トイ・ストーリー4のレビュー・感想・評価
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最高!物語も成長する。いつまでも同じ様なストーリーじゃつまらない。...
最高!物語も成長する。いつまでも同じ様なストーリーじゃつまらない。この終わり方だからこそ次の展開が読めない。私はどこまでもついて行くよ。それにしても女は強い。マーベルにしてもX-MENにしても。トイストーリーまでも。最初から泣けたしいっぱい笑えた。
やっぱり女の子にウッディは遊び相手としては、ね。
好きだけど
声の出る機械あげるのはウッディらしい。
でも最後の決断はウッディらしくない。
仲間と離れるなんて1番望んでない。
ウッディはボニーに必要とされなくなった事に傷ついててしかもリーダー的な存在だからこそ、戻るに戻れなかったんだと思う。
なんだかボニーから逃げてる感じがした。
これが引っ越ししたてでボニーに遊んでもらえてた時ならウッディはボーと一緒に行かなかったと思う。
ウッディの弱さを観てしまった感じがしてショック。
新たな旅立ち。
トイストーリーは全作を何度も見ています。
感想
彼らは3で別れというもの体験した。
そして次は、もっと視野を広げて次のステージへ!
だが私は悩んでいる。だが彼らおもちゃだ。持ち主に尽くすのが仕事。じゃあ、持ち主が居なくなったら?という以外に重厚な話でした。ウッディの選択は私的には理解しなくてはいけないことが辛いものでした。子供は持ち主以外にもいる。自由(ゴミ)になることは素晴らしい。でも本当にそれでいいのだろうか?ウッディの気持ちは察する。ウッディ的にはハッピーエンドだ。でも、ボニーは?他の仲間たちは?
私個人の予想では、続編はもうないと思う。
これが真のラストというなら私は受け入れる。今までありがとう。彼らの今後の検討を祈る!
総評 彼らの最期の冒険をスクリーンで見届けることができて満足。物語終盤はなんだかんだ感動してました。
出来ればもう一度見たい。
追伸
あの後様々レビューや解説を読んでこの物語が意味する真の意味を納得出来ました。まず、ウッディはこの世界では生きていると言う大前提を踏まえていなければいけなかった。そして、この物語はウッディの卒業式だったわけですね。アンディーという大親友の元を離れた彼にとって役目はその時点で終わっていた。また、実はあきやすかったボニーには相手すらしてもらえずにいた。そんなウッディに、アンディーに固執し続けているばかりでなく視野を広く持とうとボーやフォーキーたちが説いてくる。ラストの決断のトドメがギャビー・ギャビーという存在。彼女の手助けをした瞬間おもちゃとして任務を終えてしまっていた。そうして、ラストまさかの展開で締める。
が、それも自然な流れだったんだと気付かされました。
ただ、これだけいろんなレビュー等を見なければ理解出来なかったというのは好意的にはあまり取れません。
私的に分かりづらい印象ではありました。
ともかく、これを踏まえた上でもう一度見てみようと思います!
激怒してる観客がいることも含めて傑作
おもちゃとはこうあるべき
ディズニーとはこうあるべき
トイストーリーとはこうあるべき
そういうのを打ち破ることこそ、固定観念に囚われない自由な創造力で、世界に作品を贈り続けてきたディズニー×ピクサーの真骨頂とも言えるのではないか。
おもちゃの使命は、子供たちに愛されること。
本作は、そのことを渇望し生きること自体を、否定もしていない。
それでもなお、自分の生きる道を自ら選択することが尊いのだ、というメッセージは、様々な価値観がリセットされている今の時代にフィットしている。
ある種の型が定まっていたトイストーリーという物語を自らアップデート。自由の効かないおもちゃという存在だからこそ、この結末によって、シリーズ全体のメッセージ性が際立った。
トイストーリーを観て育って、
いまは大人になって、
色んなミッションを背負って、
でもそんな毎日に少し窮屈さを感じ始めていて、
っていう人にこそ響くような作りになってるのではないかと思う。
ウッディ😭
大好きなトイストーリーの久々の新作ということで、かなり前からすごく楽しみにしてました!
