
あんこのふたを開くときの仕草がやさしい。
あんという題名か、あんこの作り方を丁寧にしているところも。
私たちは聞くために生まれてきたのだから、
何もなせなくても生きている意味はあるのではないでしょうかという言葉が刺さります。
主題歌が良い…
◆気になった
ステレオタイプに自己中心的な恩人の奥さんに
なぜか頭の上がらない主人公にイライラしたのと
のこりもの貰うくらい貧乏なのに、ペット飼ってて外食で迷わず天ザル選ぶ中学生が気になった(そこはステレオタイプちゃうんかいと…)
囲いの中にいるのは
今年度最高。樹木希林の代表作
河瀨直美監督の新作である。ハンセン病を扱った作品なのだが、そのことはつい最近になって知った。奈良(高の原)のイオンシネマではずいぶん前から予告編をやっていて、樹木希林さんがあんを作るシーンだけが淡々と写され、和菓子屋さんのドラマかなと思っていた。そのシーンが説得力のある画面で、出来上がるのを楽しみにしていた。川瀬監督の作品であることも最初の予告編では気づかなかった。なるほど早くからやるわけだ。(川瀬監督は奈良県の出身)
映画の前半は予告編通りのあん作りの物語だ。いい加減などら焼きを焼いている永瀬正敏のもとに樹木希林がふらりと訪れ、アルバイトをしたいという。あまりの高齢に、いったんは断る永瀬だったが、彼女のあんを一口食べて彼女を雇うことにする。そこからは予想通りの展開で、ふたりでおいしいあんを作り、店も繁盛しだすという物語だ。
そのあん作りの場面がていねいにていねいに撮られている。心を込めてあんを丁寧に作るのと同じように、映画もていねいに映し出している。
やがて、彼女がハンセン病を患ったことがあり、手に後遺症が残っていることが明らかになってくる。そして大家の浅田美代子が差別を恐れ口を出してくるのだが、ここからも予想通りの展開だ。いつしか客足が途絶え、樹木希林は永瀬の店を去る。
この後の映画を見ると、河瀨監督が並の映画作家ではないということがよくわかる。切々と差別や悲しみを訴えるようなことはしない。ただ淡々とその後の日常が描かれる。施設に帰って穏やかに暮らしている樹木希林。楽しかったアルバイトの日々を思い出す樹木希林の隣には友人の市原悦子がいて、「私も働きたかったな」とぼそっとつぶやく。詳しい説明も何もないが、その台詞だけで涙がこぼれる。
登場人物たちの背景が詳しく語られることはない。永瀬は前科があるらしいこと、浅田美代子に借金があること。それくらいだ。謎の中学生(樹木希林の孫の内田伽羅が演じている)は母親にネグレクトされているらしいことくらいしか情報がない。彼女と永瀬の関係も不明だ。樹木希林に関しても子どものころに発病して施設に入れられたこと。結婚や妊娠、強制中絶の経験があるらしいこと、がぽつりぽつりと語られる。
雄弁に多くを語り、背景を描きつくす作品もある中で、この河瀨作品では、本当に淡々と日常が描かれ、必要かつ十分な情報をその中に織り込み、無駄な部分をすべてそぎ落とした編集になっている。それでいて、一つ一つのシーンが、なんでもない短い台詞が3人の人物の細部をきちんと描くことにつながっている。その河瀨演出を支えているのが、この3人の演技力であることは間違いない。樹木希林は予告編の中で、「最後の映画のつもりで一生懸命演じました」と語っていたし、「KANO」でさらに演技力や存在感を増した永瀬正敏も抑えた演技で応える。新人の内田伽羅も新人とは思えない演技力だ。(河瀨監督の映画ではいつも素人や新人が活躍している)
2015年を代表する日本映画になることは間違いないし、樹木希林の代表作になることも間違いのない作品だろう。
樹木希林さんをこれからも観たいと思った
日本の映画らしく、きめ細やかな作品だった。
観ている間、何回もハンセン病について知りたい、調べたいと思った。
それくらい、詳しくは描かれていなかった。
しかし、あーだこーだ、直接的に差別の歴史をこの作品で語るのはナンセンスというか、野暮のような気がした。
徳江さんが、店長より早くに来て働くのを待ち構えていること、丁寧にあんを作る姿、中学生と語らうこと、楽しかったと言うことば。
徳江さんがどれほど筆舌に尽くしがたい生涯を生きてきたか、社会から断絶されてきたかなど感じ取れるかは観る側の感受性の問題と思った。
業務用の餡を使い、仕方なく雇われ店長をしていた千太郎が、おそらくオーナーを振り切って野外で販売するようになったのだろう、最後の声を出して売るシーンで、千太郎の心が自由になり、前向きに生きていくように描かれていて、涙が出た。
