「絶望と諦め以外に選択肢がないことの重さ」怒り 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
絶望と諦め以外に選択肢がないことの重さ
【2016.10.8追記】
泉ちゃんのこれからのことを前回レビュー以降も考え続けてしまいました。
失った人や時間や後悔を100パーセント取り戻す事は出来ないけれど、かたちを変えて快復していくことはできるのかもしれません。
槙親娘はこれからの共同生活のなかで、優馬くんはこれから出会う人との関係性のなかで、今度は信頼仕切ってみようとまえを向く術はある。辰哉くんも、刑に服する(罪を贖う)ことで、なすべきことがそれなりに見えてくる。
ところが泉ちゃんだけは、なにも出来ないし、選択も出来ない。もし、被害を公にして闘おうとしても、日米地位協定等国家レベルのシステムが大きく立ちはだかる。秘密を共有する辰哉くんとはおそらく『さよなら渓谷』よりも難しい関係で、支えてくれる存在にはなり得ない。あの日、逃げることの出来ない恐怖の中で受けた心と身体の傷は自分一人で抱え続けて行くしかない。
泉ちゃんにとって選択肢は『絶望すること』と『あきらめること』のみ。泉ちゃんの咆哮が、『深くて重い』理由のひとつかもしれないと思いました。そして、現実の世界にも、そのような状況(決して犯罪被害者だけではない)の人びとがたくさんいるということに、もっと想像力を働かさなくてはいけないのだということにも気付かされました。
【以下、前回レビュー】
世の中には理不尽で邪悪なこと、もの、人が存在する。多くの人々は、幸いにもそんなことに巻き込まれることなく日常生活が送れているが、もし、自分もしくは家族や近しい人が巻き込まれたら?
そんな想像もしたくない、けれども誰にも、何時でも、起こり得るということを容赦なく突き付けてくる凄まじい映画。
これから始まる辰哉くんの裁判で、泉ちゃんがもし、あの事実を証言したら彼の罪は軽減される。けれど辰哉くんは、何もできなかった贖罪の気持ちからそれを拒むのはわかっている。証言するかしないかは泉ちゃんの決断次第。そもそも田中さんに声かけて遅い時間まで飲むことになったのは自分のせいだし、などとあれこれ考え葛藤すると、被害者だった泉ちゃんさえも負い目を感じて自分を責めることになるかも知れない。優馬くんも槙親娘も皆、自分に怒り(強烈な自己嫌悪)をぶつけるしか無い状況で慟哭する。
そんな中、唯一、怒りを外(他人)にぶつけた者だけが、邪悪な存在(加害者)となっている?
卑近な話で恐縮ですが、組織におけるパワハラ(いわば、身近にいそうな邪悪なひとの例です)の加害者も自分のことは差し置いて(内省することなく)弱い他人に攻撃するタイプが多いような気がします。
本作で描かれたように、取り返しが付かないことになって初めて、何か出来ることがあったかもしれない、と思うことは現実にはたくさんあるし、解決出来ないことの方が圧倒的に多い。自分が出来ることは、せめて、邪悪な側(たとえば、パワハラ上司の顔色を伺っているうちに、自分も弱い立場の人にとっては邪悪なイジメる側に安住してしまうようなこと)にならないようにすることだけかも、と思い知らされました。それと同時に、もし自分が自分でコントロール出来ないような怒りに駆られたら、簡単にヤマガミになり得るのだという恐ろしい現実も認識させられました。でも、そう思うことにこそ希望もあるのかもしれません。そう思わないと、なかなか立ち直れないほどの衝撃でした。
最後の泉ちゃんの咆哮は、ある意味、東京駅でのシンゴジラよりも深くて重く、少なくとも、これでひと段落ではないと思いました。
篤姫・あおいさんのインセプション・ワタナベさんを圧倒する渾身の演技、悪人・妻夫木さんがロクヨン・浩市さん以上にみせる慟哭、海街・すずちゃんの体当たりの、という月並みな表現を超える出し切り感のある演技‥‥これだけでも五つ星でした。