公開初日にこちらをのぞくと、まさかの低レビューのオンパレード。否定的な意見は見たくなかったので慌ててページを閉じました。そして今日ドキドキしながら劇場へ。
結果、めっちゃ泣きました。
ここまでの低レビューというか、もはや怒りは、皆さんのトイストーリー愛からくるものだから、わからなくでもない。
今までのトイストーリーは簡単に言ってしまえば、いつもどこかに連れ去られたり、置いてけぼりにされて、みんなが力を合わせて、元の家に戻るという、行って帰ってくるわかりやすい物語だったから、今回もそうだと思ってました。
しかし、今までとは180度違ったラスト。ウッディの決断とそのときの男らしさに涙。こんな男らしいウッディ初めて見た。わたしにとってはいい意味で裏切られました。
いつもの仲間たちといつも一緒に平和に暮らすのもすごくいいことだけど、離れるからこそ見える景色だったり、新しい繋がりだったり、今までなかった感情の芽生えだったり、人生が豊かになる。
ここまでいろんな冒険をしてきた仲間との絆は離れていても決して途切れることはないし、友情は永遠に続く。
大げさかもですが、なんか人生を豊かにするための生き方を教えてもらったような気がした。
バズの最後の表情もよかったな。
低レビューは気にせず、絶対見た方がいいですよ。
私は、本当の「トイストーリー」を知りたくない
今回も札幌の劇場は上映中にスマホを相変わらず…料金値上げするなら対策とってほしいですね…
さて本編…ポスターのコピーが気になっていました。
前作までの流れを崩して今作を作った意味あるのでしょうか?オモチャとは誰もが子供の頃に出会います。そしてオモチャの記憶は誰もの記憶に残ることになる。誰かのオモチャであり続ける(子供から子供へ引き継がれていく)か、誰ものオモチャでは無くなってしまう(捨てられる、壊される、忘れ去られる)か。
今回、物語最後でウッディは選択を迫られます。誰かの物であり続けるか、誰の物でもなくなるか。
より現実的な問題だと思います。でも私は、このような選択肢はトイストーリーでは見たくない。ウッディは幸せになることができるのか?バズとの友情は永遠の物ではなかったのか?この描かれ方はいったい…
私はこの先にウッディの幸せを見ることはできません。
人それぞれ捉え方、考え方はあると思います。私は今回の作品は面白い作品として観ることができなかった。ただそれだけのこと。
低評価なら本質ってわかってないんでしょうかね?
大人向けのトイ・ストーリー
過去作3作品の「幸せとは持ち主に愛されてるオモチャ」という軸をとっぱらった今作、観終わった直後は受け入れ難いと思いましたが、いろんな方のレビューを読んで、これはこれで良いかなと思えました
ウッディを人間に置き換えて考えると、それもアリかな
可愛くてナイスな新キャラコンビも良かったです
アンディの呪縛から開放されたウッディの新しい冒険
あまりにも感動的な「トイ・ストーリー3」(2010)で、シリーズは美しく完結したと勝手に思っていた。
ピクサーの代表作は、そんな事など忘れたかのような第4作目。
もともと「トイ・ストーリー」は1996年の第1作目から、2002年(6年)、2010年(8年)と適当な間隔を取っている。今回は前作から約10年経った。1作目からは四半世紀になろうとしている。
新しい子供たちを喜ばせるのが、本シリーズの最大の使命だとしたら、オジサン、オバサンのファンなんて知ったこっちゃない。
いちおう、「トイ・ストーリー2」以来となる、かつての仲間"ボー・ピープ"がウッディと再会する。そんな繋がりもあるが、オトナのノスタルジアに付き合う必要はない。
そもそもオモチャは永遠に歳を取らないし、新作を作り続けることで、"ディズニービジネス"の優等生になっていけるはず。むしろ「ドラえもん」のように、タイトルから通番"1"~"4"を外して単発ものにすればいいのに。
アンディから、ウッディたちの新しい持ち主となった女の子ボニー。幼稚園の工作で作ったプラスチックのフォーク(先割れスプーン)でできた、"フォーキー"を家に持ち帰る。ところがフォーキーは自らを"ゴミ"だと認識し、ゴミ箱に逃げ出してしまう。
本作のテーマは、まさに少年アンディの呪縛から開放されたウッディの新しい冒険が始まると言ったらいいのだろうか・・・。とても良くできている。
観る側も、余計なノスタルジアを捨て去り、ウッディとともに新たな旅立ちをする時が来た。
ちなみにトイ・ストーリーは、積極的に2D-3D変換をして再公開したほどの、ディズニー/ピクサー3D映画の看板シリーズでもある。3D版は4Dとセットになるが、やはり本来は3D版で見るべき作品だ。
(2019/7/13/TOHOシネマズ日比谷/シネスコ/吹替翻訳:竹本浩子/字幕:石田泰子)
深いテーマにやられた
なんでしょ、このストーリーの完成度と、予告からまったく予想できなかった意外性。
おもちゃは何のためにあるのか、というテーマも深い。
シリーズでありながら、このクオリティの高さを維持…いや、より高みを目指している感はすごい。
1作目以来、出なくなったボーの話を回収しつつ、新しい感動を与えてくれました。
初期よりCGの技術が上がり、おもちゃの質感の違いまで表現していたことにも驚きました。
超おすすめ。
大人には特に!