おそらく、逃がしたカナリアのように、千太郎は自由になったのだろう。徳江さんが中学生に、つまらないならつまるように行動したら、といったように変化を起こしたのだろう。
手紙のシーンは叫ぶ詩人の会、ドリアン助川らしいなー、と思う表現だった。
作品を見ていて、徳江さんに戦中、戦後をたくましく生きてきた亡き祖母の姿を重ねた。
樹木希林さんしかできない温かい人間性が滲み出た役どころだと思う。
癌を公表されているが、樹木希林さんをこれからももっと観たいと思うから、身体を大切にしつつ、映画にででほしいなあと思った。
世間は怖いが、作品は酷いぞ。
河瀬監督は素人を使う作品を多く制作するのに、今回は樹木希林の孫の み。 作品の前半は、どら焼き屋が繁盛していく過程を描くのが予想は出来る。 そして、後半は、えっっっっっっっ、徳江さんハンセン病だった?河瀬監 督様その展開は どうだろう?『砂の器』じゃあるまいし、私の頭の中で「宿命」が鳴り響 く。ハンセン病で 苦しんできた、世間から虐げられてきた方への描き方は、あの写真集1冊 のみで良かったの だろうか。ハンセン(ライ)病の方々はどう思われただろうか。ここは、 慎重に描くべき。 徳江さんが、毎朝5時来るというが、どうやって来るの?冒頭近く描いて いたようにまさか 施設から歩いてきているわけ?なぞの三つ編み中学生「ワカナ」の作品へ の登場に違和感もあった。 風景描写があまりにも多すぎる。人間の心情を投影しいているのだろう か。私には判りません でした。徳江が50年「餡」を作り続けたって何処で?どうして千太郎の所 に来たの?徳江の 千太郎への手紙の文章が上手すぎませんか。私は此処は号泣でしたが。 最後の場面、千太郎は「どら焼き売り」を何年続けるの?終りは、しっか り着地点を明確にして 欲しかった。 河瀬映画としては良かったですが、河瀬作品としては全然ダメ。
こんな店地元にあったら
閉じ込められた三羽の鳥たちのハナシ
予備知識なく観ていたもので、中盤、徳江がかつてハンセン病を患っていたことが判明する件で、いまどきこの話題なのかぁ、とかなり驚きました。
映画としては、うーむ、ちょっと肝心なところが欠けているかなぁ、という印象。
映画の核となるのは、次のふたつ。
ひとつは、ワカナが飼っているカナリア。
閉じ込められたカナリアは、三人三様の象徴。
隔離政策で人生の大半を世間から隔離された徳江。
過去の刃傷事件で小さなどら焼き屋に囚われたように生きている千太郎。
貧しい母子家庭を憂い、自分で自分の未来を閉ざしているワカナ。
陽のあたるところ(世間のあるところ)で暮らしてみたいと願って行動した徳江の行動が、結果として千太郎とワカナを解き放つことになるのだけれど、千太郎とワカナが決意・転換する瞬間が描かれておらず、判りづらく、感情移入しづらい。
もうひとつは、丁寧に小豆からあんをつくる徳江が、小豆に耳を傾けるところ。
あんになる前の小豆が、どのように過ごしてきたか、それを聞くんだよ。
だから、おいしくなれと願って、丹精を込めるんだよ。
徳江は千太郎にそう語る。
もの言わ(え)ぬものの声を聴く・・・
多くを語らなかった徳江の声を聴くのは、最期の最後、彼女が遺した手紙によって。
タイトルが『あん』なのだから、たぶん、こちらが本筋、物語の核なのだろう。
が、映画は先のカナリアに収斂している。
ならば、やはり千太郎とワカナが決意・転換する瞬間がどうしも欲しい。
なので、うーむ、ちょっと肝心なところが欠けているかなぁ、すとんと腑に落ちないもどかしさが残ってしまいました。
今を生きる人々
千太郎の寡黙な演技と、そこにある情念のような思いが演出で存分に伝わってきました。
徳江さんも小説から飛び出たような、すんなり入る演技はさすが樹木希林さん、圧倒されますね。
ワカナちゃんが語り部の一人を担っていたのも若者向けで好感が持てました。
この映画は今も療養所で生きている人々の温もりを感じます。
筆舌に尽くしがたい差別に苦しみ、今もなお療養所でくらされている方々は多くいると思います。
そんな方の一片の希望であり
差別を目の当たりにして来た世代の方にも深く考えさせられる構図でした。
ひとつ何点をつけてしまうならば
10代20代のハンセン病を知らない若者たちに、もっと大きな強い差別という名の衝撃を与えても良かったのでは。
と感じました。
それがあるからこそ、療養所で暮らす人々の体温が伝わって来るかと思います。
へー、こんなことがあったんだ。差別ってよくないね。
だけでは淋しいな・・・。
