「【再レビュー】蛇足。」トイ・ストーリー4 桜さんの映画レビュー(感想・評価)
【再レビュー】蛇足。
こんな酷い映画を初めは短絡的に考え、レビューを書いてしまいました。
ただ、初めて鑑賞した際のレビューも大事だと思うので、一応残しておきます。
この感覚も今でも嘘じゃないっちゃ嘘じゃないので。
タイトルの意味を知りたい人は点線の文は読まなくて大丈夫です。
というか、恥ずかしいから読まないで欲しいです笑
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2019/8/12
今回は、やはりウッディが色々なオモチャとの出会いを通して、自分自身の歩むべき道を決めていくという感じだろうか。
冒頭からウッディ一色だが、ボニーにはもう飽きられているという事がわかってしまう。
あんなに3ではアンディに大切にして欲しいと言われていたけれども、まだ幼稚園児だもんな。
そんなこと考えて遊んだりはしない。
そこがおもちゃの世界の残酷な所で、ラストの方で、ギャビーギャビーが必死に今まで「声さえ戻ればあの子は振り向いてくれる!」と言い続けたにも関わらず、いざ戻っても「こんな古いおもちゃいらない」と一蹴されてしまう。
人間なら人格否定にも値するだろう。
「お前は利用価値のないゴミだ」と言われているようなもの。少なくともウッディやギャビーギャビーはそう感じたはずだ。
だから、冒頭のフォーキーが自分の事をずっとゴミだゴミだというのを必死で違う、俺達はおもちゃなんだと、まるで自分に言い聞かせているように訂正し続ける。
そして、ボニーのお気に入りであるフォーキーの世話をする事で自分の存在価値を最後の最後まで示そうとする。
周りに何度止められても、例え他の仲間を差し置いてでも、フォーキーを何としても助けようとするのは、ボーの言うように「自分を助けている」だけなのだろう。
そんなウッディにボーは「子供に遊んでもらうだけがおもちゃの価値じゃないんだよ」と言うわけだ。
ウッディからしたら、「んなバカな。ウチらは子供に遊んでもらってなんぼやんか」という感じだが、それは狭い世界しか見ていないからなんだろうな。
そしてウッディが大きな成長を見せる。
例えあそこでボニーのもとに戻っても、すぐに飽きられてボーのようにアンティークショップに売られてしまうだろう。
おもちゃだって、自由に生きていいじゃないか。
自分はそんなメッセージ性を感じた。
今回は3では語られなかったボーの過去も明らかとなり、そこからボーがどのように成長し、色々なことを学んでいったかがわかる。
ウッディがボーと再会したのは必然で、今のウッディには必要不可欠な要素だったんだろうなと思う。
そんな重々しいメッセージ性が込められた映画だから、相当重たいのかと言えばそうではなく、そこはさすがディズニー、しっかりコメディ要素もふんだんに取り入れられていて、見ていると懐かしくなるような、おもちゃ達のハチャメチャ具合も見られて、笑って泣ける素晴らしい映画だった。
「トイストーリー好きは見ない方がいい!」などとネガティブキャンペーンを頼まれてもいないのにして下さった愚かな方々は、こんな素晴らしく、ディズニーのアニメーター達が何年も掛けて作ったシリーズの集大成である映画だと言うことをわかって言っているのだろうか。
だとしたら、貴方達はこの映画を表面しか見ずに本質を見れていない。
確かに悲しい。何十年も付き添った仲間達との別れ。
泣かないわけがない。ボロ泣きだ。
相棒のバズとももう二度と会えないかもしれない。
それでも、ウッディは自分の殻を破り、自由に子供に縛られず生きる事を選んだ。
どんなに勇気のいる事だっただろうか。
少なくとも自分にはあんな短時間で答えは出せなかっただろう。
その選択をどうしてそう悲観的にだけ見てしまうのか。
まだまだウッディと一緒に成長出来なかったお子ちゃま達は、3までを延々と見ていればいいのでは?
自分は何度でも見る。
それが我らがウッディの選んだ道なのだから。
アンディ、ボニーと、ずーっと子供の面影を引き摺り続けて、どれだけ毎日悩んでいただろうか。
その辺をもう一度考えて、見てみてはいかがだろうか。
長文最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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2022/6/17
まず謝罪から。
すみません。全然良い映画ではなかったです。
というのも、あれから何度も全シリーズ見直して、何度も何度も考えた結果、1,2,3の華麗なる歴史をちゃんとぶち壊した完璧なる「蛇足映画」だという感想に至りました。
理由をちゃんと書きます。
そもそもトイ・ストーリーってどんな話?から
簡単に言えば「友情」の物語。
1,2,3で、「おもちゃ」と「人間(持ち主)」との友情を三部作に渡って綿密に作り上げてきた。
アンディのおもちゃとしてなのか、はたまたテレビのスターなのか、保育園のヒーローか。
ウッディやバズたちは、様々な経験を通して「アンディのおもちゃだよね」という共通認識を持ったが、3でアンディは大学生となり、もうおもちゃで遊ぶ年齢ではなくなってしまった。これは誰も悪くないよね。
だがアンディにとってウッディだけはやっぱり特別。
それでもウッディは、最後の最後に「一緒にいたいのにいられない」辛さや、シリーズを通して培ってきた他の皆との「友情」が大事だと気付くわけだ。
3のラストは、このシリーズを終わらせるのに正に相応しく、これ以上ない「アンディとウッディ」という、親友のような家族のような、そんな関係に終わりを告げ、大事な仲間たちと暮らす事を選んだ彼の行動は、ファンには痛い程辛さがわかる。
そして新しい持ち主に遊んでもらう事もまた幸せ。
まぁこの辺は3のレビューを後でもっと詳しく書きます。
ここからついに4の感想。
この三部作で積み上げてきた、
持ち主との友情より、仲間たちとの友情だよね。あばよ相棒。俺は皆と一緒にいるから、またいつか会おうぜ。ありがとう。
というさながらピラミッドのようなあまりに美しい建物を、助走をつけて蹴り飛ばして全部ぶっ壊したのが、この作品です。
4を単体作品として見れば、結構面白いと思う。
おもちゃの新しい生き方(生きてないような気がするけど)や、可能性を見出した感じ?
多分最近のディズニーでは恒例化した「ポリコレぶち込みまくり映画」としては、上等なのかな。
「生き方は自由だ」とか、「縛られるな」みたいなメッセージ性は強く感じるし、それでいいんなら別にいい。そんなに個人的には好きではないけど。
それでも、それをわざわざピクサーの金字塔であり原点にして頂点であるこの作品の最新作を利用する必要が果たしてあったのだろうか。
全く別の映画としてそういうメッセージを込めた映画を作ればいいじゃん。
何もわざわざ気持ち良いくらいに完結していた、完成していたものに、後付けする必要なんてなかったでしょ。
ファンが怒るのも無理はない。
はい、愚痴を言えばキリがないのでこの辺で。
まさに蛇足。
いらない。ほんとにいらない。
スピンオフとかでも正直邪魔だし、全くの別作品とかで勝手にやってて欲しい。
ジョン・ラセターらが作り上げてきた10万枚のピースで出来たパズルを、オレたちでもっといいものに!みたいな要らん熱意で肉付けしようとして、結果パズルを全部ぶち壊した感じ。
最低です。以上。
この映画を、この展開を、唯一救える方法があるとすれば、トイ・ストーリー5でバスらと奇跡の再会を果たしてーみたいな続編をまた肉付けするしかない。
じゃなきゃこのまま台無しで終わりです。