(子供には腹話術の人形が怖いかも)
ダビデ像に
ズボン履かせて女性の像を追加する感じですかね。
それは名前を借りた別物だろうという人もいるし、これはこれでいいという人もいるし、むしろこれこそが正しい姿だという人もいるかもしれません。
大好きな作品が、そういったあれこれに巻き込まれるのを見たくない人にはお勧めしません。
世界には自分を必要としているこどもやおもちゃがいる
映画を見終えた時、ウッディの最後の選択に少しだけもやもやが残りましたが、その後に本屋さんで読んだ絵本に私が探していた答えが書いてあり、そのもやもやが晴れました。
「ウッディは世界には自分を必要としているこどもやおもちゃがいることを知ったのです。」
そう、ウッディは決して自分の幸せのためだけにボーと行動することを決めたわけではなく、ボーと行動することでギャビーやデューク・カブーンや迷子の女の子のような、困ったり苦しんだりしているおもちゃや子供たちの助けになれると考えたのでしょう。
バズもそれに気づいて「彼女(ボニー)は大丈夫だ。」と言ったのかもしれません。
1人のこどものために生きることに、ある種取り憑かれたようにこだわり続けてきたウッディが、広い世界を知り新しい生きがいを見つけるという成長の物語に感動しました。
感情が追いつかない
ロジックはわかるけど、キャラクターや仲間たちの関係性に愛着があった身としては辛い。
ウッディーは仲間をまとめなければ、ボニーを守らなければという呪縛から解き放たれたけど、
製作スタッフも、長年のファンからの期待や感情の押し付けから解放されて、ストーリーを練りに練ってやりたいようにやり尽くした感がある。
ボニーがウッディへの興味を無くす(アンディーが泣く泣く譲った意味は…)
ボーの性格、外観の改変
バズを無力化するための無理くりな設定、途中でウッディーを見捨てるバズ
などモヤモヤするポイントが沢山あるけど、スタッフはファンがモヤモヤする事なんて織り込み済みで、ウッディーがおもちゃとしてどう生きるかの答えを導き出すストーリーに重きを置いた。
作品としてのクオリティー、メッセージ性は格段に増したが、ファンの気持ちは置いていかれた気がする。
こんな気持ちになるなら見なければ良かったと思うのと同時に、スタッフに賞賛を送る気持ちもある。複雑。
ファンにも理想のトイストーリーからの卒業を促す作品。
私は受け止められなかった
おもちゃにも、色んな人生がある。
そういうことですね。
持ち主と共に暮らす人生もあれば、ボーのように外の世界で自ら道を開いていく人生もある。
それは、わかります。
でも、ウッディの一番のいいところは、何があっても仲間を見捨てないところではなかったのですか?
トイストーリー3での、アンディがボニーにウッディを譲るあのシーンは一体何だったのでしょうか。
フォーキーを助けに行く中で、様々なことがありました。
ボーとの再会や、ギャビーギャビー達との出会い。今までウッディが見ていた世界とは比べ物にならない、広い世界が見えたと思います。
でも…
今まで沢山の困難を乗り越えてきた、大切な大切な仲間たちと
あんな数分でお別れ出来ますか?
