アリスのままでのレビュー・感想・評価
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人生ってフェアじゃない
自分が自分で無くなってしまう、辛さ苦しさが永遠と伝わってくる感じ。
自分自身のコンディションがいい時に観ないと病みそう。
演技力はすごい。
こんなきれいごとじゃないぜーい!
主演したジュリアン モアは、この映画で、若年性アルツハイマー病患者を演じて、ゴールデングローブ賞と、アカデミー主演女優賞を受賞した。脚本と監督をしたリチャード グラリアは、この朗報を待たずにアカデミー賞授賞式の2日前に、肺炎で他界した。奇しくも同じアカデミー主演男優賞を獲得した「博士と彼女のセオリー」の主役と同じ、ALS:筋委縮性側索硬化症だった。
ALSは、難病の一つで原因も治療法も確立されていない。ステイーブン ホーキンス博士の場合、発病後余命2年と診断されたが、奇跡的に進行が止まり、障害を持ちながらも存命しているが、一般的にこの疾病は、進行性で発病後徐々にすべての筋肉の機能が失われていって、最終的には呼吸筋が硬化して死に至る。
一方、アルツハイマー病は、ある程度遺伝性が認められるが、神経細胞の変性と消失について明確な原因と治療方法が確立しておらず、いったん発病すると脳の委縮が始まり、運動機能が失われ、認知能力も記憶力も失われていく。多くの患者は、大脳の委縮によって、自分の家に帰れなくなる、家人を他人と見分けられない、自分が他人からないがしろにされ、ひどい扱いを受けている、など、被害妄想に苛まれ、幻覚に苦しみ、日常生活に支障が起きる。治癒のための治療法はないが、患者が事故にあわず安全に生活するための援助をすることによって、延命させることができる。
ストーリーは
アリスは言語学者で、コロンビア大学で教鞭をとっている。夫は立派な実業家、すでに独立して家を出ていった二人の娘と息子がいる。長女は双子を妊娠していて、末っ子の次女は役者になる夢を追っている。。長男はパートナーとうまくいっていないようだが、仕事はまじめにやっている。まずまず幸せで、順調な家庭生活だった。
ところがアリスは50歳になり、物忘れが激しくなってきた。講義をしていて、適切な言葉が出てこない、ジョギングをしていて帰り道がわからなくなる、など気になることが起こるようになって脳神経外科医を訪問して、そこで若年性アルツハイマー病であると診断される。アリスの父親はアルツハイマー病で亡くなっていた。3人の子供たちが遺伝子検査を受けるために、病院に送られることになった。そこでわかったことは、双子を妊娠している長女がアリスと同じ遺伝子を持っていることだった。急きょ妊娠している双子に遺伝子を取り除くプラズマ治療が行われた。アリスは娘に謝ることしかできない。
失業したアリスは、自宅のコンピューターに、いくつものファイルを作り、自分が自分であることを忘れても、日常生活に支障をきたさずに済むような対策を練る。ひとつのファイルには、押し入れの奥に隠した薬を一挙に全部飲み、ベッドに横たわるように、それを誰にも言わずに一人でするように、というものだった。
アリスの初孫が無事に生まれ、夫は仕事で忙しく、恋人と別居していた長男は仲直りして同居するようになり、役者になりたいと望んでいた次女は、徐々に望みを実現していこうとしている。ある日、コンピューターに、見知らぬファイルをみつけたアリスは、ファイルの中の自分が言うように、寝室に行って押入れの奥から薬ビンを見つけ出す。しかし飲み込もうとしたときに、家政婦がやってきてビンを落として薬は床に飛び散ってしまう。それがどんな意味を持つものだったのか、アリスにも家族にも誰にもわからない。一見平和で静かな家庭生活は何事もなかったように過ぎていく。
というお話。
