神々のたそがれのレビュー・感想・評価
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汚い、不快、☆5。
圧倒的な完成度、情報量、突出した作品であることは間違いなく、スゴいから、で☆5にしたくなる作品だ。
グチャグチャで汚ならしく、死体とか刑具とかイヤなモチーフも多く、色がなくても観ているのは結構辛い。そして訳のわからない台詞が多くて気分が悪い。モノクロだし、ゴチャゴチャで状況が解りづらい。脇の人物や垂れ下がっているのものが頻繁に視界を阻んで不快だ。
時々視線を送ってくる人物がいるせいか、自分も映画の中の世界にいるカメラマンの気分になってしまうことがある。それもまた、不快である。
スゴいものを観た、という達成感はあった。映画通じゃないので知らないが、こういう映画は他にあるんだろうか。中々特殊なのでは?
分かり易くてメッセージもシンプル。ただし、事前に予習しておくこと
「神々のたそがれ」 分かり易くてメッセージもシンプルな映画だった。
モノクロの3時間ほどの長尺もののロシア映画なので体調整えないと寝てしまう恐れがあり、XX打破を飲んで臨んだ。(普通はやらないが)事前に粗筋を頭に入れておくとカメラワークや映画そのものを楽しめる。
パンフレットが、多少のタイポはあるもののよく出来ていて、後ろの方にある粗筋が原作と対比しつつ細かく書かれている。掟破りかもしれないがこれを読んでから見た方が、楽しめる映画だ。ただし映像はどぎついので注意が必要。
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ここにも書かれているが、話しはSFで地球より800年ほど進化が遅れている別の惑星の王国の首都アルカナルに派遣された何人かの観察者の一人、ルマータの物語。彼の地での彼の身分はドン(貴族)で、何故かクリプトン星から来たカル・エル(スーパーマン)のように強い。
(ここからはネタばらしになったらご容赦だが、あくまで個人の感想)
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恐らく地球の科学力の象徴のように暗示的に登場する手甲のお蔭かもしれないが観察者達は彼の地では並はずれて強いことがすぐが分かる。観察者達は、日本の甲冑のような格好したのもいたりするが(原作では主人公の幼馴染という設定らしい)なかなか分かり難い。
画面は、同じく主人公が額につけている飾りがまるでカメラででもあるかのようなクローズアップが多用されている。SF的設定はそのぐらいかな。
物語は王国にいる輩[やから]の権力闘争や陰謀、そこに“灰色隊”や“神聖軍団”といった「力」が絡んでクーデターが起こる。王・皇太子、迫害される知識人、貴族と奴隷などが当たり前のように出てくる。
これにぐっちゃぐっちゃの気候と土地、手鼻が当たり前の人々といった映像が全編通して出てくるのだから、確かに観るのに体力が必要だ。
映画のメッセージは単純かも知れないが映画的言語の断片もいろいろ見つけられると思うし、こういうのに興味がある人は(2回観るか事前にパンフの粗筋を頭に入れておいた上で)観てておくべき映画の一本だと思う。
わかりやすい寓話であるが、観客にはツラすぎる
ロードショウのときは、ゲルマン監督の作品は1本も観たことがない上に、原作はアンドレイ・タルコフスキーが映画化した『ストーカー』と同じくストルガツキー兄弟だし、その上、モノクロ3時間という代物。
よっぽどの覚悟を決めなければ・・・と、二の脚を踏み、今回特集上映で鑑賞。