アンディは、初めはウッディだけボニーに渡さず大学へ連れて行こうとしていたんですよ。
それでもボニーに譲り、ウッディもみんなと居る決断をした。
それなのに
ボニーはウッディにだけ興味を示さないし、
お別れもあまりにもあっさりすぎて言葉が出ませんでした。
ウッディやアンディが今まで大切にしていた軸を、変化させないで欲しかったです。
今まで沢山仲間のために頑張ってきたウッディだからこそ、新しい人生を歩むべきだったんですかね。
面白かったけど、とても悲しい気持ちになりました。
トイ・ストーリー史上最高のモヤっとな結末
今までのシリーズ作は一体なんだったのか。4を通して何を一番に伝えたいのか、意図がまったく見えない作品だった。完全に蛇足。
冒頭では、ボー・ピープがしれっといなくなった理由が描かれたのち、たくましく自立して生きている女性として再登場する。その姿は、女性の社会進出を促す昨今のフェミニズムの流れを汲んでいるように思えた。
この映画を見た子どもたちは、きっと女性の自立に関して寛容的になるだろう。人の価値観は、こうしたメディアの影響を大きく受けて形成されるのだから。
ただ、そうした作り手側もとい大人による価値観の押し付けは、アニメという媒体において適切なのか少々首を傾げてしまう。
また、今回は絶対的な「悪」が存在しない。ギャビーがヴィランズの立場なのかと思ったけれど、決してそうではないようだ。
そのため、これまでのような勧善懲悪なストーリーではなくなっている。現実では、さまざまな正義や価値観などがあることから、物事を善と悪に二分するのは難しい。しかし、アニメであれば、あくまでも現実とは違うことを認識しながら、善と悪に分けてストーリーを見ることができる。
そうしたわかりやすい善と悪の対立は物語の核であり、観客も勧善懲悪を多少は期待していたはず。実際に、1〜3では善と悪の構造が成り立っていたと記憶している。なのに、それがなくなることによって、どこか釈然としない終わり方になっている気がする。
さらに、ギャビーがなぜアンティークショップにいるのか明確な説明はなく(私が見落としていなければ)、持ち主を見つけたいという想いも薄っぺらく感じた。ウッディの音声機能を欲しがるのはまだ理解できたけども…。ギャビーのバックボーンが薄いため、2のジェシーのような共感を覚えることはなく、ラストも棒読みになる「よかったね」という感想しか出てこなかった
。
確かに、愛する人と生きる道を選ぶ人生もよいだろう。しかし、果たして私たちの知るウッディはそんな人だったのか。これまでのトイ・ストーリーシリーズのファンであればなおさら疑問に感じる終わり方だった。
久々に、見終わってモヤっとする映画を見た。
ウッディ「だけ」が不要な意味がわからん
オープニングの雨の表現からして1作目から進化に進化を重ねた映像表現と、「死」すら乗り越えたウッディと他のおもちゃたちとの関係性はもう完成しきっており、始まった瞬間から心踊らされました。
笑いの取り方が過去作よりもうまく、レックスのように作品の軸を壊すことはなく、新キャラのキャラクターも際立たせるようなポイントでしっかり楽しませてくれました。
見進めると、テーマは「子離れ」子供の成長を共にしそれを見守ることが役割であり幸せであるというおもちゃに、親のあり方を見ると同時に、その役割が概ね終わった時、どう人生を歩むべきかというところまで考えさせられます。
しかし!!!突如の「ウッディだけ不要論」には納得できかねます!!!
ちょうど過去作で不要とされたボーと夫婦的にまとめれば着地は綺麗に見えますが、その結論ありきでフォーキーを始めとする今作の仕掛けが存在しており、これじゃ、ウッディの更年期障害もしくはボニーのいじめではないかと思います。
天才たちが結集し死ぬほど努力して完成した作品、もちろんそのへんの作品の何倍も面白いです。トイ・ストーリー1及び3がオールタイムベスト級なだけに残念な気持ちもあります。
大人のためのトイ・ストーリー
自分の役割とはなにか?
自分に出来ることはなにか?
その役割を終えたとき自分は何をするべきなのか?最初のトイ・ストーリーが始まった頃、まだ小さかった息子は今は社会人として一人で暮らしている。
親の役割に終わりがくるように、オモチャの役割にも終わりはくる。
子どもが遊ばなくなったオモチャの次の役割をウッディーは見つける。
持ち主のいないオモチャに持ち主を見つけてあげるのが、ウッディーの新しい役割。ラストシーン。新しい自分と出会うためのウッディーの新しい物語がここから始まる。それを祝福する仲間達。最高だ!
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