パリよ、永遠にのレビュー・感想・評価
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パリは燃えているか?
Brennt Paris ?
低予算ではあるが、
立派な「パリは燃えているか?」だと思う。
つくづく思うのは、大日本帝國の事。
大日本帝國の場合は
「生きてりょしゅうのはずかしめを受けず」と言う戦陣訓があった。我が亡父は1944年(?)3月10日の陸軍記念日に東條英機閣下の演説で「戦陣訓』を聞いたと威張っていた。付け加えて彼は「日本の独裁者だ」と言っていた。僕はその時、その言葉を鵜呑みにしたが、この戦陣訓は東條英機さんが考えた「訓示」ではないと言う事だ。いずれにしても、この訓示のお陰で日本の場合は、沢山の有望な人材がなくなっている。その中には沢山の民間人も含んでいる。
そして、1945年の陸軍記念日の3月10日に、東京は大空襲にあってしまう。
「東京よ、永遠に」
そして、敗戦後何年か後に、どんな理由なのか分からないが、この作戦を指揮をした「カーティス・ルメイ」に勲章を授けている。この映画の「コルティッツ将軍」も勲章を授かっているが、全く違った意味だと思う。少なくとも「虜囚の辱め」なんていう概念がないから、コルディッツ将軍は鼻高さんで勲章を受けただろうし、こんな言い訳見たいな映画まで作られている。僕はこれこそが日本人と西洋人の決定的な違いだと思っている。どちらが良いかは言うまでもなかろう。
見ごたえのある心理劇
日本人なら勝海舟と西郷隆盛の会談を連想するかもしれない。コルティッツ将軍とスウェーデン総領事ノルドリンクは政治犯救済交渉などで面識はあったが1944年8月24日の密談は残念ながらフィクションである。パリ破壊命令は実話だしコルティッツ将軍が実行しなかった話はルネ・クレマン監督の名作「パリは燃えているか」(1966年)でも描かれている、破壊しようにもレジスタンスに阻まれたというのが史実だろう。
ル・ムーリスは古いホテルだがナポレオン3世が愛人との密会のために作らせた階段と秘密の扉とは面白い着想だ。パリ解放後、コルティッツ将軍の部屋は連合軍のパットン将軍が使ったそうだ。劇中で重要な意味を持つジッペンハフト法は裏切りを防ぐため親族を人質にするというロベルト・ライが提唱した軍規だがまるで日本の戦国時代と同じ策略まで駆使していたとは驚きだ。
主役の二人は映画のベースとなった舞台劇で300回も同役を演じたという、練りに練られたと言えば聞こえが良いが熱気が失われるリスクもある、フォルカー監督の話では二人は本番以外はあえて一緒に過ごさず距離を保っていたという、真の名優とは凄いものだ、おかげで見ごたえのある心理劇に仕上がっていた。
パリの魅力
映画の終わりごろまで、これほどまでに死守したいパリの魅力はなんだろう、と考え続けた。でもふと分かったのは、パリが永遠なのではなくて、このような努力の積み重ねが、パリをパリ足らしめる。だから、外交とはどのような町であっても、事情であっても、このような交渉のうえ成り立つものなのではないかと、府に落ちた。だから、この映画はパリが舞台であっても、けして主人公の映画ではないのだなーとわかった。日本語タイトルが惑わせる。
淡泊な会話の応酬が延々と、ともすれば冗長に続く作品。
作品の大部分を占める指令室の会話劇。
独軍将校と瑞典総領事の会話が延々と続く。
既に巴里の町は独軍に制圧されており将校の命令で建造物の破壊は容易に可能。
その圧倒的な不利な状況下、瑞典総領事が大局的な戦況を語り、情に訴え、とあらゆる方向から揺さぶりをかける。