ストーリーはよく判らない。
設定はナレーションで説明されるが、惑星の住人たちとの攻防など、誰がだれで、どういう立場なのか、あまり説明がないまま進んでいくから。
ロードショウ時に観た友人曰く、
「ストルガツキーの原作は1960年代に発行されて、ロシアではベストセラー。ほとんどのひとがストーリーは粗方知っている」
はずなので、
「あまりストーリーの説明には重きを置かない演出をしている」
らしい。
という前知識だけはあったので、ストーリーが判らなくてもいいか、って気持ちで観ていました。
じゃあ、どこに力を置いているんだ、というと、とりもなおさず画面づくり。
中世ルネッサンスを思わせる石造りや土壁の住まい。
三方を沼に囲まれ、突然降る粘つくような豪雨と長く続く霧の相乗効果で、道という道は泥まみれ。
甲冑をまとった「神扱いされている」ドン・ルマータはまだしも、それ以外の登場人物は、これでもかというほど汚れに汚れている。
その上、泥や汚物を顔に塗りたくる風習など、生理的に受け付けないような行動をとるひとびと。
それを長廻しのカメラで撮っていくのだから、うーむ、臭いまで感じそうで辟易する。
しかし、30分ぐらいすると、その風景にも慣れてきて、なんだかストーリーもおぼろげながら判ってくる。
知識人たちを次々と処刑していた上層階級がいて、その周りに兵士がいる。
かつて、その上層階級から追われた僧たちが僧兵となって、都へ舞い戻ってくる。
そして反乱を企てていた農民たちの集団は、都を離れて逃げていたが、あるとき都へやってくる・・・
と、たぶん、人間の歴史を短い時間のなかで再現しているようである。
神扱いされているドン・ルマータは、そういう上層階級や僧たちや農民たちに傍若無人に振る舞うが、決して手を出したりはしない。
なるほど、そういうことね。
原作のタイトルは『神様はつらい』。
なにもしない、なにもできない神にとっては、人間が繰り返す行為そのものが耐え難い、ということなのだ。
終盤、ドン・ルマータは、文字どおり「神は、つらい」と言うが、「神は、無力だ」とも言う。
地球と異なる惑星でも、人間の行うことは「蛮行」にほかならない。
それを、「単に観ているだけ」なのは、つらいはず。
それをゲルマンは画面でみせる。
画面づくりだけではなく、カメラワークも使って、である。
長廻しのカメラで撮っていく中で、登場人物の多く(その場面のハナシを進めていく役の登場人物ではなく、傍の登場人物だが)は、カメラを意識して、カメラの前を通り過ぎたり、カメラを覗きこんだりする。
それは、席に座ってみている観客に向って視線を送っているのである。
つまり、ドン・ルマータだけではなく、観客も観ているだけなのはでツライだろう、よく目を見開いて観ろ、というのがゲルマンの意図だろう。
クライマックス、掟を破ってドン・ルマータは都の住人を殲滅しようとする。
そして、ほとんどの住人は死に絶える。
しかし、都を離れていたひとびとが戻ってくる・・・
突然降る粘つくような豪雨の季節は秋だった。
一転して雪景色・・・
になるが、生き残ったドン・ルマータは数少ない人々と一緒にいて、映画の冒頭と同じ行為を繰り返す。
人々の対応も同じままに。
まとめてみると判り易い寓話であるが、それにしても・・・ゲルマン、凄すぎ!
腹いっぱい
豊穣な言葉と混沌として生理に訴えかける絵。
最初の30分は3時間起きていられるか疑問だったがある意味あっと言う間の3時間。
”灰色”が”黒”に変わるだけ、という主人公の言葉で旧ソ連映画を思い出す。ソ連映画はロシア映画になっても政治(映画)情勢はあんまり変わってないのか?
