いしゃ先生のレビュー・感想・評価
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【”何人も等しく医者にかかれる世の中に。”無医村だった山形の山村の民の命を支え続けた実在の女性医師の半生を描いた作品。】
ー 今作の制作には、”志田周子の生涯を銀幕に甦らせる会”という篤志家の方々の熱意があったようである。
恥ずかしながら、志田周子さんの事は全く知らなかったのであるが、今作を観て日本には全国的には名が知られていないが、立派な方がいるモノだ、と思った。
きっと、そんな方々が今の日本の根底を作って来たのだろうなと思う。
映画は、エンターテインメントだが、総合芸術でもあり、知を伝承するモノでもあると思う。故に、今作の様な映画は貴重だと私は思うのです。-
■昭和初期、山形県大井沢村が舞台。
東京の医学校を卒業して医者になったばかりの周子(平山あや)が、父・荘次郎(榎木孝明)からの電報を受けて帰郷した。
荘次郎は無医村だった村に診療所を作っており、「3年だけお前の人生を俺にくれ」と頭を下げられて、周子は診療所で働き始める。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・序盤は、周子の診療所には村人は誰も来ない。周子が女性でハイカラな服を着ていた事と、医療費が払えないからである。
3人の村人が彼女を揶揄する姿をコミカルに描いている。
・だが、彼女の地道な医療活動の末に、徐々に診療所には村人たちが溢れて来る。そして、周子は、母が早逝した後も東京にいる恋人の事を想いながらも、終生村の為に人生を捧げるのである。
■物語のハイライトは、周子が国から表彰された時に、満員の村民の前で言った言葉であろう。
”私は、凛と立つ百合の花から、野に咲く花になります。そして、何人も等しく医者にかかれる世の中に。”
立派な言葉だと、素直に思う。
<今作は、実在した山形県の山村で村民の為に終生を捧げた医師・志田周子さんの半生を描いている。
派手さは無いが、良い作品だと私は思います。>
国民皆保険制度
ワンピースなのに「裸」だと噂される周子先生。診療所を開設しても患者はしばらく誰も来なかった。盲腸になっても内科医であるため、隣町まで搬送しなければならず、最初は死亡することが多かった。一番の問題は村人貧困により、医者にかかる金を工面できないこと・・・
僻地医療の先駆けとなった「仙境のナイチンゲール」と称された志田周子。最初は村長である父親に頼まれて3年間だけ村医になったが、恋人との文通もやがて途絶え、約束の時間にも急患のため結婚を諦める。
医療ドラマが大流行している昨今。戦前という時代背景で、全く医療機器も不満足なまま、また外科的知識も未熟のまま始めた志田診療所。身体の具合が悪い人を求めて村中を廻るものの「金が無いから」とか、村では呪術的な信仰が根強いため患者は来ない。母親が亡くなり、大家族の主婦の役割も果たし、地道に医療活動を続けるのだった。
全ての人に医療を受けさせる願い。国民皆保険制度が確立するのは昭和三十六年のことだが、それを見届けるようにして、翌年51歳の若さで亡くなった。肺結核の女の子が看護師として赴任してきたこと(フィクションかもしれない)が嬉しかっただけに泣けてくる。
誰でも医療を受けられる制度は大切にしなければならない。かつては1割負担だったものが3割負担となり、医療制度はどんどん改悪されていくばかり。天使のような女医さんの願いを無駄にしてはならない。コロナ時代になってから、PCR検査が無償化されるのにもどれだけ時間がかかってるんだか・・・とにかく、悪政から医療を守らなければならないと思った。
無医村で一生を捧ぐ
平山あや扮する志田周子は、東京で医学を学んでいたところ榎木孝明扮する山形の田舎の村長を務める父親に呼ばれて3年と言う約束で無医村の診療所に勤める決心をした。しかし当初診療所には誰も来ず、それどころか昭和初期ゆえ女医者にかかると寿命が短くなるとか金をふんだくられるとか悪評が飛び交った。
結局実話の周子は51歳で食道癌で亡くなるまで診療所で一生を捧げた訳だが、父親に騙される様にして連れて来られたものの東京の恋人も捨て村人のために尽くしたとは頭が下がるね。久しぶりに平山あやを観たけど、清楚で百合のように凛としていて素敵に演じていたね。
