「自分を演じるということ。」あの日のように抱きしめて ゼリグさんの映画レビュー(感想・評価)
自分を演じるということ。
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前半部分なんかは、複数に割れた鏡に映る人物や、壁に映る影など、オーソン・ウェルズへのオマージュと取れる箇所があった。
まるでフィルムノワールのように不穏だ。
そして後半はひたすらヒッチコックの「めまい」だ。
自分で自分を演じ続けること。
「めまい」は、それをほぼ男目線から描いているが、本作は女目線で描いている。
そのため、演じる側の葛藤というものが嫌というほど伝わってくる。
最後の最後で夫が真実を知る瞬間がある。
ここを視覚だけで示しているのがたまらない。
決して「私はあなたの妻よ」などと、台詞で語ったりはしない。
囚人番号という視覚的なワンクッションを置くことにより、「言葉にする事もできない」ほどに夫が受けた衝撃と、妻の「言葉にする事もできない」ほどの怒りや悲しみがより際立つのである。
また、「歌声」も同じ事が言える。
この歌声を聴いて、真実に気付かなければいけないからこそ、夫はピアニストであり、妻は歌手なのである。
歌声で判断しなければいけないからこそ、音楽に精通している必要がある訳だ。
映画では語られないが、恐らく出会ってから何度もセッションをしたのだろう。
その2人が共有するセッションという思い出が、残酷に衝突する瞬間。
全てはこのラストのために作られている。
真実が明らかになってから、映画が終わるまで、台詞は一切無い。
打ちのめされた夫と、去っていく妻だけだ。
だが、台詞などなくとも、心理は痛いほど伝わる。
台詞がないからこそ、エモーションになる。
良い映画とはそういうものだ。
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