総領事を演じるアンドレ・デュソリエの飄々と、同時に芯の強さを醸し出す雰囲気。
独軍将校を演じるニエル・アレストリュプの厳格だが命令に苦悶する姿。
役者の重厚な演技に圧倒され、息を呑む場面、笑いが零れる場面、多々あった。
が、延々と続く会話は所々、冗長で退屈。
結論が明らかである点も相まってハラハラする部分は少なく。
情報量の多さに理解と興味が付いていかなくなる。
上映時間83分という比較的短い作品にも拘らず“長い”と感じた。
また映画作品にする意味も少ない印象。
視点の新鮮さやカット割のテンポの良さも感じず、元々の舞台作品をそのまま映像化しました感。
随所に差し込まれる巴里の街並みの映像、後半出てくる戦闘場面もオマケ程度。
これならば「ゲキ×シネ」のような形で舞台の臨場感を伝える手段の方が適していたので。。
淡泊な会話の応酬が延々と、ともすれば冗長に続く本作。
体力、気持ち、時間の余裕がある方であれば。
オススメです。
パリを生き残らせた男
予告編を見るだけでも分かりますが、本作は、元々、事実に基づく戯曲であったそうです。舞台劇から映画化した作品です。
キャリアを積んだ熟年の俳優二人が繰り広げる室内劇。これはじっくりと味わいたいですね。
物語の舞台は、1944年8月。ドイツ軍占領下のパリでのお話。連合軍はノルマンディー上陸作戦に成功しました。パリへも、すぐにでも攻め込んでくる勢いです。そういう状況下で、パリの統治をヒトラー総統から任された、コルティッツ将軍。彼は、ある書類を受け取っています。それは命令書です。
「パリを徹底的に破壊せよ」
命令書の署名には「総統アドルフ・ヒトラー」の文字が。
街全体が、美術品とも言えるパリの街並み。何世紀にも渡る歴史的な建造物の数々、例えばノートルダム寺院、あるいは凱旋門、さらにはパリのシンボルでもある、エッフェル塔。
これらに爆薬を仕込んで
「こっぱ微塵に吹っ飛ばしてしまえ!!」
それがヒトラー総統の命令なのです。戦争が始まった当初は常勝軍団でもあったドイツ軍、並びに偉大なる総統閣下だったわけですが、1944年頃には、すでにそのカリスマ性も怪しくなりつつありました。ヒトラー暗殺計画が何度も企てられている。早くヒトラーを退け、戦争を終わらせようとしていた、多少なりともリベラルなドイツ軍人もいたわけです。
戦争も終盤になってくると、ヒトラー総統の命令は、もはや支離滅裂。のちにベルリンの焦土作戦の下地がこの頃からあったわけですね。
ヒトラーにとって、パリという「芸術の都」を占領した時は、さぞや痛快だったことでしょう。美術学校に入ることさえできなかった、貧乏絵描きとして過ごした自分の境遇。そして退廃的とされた現代芸術や、ユダヤ人の描いた絵画など、その存在自体が許せなかったヒトラー。その美の象徴、芸術の都を、ついに支配できた。自分の掌の中で芸術の都を「おもちゃ」として今や「なぶりもの」にできる立場なのです。
「パリ」という美の象徴を「グチャッ」と握りつぶしてしまえば、もう世界は、ヒトラーが美しいと思ったものしか存在できない! 彼はそんな妄想を抱いたのではないでしょうか? この思考パターンは、あの三島由紀夫の小説「金閣寺」にも通じるものがあると思います。
主人公の若き修行僧は、自分の前に立ちはだかる「美の象徴」「権威の象徴」としての金閣寺を焼いてしまいます。
主人公はラストシーンで、燃え盛る金閣寺を眺めます。
そして「自分は生きて行こう」と決意します。
しかし、主人公の思いと裏腹に作家、三島由紀夫氏は、自ら「生きることの破綻」を「自決」という形で実行してしまいました。三島氏とヒトラーの想い、その破滅願望については、どこか通底している部分があるのでは?と僕には思えるのですが……。