女医さん
今、私たちは病院に罹ることはごく当たり前になっていますが、昭和20年国保がない時代。
医者も少ない中で女性医師は本当に珍しい時代だっただろうと思います。患者もお金がなくて治療費も払えず病院も成り立たない時代。住民の信頼えるのも出来なくて精神的にも辛く苦しかっただろうと思います。
国保が創られて全ての人が平等に医療を受けられる様になりました。現在、国の保険に私たちの命は支えられています。素晴らしい制度だと思います。今後とも保険制度が無くならないことを願います。
平山あや、弟の少年期を演じた子がよかった。
トピックやテーマは良い。ただ…
ディテールの描写が無く、映画としては物足りない。
昭和初期、女性というだけで医師として住民に受け入れてもらえない時代、ワンピースを下着のようで下品と言われる田舎の村、そういう場所で生涯を村民のために捧げた尊い女性医師のお話。
この時代に「命は平等」であるとして、貴賤を問わず医療が受けられる世の中を目指した先進的な人物で、彼女の姿勢は現代においても尊敬に値する。
そんな彼女が故郷の村へ帰ることになった理由は本人の希望によるものでもなく、任期を終えても村に残ることにしたのも、キッカケあってのことだった。
大きなことを成し遂げた人が、必ずしも人生望み通りに生きてきたわけではない、一つの例を見せてもらった。
与えられた場所で、自身の出来ることで社会に貢献することの尊さも教えてくれる。
一方、描写が少なく複数の疑問が残る。
・村八分のような扱いを受けていたところから村民の信頼を得るまで、(初期の?)無料診察以外に何があるか
・無料診察はいつまで行っていたのか、診察料を払ってもらうようどのように村民の理解を得ていったか
・無料で診察を続けるなか、薬や注射などの出費についてどうやりくりしていたのか
・第二次大戦という、どう考えても大変な時期を過ごしたと思われるが、その頃の村はどうだったのか。医師としての苦難は無かったのか
etc...
確かに描かずとも映画は成立するかもしれないが、終始淡々と事実だけが羅列されている感じで、主人公の心理描写が少なく、物語に入り込むには物足りなかった。
その役割を「手紙」が担っているかのようにも思うが、複雑な心境までは描かれておらず、読み取るには足りない。
結果、個人的に最も感心したのは、映画よりも平山あや。
バラエティアイドルの彼女しか知らなかったが、ちゃんと女優だなと思った。
今、見てほしい作品
もしかしたら、この「いしゃ先生」こそ、今見るべき作品かもしれないと、僕は思う。
現代医療の恩恵を、当たり前のように考えて過ごす僕達。
新型コロナウイルス感染症の現状とは異なるが、僕は何か今に通じるものがあるように思えるのだ。
一朝一夕に、社会は現在の医療システムをを手にいれたわけではない。
これは、戦前から戦後にかけて、山間の村で働く女性医師の物語だが、近代医学への偏見、祈祷札で事足りるとする人、貧困で医療費の支払いも困難な人、女性医師への偏見など、乗り越えなくてはならないものが、そこには沢山あった。
都会や田舎、時間で程度の差こそあれ、きっと日本の至る所で、こんなことが同様にあったんだろうなと考えてしまう。
周子、いや、いしゃ先生の一番最初の患者になったよし婆が言う。
「知識がないのは金がないより怖いんだな」
その通りだと思う。
医者や医療関係者だけではなく、いつ患者になるか分からない僕達も患者達も、一定の知識を得て取り組まないと、病気を治したり、防いだりすることは容易ではないのだ。
そうすれば、外出抑制の意味も分かるはずだ。
だから、政府は自分達の都合の良し悪しに関わらず、本当のことを言わなくてはならないのではないか。
やるべき検査や医療の体制を迅速に整えるべきではないのか。
いしゃ先生の言うように、「命は平等」だ。
偏った情報や知識や解釈で、新型コロナ感染症による孤独死などあってはならない。
周子が皆に向かって言う。
「私は、凛とした百合のようになりたかったが、野に咲く小花のようで良かった」と。
今、医療現場で働く関係者は皆大変な思いだと思う。
政府は、世界最大級の予算だと言っていたが、医療の現場からは、「最低限の装備で、戦場で戦えと言われているようなものだ」との言葉が寄せられていた。
野に咲く小花どころか、焼け野原みたいな状況なのだ。
「命は平等」だ。
