「世の中の不条理」怒り everglazeさんの映画レビュー(感想・評価)
世の中の不条理
八王子の夫婦殺害事件の犯人が逃亡して一年後、経歴不詳の3人の男性の謎を巡り、物語は進みます。
千葉に現れた田代、東京の大西、沖縄の田中。
謎の男性側に立って新しい環境を見ると、冒頭から明らかに一人だけ周囲に違う対応を見せる者がいます。
(ネタバレのヒントになるので未鑑賞の方は、この先を読まないで下さいね。)
前者2人は、周囲が声をかけ、その生活に溶け込ませて彼らの過去を知ろうとしますが、田中は、自分を発見した泉に対し、彼女が1人で来たのかなど、積極的に質問を浴びせます。
この辺りから既に誰がホシかは見当がつくのですが、映像や演出で、後半まで謎を残して引っ張ります。
千葉も東京も、愛する人を信じきれなかったという、男性を取り巻く周囲の人々の後悔、自身への怒りが見られます。当の男性達、田代と大西は、自分ではどうすることも出来ない不幸を抱えながら、それに怒りで対抗するというより、最低限身を守るために社会を流れて生きてきた者達です。自分を信じない・受け入れない世間を恨むのではなく、むしろ自分と関わった人達に迷惑がかからないようにしたいという思慮深さや配慮すら見られます。
沖縄の田中は、社会で自力で這い上がれない悔しさを無意識に抱えて生きてきたようで、周囲の人々を根本的に見下すことで自尊心を保っています。人々に親切にされ受け入れてもらえても、地に足をつける機会が与えられたと喜ぶのではなく、見下す人間から自分は見下され、憐れまれているのだという、世間への歪んだ怒りを宿しています。彼が隠れる孤島の廃墟は、見合わない自尊心を守る彼の城なのでしょう。その証拠に、訪ねてくる泉や辰哉ら来客には、機嫌良くもてなそうとし、泉の相談に乗ってご馳走する側になる時も上機嫌です。社会に受け入れられる以前に、田中は自分自身を受け入れることが出来ていないようでした。いつまで経っても何者にもなれない自身への怒りも噴出しているのかも知れません。
八王子の主婦も、沖縄の民宿も、"no good deed goes unpunished"という諺そのものを体現しているようでした。
田中の周囲では、田代や大西とは違い、裏切られたという怒りは勿論のこと、他人を安易に信頼する無防備さや、行動に移せない己の弱さの自覚という自己嫌悪のような怒りを覚えます。田中は社会の不条理そのものであり、田中に関わった人々は、声を上げるのも躊躇われるほどの苦しみを抱えることになります。
それは、何の罪もない人々が、事故や事件に巻き込まれたり、病に苦しみ命を落としたりする不条理でもあり、沖縄の人々の「何故私達が」という理不尽に対する想いとも重なります。
逃亡犯の名字は山神。自然や神の不条理は、人智の及ばぬ所であり、理由もなく襲いかかる人生の不幸に為す術がないことへの、人間が抱いてきた静かな怒りの象徴のように思いました。