「始めと終りで「怒り(色)」を反転させた訳」怒り よーすけさんの映画レビュー(感想・評価)
始めと終りで「怒り(色)」を反転させた訳
(個人的な見解です)
この映画は、何かを諦めない方々に向けたエールだと、最後の最後に気付かされました。
犯人探しのサスペンスかと思いきや、愛しい人をいかに信用できるか、というヒューマンドラマがメインの映画になっています。
映画の中の田中は、他人を見下すことで自分を保っている最低の弱人間でした。チラシに書きなぐられていたように、世間の怒りを部屋(自分)に溜め込んでしまう性格です。
里佳子の哀れみ(優しさ)を見下されたものと思い、溜まっていたものが一気に溢れ衝動的な犯行に及んでしまいました。
溢れ出て発散した「怒り(赤)」を、その場に残し。
田中が世間の怒りから離れ、穏やかに暮らして1年が経ち、泉と辰哉と出会います。
他人を見下し、人を全く信用していなかった田中は、人を信用し全く疑わない二人を愛しく感じるようになりました。
三人でご飯の後、田中は二人のことが心配になって戻ってくると、例の事件が起きます。
ここで田中は迷いました。殺人犯の自分が助けにいって警察から事情を聞かれると自分の素性がバレてしまう。何より自分の証言の信憑性もあったものじゃない。米兵ならなおさら法律の蚊帳の外。何も出来ずにただただ膝を震わせていた。ようやく出た行動が「ポリス!ポリス!」だった。
辰哉も田中も何もできずにいた。田中は「(これからどうしていけばいいか)考えていこう」と言って、出した答えが民宿の騒動。
田中は逃げた。辰哉だけが居場所を知っていた。
田中は自分が殺人犯であるが故に救えなかったことを悔いて、殺人犯の特徴と報道されているほくろを取ろうともがいていた。
辰哉が来る。
何事も信じて疑わない辰哉は、田中の発言に怒り田中を刺した。
それまで何もできなかった辰哉の、
誰にも、何処にもぶつけられない「怒り(白)」を、今度は田中が受け取った。
始めの「怒り(赤)」は田中が発散したことを、
終りの「怒り(白)」は田中が収束させたことを意味しているのだとすると、田中が青空のもと最後に見た(であろう)青い澄み渡った海は、田中の心そのものだったはず。
現代に蔓延るキャッチーなワード(殺人事件、LGBT、知的障害者、非正規雇用など)を散りばめ、すべての怒りをまとめて表現しているのは他でもない、山神という存在だったのではないでしょうか。
最後のシーン、泉が白無垢の服と凛とした眼差しで、「怒り」の前に立ちはだかり、海に向かって駆け出し、海で叫ぶシーンで、何も変わらないと諦めていた自分から、何かを変えようと前進する(もがく)ことの決意を表現することでエンディングとしています。
(所感)
スタートからただのサイコパス映画かと思って見ていましたが、強烈な映写とは裏腹に、人の心を細かく描くという、独特な世界観に、エンドロールも静かに口を開けているのみでした。
映画の中で「理解しようとしない人に説明しても理解してもらえないですからね」とありますが、あなたは田中のこと、理解しようとしましたか?