誰も映画の中で、泣いたりわめいたり、怒ったり、争ったり、ぶん殴ったり、刺したり、誘拐されたり、殺したり、逃亡したり、麻薬を打ったり、カーチェイスの末、車ごとひっくり返ったり、銃撃戦の末生き残ったりしない。知的で3人の良い子をもった中産階級の中年女性が記憶をなくす病気になったという日々を淡々と描写した映画だ。
しかしアルツハイマー病は、現代社会のなかでは治癒することのない進行性の病気で、一体誰に発病するかわからない。自分かもしれないし、家族の大切な一員に明日降ってわいたように降りかかってくる疾病かも知れない。老人人口が増大するに連れ、患者は増える一方で減ることはあり得ない。明日は自分の話か、そういった潜在的な恐怖感が、この原作をベストセラーにして、映画に注目が集まる結果になったのではないだろうか。
しかし、この映画はとてもきれいに作られている。きれいすぎて嘘くさい。
映画のなかでは、ニューヨークに住む中産階級のナイスな家、海辺の別荘、一人としてグレない立派な3人の子供たち。長女はアルツハイマーの遺伝子は持っているが妊娠中の赤ちゃんには遺伝子を排除できる高額の医療費を楽々出せて、夫はアリスのために家政婦を雇っても家計が破綻する様子もない。50歳代の働きざかりのアリスが無収入になっても、ローン地獄が待っているわけでもない。イケメンのアリスは、トイレが見つからなくて、失禁したりもするけど24時間おむつのお世話になっている様子はないし、やさしい父親の理想像のようなアレック ボールドウィンと同じベッドで、夜中不安になればいつでも抱きしめてもらえる。イケメンの長女、長男、次女みんな経済的に困っている様子は全くないし、末娘のクリステイン スチュワートなど、思わず見入ってしまうほど画面にでてくるたびに美しくて、役者になりたがってる女の子というより世界的に名の売れたモデルで売れっ子ハリウッド女優そのままだ。吸血鬼を愛してしまう「トワイライト」シリーズで、去年は映画界で最高金額を稼ぎ出した女優だそうだが、すばらしいスタイル。彼女はいま一番輝いている美貌女優だ。
それにしても、そんな中産階級の贅沢ばかり見せられた後で、いったい、そんでもってアリスが可哀そうですか?
パリ大学のトマ ピケテイ教授に言われるまでもなく、資本主義社会では原則的に富裕層と貧困層との格差は拡大する一方だ。ごく一般の共稼ぎ家庭で、働き盛りの一方が病気で働けなくなったら、以前と同じ生活レベルを維持していくことはできない。アルツハイマー病の治療薬はないが、進行を遅くしたり、抗精神病薬や、抗鬱病や抗てんかんなどの薬を併用するので医療費もかかる。症状が進めば失禁でおむつも要るし、施設にも入れなければならず医療費はかかる。経済的だけでなく、家族を認知できなくなった家人を世話しなければならなくなった家族の精神的な負担は語り切れない。アカデミー賞受賞で、これを機会にアルツハイマー病への理解が深まることを望むと、ジュリアン モアは、言っていたが、実際のアルツハイマー病の患者がこの映画をみたら、「こんな映画みたいにきれいごとじゃないぜい。」と言い捨てるだろう。
モーガン・フリーマン並みに作品を選ばないっぽいジュリアン・ムーアが...
モーガン・フリーマン並みに作品を選ばないっぽいジュリアン・ムーアが若年性アルツハイマーにジワジワ蝕まれていく様を淡々と見つめる作品。
自分が自分であるのは今まで生きてきた記憶ゆえであり、それをひとつひとつ失っていくということは少しずつ自分が自分でなくなるということに他ならず、その過程に果たして耐えられるのか?という問いに対する答えは明快で、そんな恐怖すら私は忘れてしまうだろうということ。であれば私の人生とは凪から生まれたささやかなさざ波に過ぎず、それは家族や知人の記憶に残像を残しはするがそれらも全てやがて無に帰する。ならば己の人生に一体何の意味があるのか?そんな虚無感に立ち向かう行動をアリスは試みるがその結果も途方もなく残酷でした。
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