まあ、ずいぶん脱線しました。
さて、本作は、パリ中心部にある、高級ホテルの室内が舞台です。
パリ壊滅を実行しようとするコルティッツ将軍。それをなんとかやめさせようと、説得工作に当たる、スウェーデン総領事のノルドリンク。
コルティッツ将軍には、このパリ破壊命令に逆らえない訳がありました。ヒトラー総統の命令書には、但し書きがあったのです。
「この命令に従わないものは、身分にかかわらず、連座責任とする」
たとえ「将軍」コルティッツであろうとも、パリ破壊を中止すれば、その責任は妻や子供達にも及ぶのです。その証拠にコルティッツ将軍の前任者は、すでに処刑されているのです。スウェーデン総領事のノルドリンクは、将軍の心の揺れ動きを読み取ります。
「ご家族の安全は、私が保障しましょう、脱出ルートは確保してあるんです」
時間の猶予はありません。連合軍は明日にもパリに入城しかねない。
二人の室内劇はどのような展開を見せるのでしょうか……
本作は83分という上映時間。その中に「パリ」という街が、今の姿であり続ける事が出来た、その歴史的瞬間が描かれて行きます。
僕が注目したのは、スウェーデン総領事ノルドリンクという人物の誠実さ、そして、大戦中も中立の立場を貫いたスウェーデンという国の姿勢であり、勇気でした。
まともに戦って勝ち目がない相手なら、あくまで外交で勝負する。
土俵際に追い込まれても、二枚腰、三枚腰で乗り切ってゆく。
そのハードネゴシエーターとして、総領事ノルドリンは活躍します。
さらには、あっさりドイツ軍に降伏した、フランスという国と、パリの人々。国家としては、死んだふりをしておいて、実は時を稼いでいた。その忍耐力と、時流を見極める、フランス人、大局観をもった国家としてのしたたかさ。映画作品を通して、そのお国柄をうかがい知ることができる。それもまた洋画の楽しみ方の一つだと思います。
話が通じる者同士の『外交』
落としどころを探りながらの交渉
という意味では見ごたえがあった。
【話が通じる者同士】の外交は
このようなものだのだろう。
物語の結末は知りながらも、
最後まで飽きさせない展開は見事。
しかし、この映画から、
先の大戦ではどの国も国際法なんか守っていないという
断片が垣間見えたのは興味深い。
やはり、勝者が裁く裁判なんて、ただの茶番でしかないことも
この映画から確認できた。
やはり”戦争”という外交手段は、
下策なんだろう。
渋い、会話の力
全編、主な登場人物はおじいさん二人だけの渋い映画でした。
でも、パリを爆破せよとの命令を軍人として遂行しようとする人、その人の人間性に信頼を寄せて外交交渉をしようという人、二人の意図は最初は全く反対であるのに、会話がかみ合って続いていく。それがパリの魅力の故なのか、ヨーロッパの価値観、土壌の故なのか、それとも何か運命的なものの故なのか。
この続いていく会話の流れと展開が魅力的な映画だった。
二人の俳優の競演が素晴らしい。映画を見てるのではなく実際その場にい...
二人の俳優の競演が素晴らしい。映画を見てるのではなく実際その場にいるような、臨場感を感じさせる。外交官の思惑、真意がクリアになり切らない、含みをもたせた撮り方も良かった。
物を破壊することは容易だが、築き上げることは難しい。
今も聳えるエッフェル塔。あの壮観なパリの景色を破壊することなく現存する
のは、ノルドリンク総領事と敵国ドイツのある将校のおかげかもしれない。殆どの二人の会話で成り立っているこの映画、ノルドリンクの将校への執拗な説得の賜物。久しぶりの傑作です。
ほぼ会話。 会話の駆け引き。油断したら 理解できなくなる… 字幕頑...