と思ってしまいました。
同じ生を持つ人間の、泡立つ血というものが
皆持っている当たり前の事になるように。
それが徳江さんたちの、現代に生きる療養所の方々の切なる思いを感じました。
徳江さん、美しく咲き誇ってください。
千太郎さん、もうひと頑張りですよ。
ワカナちゃん、自由に羽ばたいてください。
ラストで泣かされました。
まず知ることが大切。
予備知識なく空いた時間タイミングよく入れた映画がこれだったのだけど、開場してから人がどんどん押し寄せ満場に。
なるほど、鑑賞後素晴らしい映画だと認識しました。
あんって人の名前か何も知らないまま観たのだけど、どら焼きの餡のこと。
不思議な現れ方をした徳江さんが魔法のように美味しいあんを作り出す。
主題はものづくり、あんづくりではないのだけれど、小豆があんになっていく過程が詳しく描かれていく脚本は、物やそれを作る人を愛おしんでいるのがひしひしと伝わってくる。
折しも某朝ドラではフランス菓子を作る物語なのに、素材の紹介はおろか、どう作ったかも説明もないし、出来上がったものすらまともに映らないのをもどかしく思っていたところ。
小豆の一粒一粒と語り50年美味しいあんを作り出してきた徳江さんのあん作りの工程は観ていてもちろんそのあんを食べてみたくなるし、自分でも作ってみたくなる思いにさせられる。その工程を観るだけでも素晴らしい河瀬直美監督ならではの脚本・演出だった。
やがて徳江さんは実は元ハンセン病患者だと、知らずに観ていた自分も千太郎と同時に気づくことになる。
訳ありな人生を生きている千太郎は徳江さんを辞めさせずに雇い続けるが、やがてそれも病気の噂が広がりままならなくなる。
千太郎は言葉で解雇を申し渡したわけではないのだが、察しのいい徳江さんからどら焼き屋を離れていく。おたがい相手を想いながらどうにもできない悔しさに打ちひしがれる。
それからの中学生のワカナとの施設への訪問で、徳江さんたちハンセン病患者の差別と偏見を知るが、どうやって立ち向かえばいいのか、観る側にも胸に突き刺さる問題である。
家族からも絶縁され、間違ったらい予防法で長く隔離政策に苦しめられてきた彼女たちの人生は想像もつかない絶望感でいっぱいであったはず。
その重苦しさは具体的には描かれてないけれども、施設を隔離する美しくて静かな自然が対照的で切なくて哀しい。
ハンセン病に限らず、人を差別したり偏見を持つことには誰でも少なからず持っている人間の卑しさなのかもしれない。絶対に自分は差別なんてしてないと言い切れないのが心に痛い。それには正しい知識を得ることが大事だし、知るだけで終わるのではなく啓発、教育も必要。
重くならず、けれど胸に訴えるものは大きく響いてくる映画でした。多くの人に観てもらいたい素晴らしい映画。
オススメです。
こころの濾過
差別というものを思うとき、頭では理解していても、心底からの許容は難しい。特に形から来る差別というものは、表面的には出てこなかったりして、厄介極まりない。このお話し、ハンセン病に限らず、他のすべての差別にも同じことが言えるだろう。
この作品は、自分の心の中にある差別に対する意識に、ゆっくりと、そして鋭く問いただしてくる。自分自信は差別の気持ちなんか持ってない、と思っているものの、果たしてそうなの?と問いかけ方は優しい。
自然の様々な風景や音、佇まいの中、やりたいことがなにも出来ずに過ごしてきた人生がある。生垣の向こう側に行くことも叶わずにひっそりと生涯を暮す現実がつい最近まで続いていた。
この事実を知らずに差別の話は出来ないのかもしれない。
徳江さんに会いに行った施設。そこで出されたおぜんざい。
千太郎とワカナは、ほとんど躊躇することなく食べた。
・・・だが、もしその場に居たのがぼくだったら、そのおぜんざいを食べることができただろうか??
映画を見終って一日が過ぎたが、頭の中でそのことを繰り返し自問自答している。
河瀨直美監督の豊かな感性や鋭利な問題提起、そこに樹木希林さんの円熟の演技、表現力が合わさって、この映画は最高の出来映えとなっていると思う。これほどあらゆる面で完成度の高い作品はなかなかないと思う。
そして、この作品を見て、悲しい、可哀想、と思うのではなく、自分の心をしっかりときれいにしてくれる映画なんだ、と深く感じることが大事なんだ、と心から思う。
こころを、透明に、純粋なものに濾過してくれる、そんな映画である。
いいんだけど…
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