ソ連時代の”ストーカー”は美しい画面と不条理な状況が印象に残っている。今回はひたすら汚い画面。映っている物だけでなく画面の動きも。最後は清浄な雪の画面でお口直し。
映画ファンなら見ておく価値あり。(いろんな意味で)
わからなかった
上半期トップに挙げている人も多いこの作品。
私にはわからなかった。
そもそも、誰が何で、何がどうなったかがイマイチ理解できなかった(笑)
まあそれは見る側の私の問題なのだろうが。
ただ、三時間長く感じずに見入ることが出来たのは事実。
なんか色々とすごい映画だった。
こんな汚い映画 生まれて初めて観たorz
始まって3分と経たないうちに、3時間は見切るのは無理かも知れない… と思いました。そして案の定 視野に入っていた客席より5名が離脱していきましたw
地球とは価値観が真逆の惑星での話…
知性=愚か、 綺麗=汚い、正義=悪 、と価値観が逆転しているので、台詞や行動を反対の意味に翻訳すると分かりやすい。
なので日常は終始ドロドロでゲロゲロ、皆さん汚物の中で生活している様な人達(モノクロで良かった)。
根本的には、国籍、人種、宗教、と価値観が180°違う異端者の中で、どう関わり生きて行くのかと言う普遍的問題を問う作品なのだと思います。
それでも最後まで全く眠くならずに観れ、星4つなのは、徹底したワールドに対するビジュアル。
これは本当に素晴らしく、あえて不快に不快に感じられる様に計算し尽くされた画面を作り、世の中はクソだ!と皮肉るかの様に、観る側を精神的に不快に追い詰める。そんなコンセプチュアルな所はまさに現代アートの表現そのものでした。
生涯こんな不快な映画は観る事は無いと思うと貴重な体験 (-。-;)。おかげで、持って入ったコーヒーは吐きそうで一口も飲めませんでしたorz
3時間耐え抜いた自分を褒めてあげたい(T^T)
WAMということならばクリスマスソング
難解というイメージの共産国のしかもSF映画だが、しかし所謂VFXやCGを用いたエンターティンメントな表現方法とは真逆の、リアリティ溢れる作品と感じる内容である。
とはいえ、記録映画的な演出、そして全編を通しての達観的で皮肉溢れる雰囲気はハリウッド映画との逆ベクトルとしての面白さをもたらしてくれる。
以前に観た『パフューム』を思い起こさせる、中世期ヨーロッパの市井のインフラをこれでもかと叩き掛けてくる説得力に目眩がしてくる。しかも三時間という現在映画では長丁場で…
汚泥、血、糞尿、体液、食品、動植物、昆虫、ありとあらゆる個体から吐き出す嘔吐と吐瀉。これ程の汚い描写をこれでもかと見せつける映画は今まで観たことがない。
しかしその人間の人間たる根源みたいなモノを表現するにはこれ以上にない描写であるのも事実である。
強烈な印象と紛う事なき本性、そしてアイロニーと諦観。何度も人間は同じ過ちを繰り返し、そしてバターになる…
決して希望も誇りもない世界。厭世を自覚するには充分過ぎる程の内容である。
ソプラノサックスのような楽器、そしてダウンジャケットのような甲冑、少ないギミックだからこそ強烈な印象がこの映画はSFなんだと思わせる。
もし、未来から、又はテクノロジーが発達した星から来た者が今の地球に訪れた場合、この野蛮な星をどう思うのだろうか…
とにかく今観るべきは未成年なのだろう。
※WAMはウェット&メッシーの略
怒りの矛先
地球より800年遅れた星が舞台。
その星にやってきた調査団の視点で、映画は語られている。
星の人々は、ある人は珍しそうにカメラを覗き、ある人はジャマだなとカメラに向かって呟き、動物達は勝手にカメラを横切る。
観察者が撮っている記録映像といった趣。
そんな映画を見ている観客もまた、観察者の一人なのであろう。
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他の方も書いていらしたが、ソ連らしい映画と思った(絵とは別の意義でも)。
その星では、帝政→革命→社会主義→崩壊と形態をかえてきた20世紀のソ連さながらに、力を持っているものが入れ替わる。皆、前の時代より良くなったと言うけれど、どの時代も醜悪。
為政者が栄えて滅びるを繰り返すあたりは、「大国の興亡」も彷彿とさせ、何もソ連にかぎったことではなく、地球の歴史を早回し、かつ露悪的に描いてみせたのかな、とも思う。
