「パリを生き残らせた男」パリよ、永遠に ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
パリを生き残らせた男
予告編を見るだけでも分かりますが、本作は、元々、事実に基づく戯曲であったそうです。舞台劇から映画化した作品です。
キャリアを積んだ熟年の俳優二人が繰り広げる室内劇。これはじっくりと味わいたいですね。
物語の舞台は、1944年8月。ドイツ軍占領下のパリでのお話。連合軍はノルマンディー上陸作戦に成功しました。パリへも、すぐにでも攻め込んでくる勢いです。そういう状況下で、パリの統治をヒトラー総統から任された、コルティッツ将軍。彼は、ある書類を受け取っています。それは命令書です。
「パリを徹底的に破壊せよ」
命令書の署名には「総統アドルフ・ヒトラー」の文字が。
街全体が、美術品とも言えるパリの街並み。何世紀にも渡る歴史的な建造物の数々、例えばノートルダム寺院、あるいは凱旋門、さらにはパリのシンボルでもある、エッフェル塔。
これらに爆薬を仕込んで
「こっぱ微塵に吹っ飛ばしてしまえ!!」
それがヒトラー総統の命令なのです。戦争が始まった当初は常勝軍団でもあったドイツ軍、並びに偉大なる総統閣下だったわけですが、1944年頃には、すでにそのカリスマ性も怪しくなりつつありました。ヒトラー暗殺計画が何度も企てられている。早くヒトラーを退け、戦争を終わらせようとしていた、多少なりともリベラルなドイツ軍人もいたわけです。
戦争も終盤になってくると、ヒトラー総統の命令は、もはや支離滅裂。のちにベルリンの焦土作戦の下地がこの頃からあったわけですね。
ヒトラーにとって、パリという「芸術の都」を占領した時は、さぞや痛快だったことでしょう。美術学校に入ることさえできなかった、貧乏絵描きとして過ごした自分の境遇。そして退廃的とされた現代芸術や、ユダヤ人の描いた絵画など、その存在自体が許せなかったヒトラー。その美の象徴、芸術の都を、ついに支配できた。自分の掌の中で芸術の都を「おもちゃ」として今や「なぶりもの」にできる立場なのです。
「パリ」という美の象徴を「グチャッ」と握りつぶしてしまえば、もう世界は、ヒトラーが美しいと思ったものしか存在できない! 彼はそんな妄想を抱いたのではないでしょうか? この思考パターンは、あの三島由紀夫の小説「金閣寺」にも通じるものがあると思います。
主人公の若き修行僧は、自分の前に立ちはだかる「美の象徴」「権威の象徴」としての金閣寺を焼いてしまいます。
主人公はラストシーンで、燃え盛る金閣寺を眺めます。
そして「自分は生きて行こう」と決意します。
しかし、主人公の思いと裏腹に作家、三島由紀夫氏は、自ら「生きることの破綻」を「自決」という形で実行してしまいました。三島氏とヒトラーの想い、その破滅願望については、どこか通底している部分があるのでは?と僕には思えるのですが……。
まあ、ずいぶん脱線しました。
さて、本作は、パリ中心部にある、高級ホテルの室内が舞台です。
パリ壊滅を実行しようとするコルティッツ将軍。それをなんとかやめさせようと、説得工作に当たる、スウェーデン総領事のノルドリンク。
コルティッツ将軍には、このパリ破壊命令に逆らえない訳がありました。ヒトラー総統の命令書には、但し書きがあったのです。
「この命令に従わないものは、身分にかかわらず、連座責任とする」
たとえ「将軍」コルティッツであろうとも、パリ破壊を中止すれば、その責任は妻や子供達にも及ぶのです。その証拠にコルティッツ将軍の前任者は、すでに処刑されているのです。スウェーデン総領事のノルドリンクは、将軍の心の揺れ動きを読み取ります。
「ご家族の安全は、私が保障しましょう、脱出ルートは確保してあるんです」
時間の猶予はありません。連合軍は明日にもパリに入城しかねない。
二人の室内劇はどのような展開を見せるのでしょうか……
本作は83分という上映時間。その中に「パリ」という街が、今の姿であり続ける事が出来た、その歴史的瞬間が描かれて行きます。
僕が注目したのは、スウェーデン総領事ノルドリンクという人物の誠実さ、そして、大戦中も中立の立場を貫いたスウェーデンという国の姿勢であり、勇気でした。
まともに戦って勝ち目がない相手なら、あくまで外交で勝負する。
土俵際に追い込まれても、二枚腰、三枚腰で乗り切ってゆく。
そのハードネゴシエーターとして、総領事ノルドリンは活躍します。
さらには、あっさりドイツ軍に降伏した、フランスという国と、パリの人々。国家としては、死んだふりをしておいて、実は時を稼いでいた。その忍耐力と、時流を見極める、フランス人、大局観をもった国家としてのしたたかさ。映画作品を通して、そのお国柄をうかがい知ることができる。それもまた洋画の楽しみ方の一つだと思います。