「前作よりラブコメもアクションもパワーアップ!」図書館戦争 THE LAST MISSION 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
前作よりラブコメもアクションもパワーアップ!
物語は、この世に一冊しか現存しない『図書館法規要覧』が、水戸市で開催される芸術の祭典で目玉として展示されることになり、関東図書隊のライブラリータスクフォース総勢54名は全員で、保管場所の水戸県立図書館の警備に当たることになりました。
自由の象徴と『図書館法規要覧』は、図書隊の任務に就く者の心の拠り所となる書籍。それだけに、対立するメディア良化隊が、図書隊の志気をくじき、自分たちの理念を否定するかのような表現の自由をテーマとした芸術展の開催を阻止するため、この書籍を狙いにくることは、必至の情勢でした。
けれども、そもそもこの『芸術の祭典』は企画段階から、図書隊殲滅を目論む文科省官僚の陰謀によって進められてきたのであり、まんまと水戸に出動してきた図書隊は、メディア良化隊の猛攻を受けて、全滅のピンチに落ち入れます。
その中で、『図書館法規要覧』を守るため、メディア良化隊の攻撃をかいくぐって本を持って脱出した堂上とは、無事芸術祭会場まで本を届けられるだろうかという内容でした。
大ヒットした前作を継承しつつ、内容的には前作よりもパワーアップしているので、期待してください。
特に、大きく変わるのは、堂上と笠原の関係。前作では、王子様キャラとツンデレな女の子コンビというマンガチックな演出が目立ちました。本作では、より自然に上官と部下という絆の強さを見せてくれます。それでいて、堅物な堂上と天然ボケの笠原がズレまくる、「恋のさやが全く当たらない」シーンは、前作以上にコミカルで各シーンで大爆笑を誘いました。とにかく堂上から逃げ回る笠原の姿が可笑しくてたまらないのです。そして演じている榮倉奈々が、とてもかわゆくも思いました。 佐藤監督は、『GANTZ』のよわうなアクションも上手いのですが、ラブコメも撮らせたら上手い監督さんだと思いました。
恋する男女の絶妙な間の撮り方、言えそうで言えない恥じらう気持ちの応酬を描くところがとてもうまいのです。また今回は前回以上にちょっと恋の進展も期待していいです。ほんの少しですがね。
あと、堂上が笠原の頭をポンポンするお決まりのシーンも健在です。あれは演じている岡田は凄く恥ずかしいのそうですが、照れるほどに周りのスタッフは冷やかしているのだとか。
そして本作では、前作以上に銃撃戦シーンもパワーアップ、水戸県立図書館を舞台に、総力で進撃してくる創化隊の猛攻に。徐々に追い込まれていく図書隊の苦境がリアルに描かれます。
前途したように堂上と笠原は、脱出して水戸の市街地を舞台にした逃走しながらの格闘シーンとなります。ここでハッとするのは、笠原の成長。まるで主役が移ったかのように笠原は、自分の考えを堂上に意見し、展示会場向けて力強く走るのです。ときにたった独りになってでも。最後に見せる笠原の表情は、感動的。ぜひご注目ください。
このシーンでは、前作では所作が弱々しかった榮倉奈々が、見事に敵襲でもアクションをこなしていることが特筆に値するでしょう。その甲斐あって笠原の存在感がグッとアップしました。
もちろん、負けじと岡田の得意な接近戦をたっぷり見せてくれます。ただ格闘技のインストラクター資格を持つ岡田にとって、それを極めれば極めるほど見せるアクションは苦手になるというジレンマを抱えていたというのは意外でした。
絶体絶命の修羅場をふたりで乗り越えたからこそ、不器用なふたりの関係も一歩前進が期待できそうです。
このように作品としては、凄く面白い展開に仕上がっているので、期待して見に行ってください。但し、個人的に作品の世界観には抵抗があります。
図書館のみで許可されたいたはずの発砲許可も、市街地まで拡大。流れ弾で市民が犠牲になったら、悪徳図書取り締まりの問題どころではないはず。もうむちゃくちゃな設定です。日本国民同志が市街地で流血戦を行っている惨状に、いったい警察や自衛隊はどうしているのか!こんな無法状態が放置されてもいいものだろうか!と思いました。
そして、お決まりは図書館隊はいつも劣勢に立たされて、次々隊員が倒れていって、絶対絶命のピンチになっても、なぜか誰ひとりも死なないのです。
映画『猫侍 南の島に行く』では、臆面もなく画面に出てくるト書きで『主人公は絶対死なない』と居直っていると一緒です(^^ゞ
また、マスコミの対応も遅いですし、現実にこんな言論弾圧が起こったら、市民が蜂起して、大きなデモ隊がメディア良化隊本部を取り巻くことでしょうね。本を守るためにいのちをかける戦闘を行うくらいだったら、もっと尖閣や沖縄防衛、拉致被害者救出のほうに熱心になってもらいたいところです。
あと図書館隊を見ていると今の自衛隊と憲法9条をイメージしてしまいます。 なぜ図書館隊がいつも守勢に立たされているのかというとどんなに攻撃されても、図書館の中だけの専守防衛に限られてしまうのです。いくら隊員に犠牲者が生まれても、メディア創化隊が撤退したら、それ以上手出しが出来ません。だから何度でも、メディア創化隊は装備と人員を立て直して、図書館隊の殲滅にかかれるわけです。これでは勝ち目はありません。こんな不毛な戦いを終わらせるには、図書館隊が専守防衛を捨てて、メディア創化隊本部を急襲して、幹部をことごとく殲滅するか逮捕・捕虜にすることです。それができないから図書館隊はいつまでも危機を乗り越えることができません。これは日本の防衛にも同じことが言えるでしょう。
最後に、原作を知らない人のために、なんでこんな戦いが起こったのか
当初の体制は拳銃を装備した警備隊程度のものだったが、図書館攻防戦で多数の死傷者を出した「日野の悪夢」等に見られる良化法賛同団体によるテロや、良化特務機関の威力的検閲のエスカレートに伴い防弾衣や軍用銃などが配備され、図書隊制度確立と防衛力強化が進むこととなったのです。
図書隊および良化特務機関は超法規的解釈により、戦闘行為を行っても第三者の生存権や財産権を侵さない限りは、たとえ死傷者が出たとしても司法が介入することはありません。交戦規定上、市街地等での発砲権はなく、図書隊の図書館施設外における武装には申請が必要であるという設定でした。
本作で悪役に立たされるメディア良化法についても、ステレオタイプに悪しきものとして描かれていない点が好感が持てます。その成立についてただ権力者が独裁的に成立したのでなく、国民の政治への無関心ばかりか、興味本位の過激なイエロー・ジャーナリズムによる報道被害が社会問題化していたという現実の昭和末期と同様の状況に加え、スキャンダルを追いかけることに血道を上げる余りマスメディアが問われていたことが劇中語られるのです。表現の自由の規制というと、すごくイメージが悪くなりがちですが、商業マスコミの表現の自由の暴走が、人権侵害の横行にまで至るとき、国民はメディア良化法を支持することもあり得るのだという点で、本作は世の中に表現の自由について一石を投じていると思います。