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主人公は、長年その星に滞在する調査団の一人。観察が役割なので、その星の人々が愚かしかろうと何だろうと、基本、傍観して、たそがれているだけ。
が、主人公がその星の女を愛し、女が抗争に巻き込まれて死んでしまったことで、様相は一変する。
何だコノヤローの、ちゃぶ台返し。傍観者の立場から一転、星の為政者を上回る、血を血で洗う大粛正。
主人公の怒りは、為政者やそれに諾々と従う愚かな民に対するものかと、最初思った。
でも、実のところ、怒りは、自分の同僚…観察者の一団、どんな光景を見ても「これが歴史だよ」とうそぶく連中に対して、一番強いように思った。
長年その星に居て、その星の歴史を作っている一員でもあるのに、他人事で自分が汚れないように、傍観者の立場を貫く者への怒り。
オレは観察者ではない。当事者だったんだ。そのことに気付いた怒り。
観察者ではない当事者だから、その星を愛せるのだ。
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最初に、この映画の観客も、観察者だと書いた。
糞まみれの星をみて、「これが歴史のカリカチュア」なんて書くような、したり顔の観客に対しても、同時に怒っているように思った。わかったような顔をしているお前らも、ほんとは当事者なんだからなと。
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追記1:
この映画と全くテイストは異なるが、アンゲロプロスの遺作『エレニの帰郷』と同じ感じを受けた。どちらも激動の20世紀を凝縮した話であり、それを傍観者ではなく当事者として撮った映画だと思う。
追記2:
散々、真面目に書いておいて何だが、糞まみれの星の様子が面白すぎて、諸星大二郎と漫☆画太郎のマンガの実写版のような映画だったなあとも思う。
間違いなくソ連のいつものSF映画
久々に本格的「ソ連」映画(ロシア映画じゃなく)を観た感じ。ソ連映画を見ていた方ならそんなに違和感なく見られます。書き込みが異常に多い映像ですが、話は単純明快、2時間ほどに縮めた方がすっきり見られたのになと残念でした。
間違いなくソ連のいつものSFです。テイストとしてはやや重ための「不思議惑星キンザザ」と考えてください。そのキンザザをはじめ、タルコフスキーやニキータ・ミハルコフを意識した映像作りや演出が随所に見られます。意外だったのはヒッチコックに影響されてるのかなと感じる演出も多かった点です。ギリアムの夢三部作なんかも影響を与えてるんじゃないかな。
あと、宣伝では「糞尿にまみれている」と強調されていますが、あくまで他所の星の800年ほど遅れた文明の文化を描くツールとして使われているだけで、劇場で見る限り、不快感や残虐性はほとんど感じません。ハリウッド映画を見慣れていれば神経逆なでされるほどのことは全くないと言っても過言ではないです。そして、このツールこそが映画のエピローグで「何かが変わった」ことを映像的に説明するため最大の武器となっています。たじろがず、しかと見届けましょう。
最近、辛口の酒が少なくなったとお嘆きの貴兄にはおすすめできる酒です。
話は全く理解できず、しかし映像は強烈
ストーリーは全く理解できませんでした。白黒である理由、それはあまりにもグロい絵であるからなのか・・・映像に耐えられない人も必ずいると思います。平日にもかかわらず座席が八割ほども埋まっていたのには驚きでした。単館のなせる業なのか、期待値を煽られてのことなのか分かりませんが、勘違いして来ていた人も多いはず。自分も想像を完全に裏切られた感じ。タルコフスキーの「ストーカー」並みの期待をしていたのだが、難解さだけが同様で、映像は相反するもの。美しさはストーカーには全く及ばないものの、絵の力はそれをも凌ぐもの。決して楽しくはない、はっきり言ってつまらない、しかしながらなぜかもう一度見たいと思っている今日この頃…。
原作「神様はつらい」を読んでみた。それでも話は意味不明。登場人物がようやく明確になった程度。それでも?であるから一層?もう一度見てみたい。
重厚難解、複雑、グロテスクな白黒映画
西洋神話を題材に現代の反知性主義に逆らった悲劇的寓話だったのか違うのか、今ひとつ、監督の意図を理解できなかった、難解複雑な白黒映画でありました。画面の重厚なグロテスクさだけは印象に残りました。
なんだこれは!?