それは、医療関係者に対しても同じだろう。
癌の痛みを堪えて地域医療に命を捧げた、いしゃ先生の生涯を見ると胸が熱くなる。
しかし、そんな状況が今あってならないのだ。
是非、政府や、専門家会議の関係者も現場や人々の声に謙虚に耳を傾けてもらいたいと思う。
※ ところで、糸井重里や、Gackt、YOSHIKI、カズなどが政府を批判するのは良くないとか、日本のためにとか声を上げているのを聞いて、薄ら寒くなる。日本は民主主義国家だ。全体主義国家ではない。
今、外出自粛をしてるのは、一人一人の命の重さを鑑みてだ。
なにも、さすが日本と言われたいためではない。
今、政府を批判してるのは、自粛で閉店や解雇で生活するのも大変になる人を皆がなんとかしなくてはならないと感じているからだ。
面白がってなどいるはずもない。
この人達は、そんなことも分からないのか。
喜怒哀楽が揃ってこそ人間の感情なのだ。
実話の重み
実話かどうかにはあまり興味がないつもりでいた。
が こういう話において そこは結構 重要な事なんだと思った。
お産で亡くなるのは実際は父の母、つまり祖母にあたる人のようで、わずか23歳だったと言う。
それがきっかけかは知らないが、父が 村に医者をと願っていた。
母親が亡くなってしまうタイミングは映画にある通りのようで、それで婚期を逃したというのも事実であるのかもしれない。
主演の平山あやは、昔ウォーターボーイズでもキュートな演技をする人だなあという印象だったが、なぜこういう役所に彼女なのかの疑問は モデルの志田周子さんの写真を見てなるほどと思った。
似てるのだ。
それが製作サイドの意図かはまあわからないですが。
内容は、起伏のない、実話をなぞる淡々としたもの。
それがずっしりと重みある作品にしていた。
平山あやを見直した☺️
昭和初期、山形県大井沢村にて村の唯一の医者になった志田周子さんの実話を映画化。
村長である父親に騙される形で村医者になった周子。貧しい村らしく、村民に金も無ければ一風変わった女性医師なんて、当時信頼を得るためにかなり苦労をしたに違いない。
観てビックリしたのは平山あやである。若い頃、バラエティアイドルとして活躍していた彼女しか記憶にない私。キチンと女優をしている姿なんて見たこと無い訳で、、、。大根役者でも無くしっかり女優をしている。
今後も彼女の女優姿を観たくなりました。続けて貰いたいなと。
私も田舎町出身で幼い頃は病院では無く、お婆ちゃん医師がこっそりやってる様な近所の診療所で診察して貰った記憶があります。そこは限定された地域の人ばかりだったので診察しに行くというよりかは遊びに行く様な感覚。何故か調剤する廻る機械が好きだったw
あのお婆ちゃんもいしゃ先生だったんだろうな。
地域の人に愛され、尽くして。
地域限定の人物の話かも知れませんが、地元の人々が未来へ残しておきたい話。私は支持しますよ。こういう映画を。
知る価値のある伝記映画でした
志田周子なる人物を知る映画としては、一見の価値ありだったと思いました。
映画の出来云々で言えば、正直いろいろと粗もありましたが、民間の方々が中心となって資金を出し合い、地域医療に生涯を捧げた志田周子なる人物を少しでも世の人々に知ってもらおうとした情熱は十分伝わってきた作品でした。
昭和初期、戦前戦後の医療状況なんて私は知る由も無かったですから、なるほどこんな感じだったのかと、勉強にもなった映画でしたよ、って勿論都会と田舎ではまた全然違ったのでしょうが、山間の雪深い集落の医療状況は、資金的な問題も相まってそもそも医者に診てもらう文化自体がほぼ無かった、お札を貼って治るよう祈るのみだったと言う衝撃の事実にとにかく驚かされましたね。
そう言った状況を踏まえて、全ての人が平等に医療を受けられる状況を作ろうと尽力された志田周子さんの生涯は、たくさんの方々に知ってもらう価値があるなと、強く思わされた次第です。
しかし女医と言うだけで、あそこまで無碍な扱いをされるとは・・・今のような時代が来るまでは様々な困難があったんですねぇ、まあ何のことでもそうですが、当たり前のことが昔は当たり前ではなかった、それらを切り開いた先人がいた、そう言った感謝の念だけは忘れずに生きたいものです。
普通に考えたら、村に今まで無かった診療所が出来て、病気を診てもらえるとなったら、今の時代なら相当感謝されそうなものですが・・・。