3時間近いから寝るかと思った(実際途中で3回意識飛んだ)。でも、なんとか耐えたけどこれは評価のつけかたがホントにわからない。
SFだと思ってみたけど、泥臭く肪ギッシュで糞尿も性器も無修正で、過去作で「とにかくワケわかんなかったけど凄い」っていうスコセッシの言葉も解った。
とりあえず、2回見ないと整理出来そうもない。
試される3時間(しかし終わったら…なぜか楽しい)
内容も知らず監督の他の作品も未見。映画館での鑑賞。
約3時間、凄いものを見たという興奮が脳に残る。
傑作、怪作、他になんとでも形容できそうなこの映画。絶対受けつけない人もいるであろう。娯楽映画のセオリーは全くなく敢えて観客を挑発するような画作りを見せてくる。
しかしアート寄りというわけではなく全編ベチョベチョぐちゃぐちゃである。四六時中ぺっぺと唾やら何やら吐きまくり画面にブラブラと常にぶら下がり、長回しで意味不明なことを映している。モノクロでなければ耐えられないようなグロ描写も…。そして徐々にこの映っている世界の壮絶さを理解していくのだ。
根比べのような展開なのだが、終わると何故だか楽しかった…という奇妙な感想が残る。濃厚さで感覚が麻痺してしまったのだろうか。ありえる。
不潔で臭い豊饒さ!!
ずっとなんか喋ってるし、
ずっとなんか動いてるし、
物も人もごった返して雨とか降ってるし、
あらゆる切り口ですべてを埋め尽くそうとチャレンジするとこうなるのかなと思いました。
ある意味サービスが過剰すぎてこちらが飽和しちゃう感じ。
そんな嵐のなか普通だったらショッキングなはずの映像も過剰の連続で突出することはなく、そうならないように仕掛けられていて、でも画面を瞬間瞬間切りとったとするならたぶんどこもスチール写真としても非常に美しいイメージを実現できていて、中世(のような別の惑星という設定)のまだ未分化な世界をお腹いっぱい見せられちゃって吐気をもよおしながらも凄いものを見ちゃったという感動で1日経った今も震えています!!!
ゲラッパ ゲロンナップ!
地球から800年ほど文明の遅れた中世ヨーロッパに似た惑星に送り込まれた人間が、神と崇められるようになるが、惑星人の焚書・知識人への弾圧・殺害と、カウンターでやってくる宗教的武装集団の殺戮行為の繰り返しにあきれ、惑星人の皆殺しを決意する。「神はつらい」と言いながら。「神よ、もしいたら、俺を止めてくれ」と言いながら。
神は許す存在で、なにも止めたりしない。むしろ、自分は神ではないと自覚している人間が、神に殺戮の許しを請うたにすぎない。神がいればすべてが許される、のだ。
こう言うと、分かりやすい映画のようだけれど、観ていてほとんど筋はわからん。これは、衝撃的に芸術的なうんこ・しっこ・げろ映画だ。とにかく食べ物とうんこの区別もつかないほど汚いし、音は不快だし、登場人物はいっぱいいるけど全員不気味だし、画面はどアップで上下左右いたるところに物や人が溢れてそれぞれ存在を主張しているし、3時間の上映時間中、どんな意味でも映画が均衡することは一瞬もない。
すごいもんでした。
早く風呂に入りたい!
スクリーンを埋め尽くすかのような、人物、動物(もしくはその屍肉、食用なのか多くは吊るされている。)、用途のよく分からない道具。道具と言えば、どのシーンにも次々と風変わりでいて古風なデザインの小道具が映し出される。
絶えず降り続く雨、そのためにあらゆる地面がぬかるみ、室内も湿り気と泥汚れに満ち満ちている。
侮蔑の言葉と暴力の交換こそがコミュニケーションだと言わんばかりに、人々は絶えず罵り合い、痛め付けあう。そして糞尿があたりかまわずまきちらかされる。
中世を思わせるその世界は、ヨーロッパや東アジアの歴史が近世を迎えることがなかったとしたら、このような世の中が来ていたかも知れない様相だ。
ときおりカメラに目線を送る人物がいる。
この瞬間、観客はこの世界の中に存在している人間として、映画の中で起きている出来事を傍観しているかのような感覚にとらわれる。
これこそがヴァーチャル・リアリティと呼べるものではないだろうか。そう呼ぶに相応しい濃密な情報量がこのスクリーンには映し出されている。そして、延々と続く雨と湿気と臭気にうんざりさせられ、いつ果てるとも分からない世を呪いたくなる。
なんだかよく分からないのだけれどとにかくすごいなぁと感じるという意味では、ピカソのゲルニカやシュバルの理想宮のようだ。
鑑賞後、温かい風呂に浸かり、さっぱりとしたいと生理的に欲求したのは、私だけではあるまい。
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