周子の情熱とは裏腹に、受け入れられない悔しさ、無力感、その辺りの心境は、痛いほど伝わってきました。
ただちょっと惜しいのは、まあ診療所を始めるきっかけがきっかけでしたし、恋人の存在も考えれば分からない訳でもないのですが、この町に残ろうと決意するその描写が、やや中途半端に映ってしまったのは何か勿体無かったなと、この映画だけだと意思の強さがあまり伝わってこないんですよね、本格的に志を持った後半は駆け足でしたし、彼女の功績を称えるなら、もう少し違った見せ方もあったのではないかなと、正直そう思わなくもなかったです、実話ベースだけに仕方ないのかもしれませんが。
あと時代の変化も分かり難かったかなぁ、こう言う映画であまり悪いことは言いたくないのですが。
まあそれにしても、雪深い地域の医療は、今の時代も勿論大変なのは間違いないでしょうが、当時はホント困難の連続だったようですね、ソリを引いて患者を運ぶ描写がとても印象に残りました、舞台となった山形の大井沢は相当な豪雪地帯ですもんねぇ・・・。
そんな地域で国民健康保険制度が始動する頃まで地域医療に尽力された志田周子さんの生涯、とりあえず見て、知っておく価値は十分あると思いました。
主演の平山あやの好演も印象深かったです、それと終盤出てきて更には主題歌も担当した助手の幸子役・上野優華の田舎っぽさも抜群の雰囲気を醸し出していたと思いました、このキャラならもっと多くの出番があっても良かったね。
感動で涙が止まりませんでした。
エンドクレジットでは、感動のあまり泣いてしまいました。
現代の日本の医療制度は、医者先生の様な模範となるべき医師がいたから築き上げることができたのだと思いました。
人間の命の尊さを考えさせられました。
とても多くの方の想いが込められてるだけに…残念。
志田周子(ちかこ)さん、まさに己の夢と体を犠牲にして
すべてを故郷の村に捧げた偉大な方ですね。
「志田周子の生涯を銀幕に甦らせる会」の想いはすごく伝わってきます。
しかし、なんでしょう…このシーン展開のブツ切り感…
配役の年齢的不相応感…村全体の気持ちの移り変わりと一体感の形成とか、ちょっとしたエピソードとかも、
なにかちょっとずつ足りなくて、それが“?”に発展しちゃって
泣き上手の私が入り込めませんでした。
ただ、自然は、四季は、とても美しいです。
尊敬する生き方
私は、この映画で初めて志田周子さんという人物を知った。
故郷のために東京から戻り、厳しい自然の中、1人で若い女性に対する偏見と闘いながら、道を作り、村の人々を支えた人。
映画の中では、彼女がきれいすぎるとは思ったが、力が足りないことへの苦しみも表れていたところに共感した。しなやかで強い女性だったのだろうと思う。もっと色々なエピソードを知りたいと思う、山形に行ってみたくなる映画だった。
ある女性の生涯を描いた物語
面白い。こういう人生があるのだと胸を打たれました。心をえぐられるような力を持つ作品だと思います。予告ではふーんぐらいの気持ちでしたが、見終わった後はただただ涙がこぼれます。
世のため人のため
大きな盛り上がりや感動がある訳ではないが、医者よりもお祓いが有難がられる地域と時代に自己犠牲をいとわず信頼を得ていく姿が心に刺さった。
自分の娘に辛い決断を強いた父親についても大したものだと考えさせられた。
ただ、留まる決断をする時点で村人からどのくらい信頼されていたか、どのくらい必要とされていたかが少しわかり難かったのが少し残念かな。
昭和初期に地域医療に人生を捧げた女医のお話。
山形県のみ先行上映ってことで、初日鑑賞。作品は実話、地元の偉人、脚本家は地元の有名人ってこともあり、まさしく手弁当、ゼロからの映画製作、正直よくクランクアップまでこぎつけられたなと思います。ストーリーとしては実話を軸にしているので、派手な展開があるわけではありません。初日に山形で行われた舞台挨拶ありの上映は4スクリーンとも満席。山形県人は国際的な映画祭があったり、スクリーン数が人口の割に多く、映画好きが多いとはいえ、本当によく集まったと思います。地元のおじいちゃんおばあちゃんたちが泣いてました。そういう人の物語なんでしょう。日本の四季は美しいですね。地元民なのでご祝儀も含めての評価です。
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