ほぼ会話。
会話の駆け引き。油断したら 理解できなくなる…
字幕頑張って見てたけど、読めない漢字が(・_・;
私には なかなか手強いかも…
パリが無事で 良かった良かった(^ ^)
きれいごとで済んだ歴史の一幕
結局、ドイツの実直な将軍は、手練れのスウェーデンの外交官にうまく丸め込まれたのだ。将軍の家族をナチ政権から守ろうというのは、口から出まかせとまでは言わないまでも、ほとんど何の根拠もない約束だったのだ。まさか、パリ陥落後のドイツ軍の潰走を読んでいたわけでもあるまいに、つまるところ、一家の命と引き換えにパリを守ったということなのだ。
政治的な判断としては間違っていないと思うが、もしもコルティッツ将軍の家族がナチス政権によって処刑されていたら、戦後の二人の感情はいかようなものになっていただろうか。
むしろ、そのような感情のほうが映画の題材としては興味深いものがある。この作品の取り上げた部分は、結果きれいごとで済まされた感がある。
緊迫の一夜
街ごと爆破寸前のパリで、ヒトラーの命令を実行しようとする独軍司令官と、それを止めようとする中立国スウェーデン総領事の駆け引き。わずか一晩の出来事を一つの映画にするという凄さ。ノーカットで運命の一晩の様子を観たような気持ちになった。司令官の葛藤、総領事の苦悩。パリが破壊されずに済むことになったときに、大きな感動が込み上げてきました。
ハラハラ、ドキドキ
第二次大戦終結間際に、ナチスによって計画されたパリ市街爆破作戦。どこまで史実かは知らないが、ナチスならやりかねない。
ナチスのパリ駐留軍の将軍と中立国スエーデンの駐仏総領事による、言葉での熾烈な闘い。ルーブル美術館、エッフェル塔など、今も残っているので破壊しない結末であることは分かっているけど、どうやって翻意させるかが見所。
ドレスデンは、どうなの?
第二次世界大戦における、ナチス・ドイツによる「パリ壊滅作戦」を巡る駆け引きを描いた作品。
描かれているのは、まさに連合軍のパリ進駐前夜の1944年8月24日深夜から8月25日にかけてのたった一日。ですが見ていると、もっと長く感じました。元々が戯曲であったためか、物語の殆どはコルティッツの執務室で進むんですが、そこでのコルティッツとノルドリングの緊迫したやりとりは、結末を知っていても、中々ドキドキしました。
ところで、この物語では「民間人を巻き込むな。美しいパリを破壊するな」と言う事を言うわけですが、実際には、作品中も言及があったハンブルグ空襲や、このパリ解放後に起きたドレスデン空襲など、連合軍による、民間人を巻き込み美しい街を破壊するような出来事は起きているんですよねぇ。特に、ドレスデン空襲なんかは、徹底的にその街が破壊しつくされていますからねぇ。そういう意味では、パリだけが破壊から免れるべき街だったのか?と言う疑問も感じました。まぁ、この時に破壊されなかったから、いま私達は美しいパリの町並みを見ることが出来るんですけどね。
ところで、パリ解放はこの物語で描かれた1944年8月の出来事なわけですが、ドイツが降伏するのは1945年5月8日なので、その後9ヶ月も戦いは続いたんですね。いやぁ・・・、凄いな。この物語の時点で、ベルリンは結構破壊されているような事を言っているんですが、その後更に破壊しつくされるということなのか・・・。
コルティッツを演じたニエル・アレストリュプはフランス人なのですが、見た目が、いかにもドイツ軍人っぽいのが非常に興味深いです。当然ドイツ語の台詞もあるんですが、ドイツ語の出来はどのくらい?
邦題は『パリよ、永遠に』と非常に叙情的なタイトルですが、原題は『Diplomatie』と、日本語で言う“外交”なんですね。物語で描かれているのは正に“外交”そのもの。なるほどなと思いました。
気迫みなぎる男の会話
1944年ドイツ占領下のパリ。ドイツ軍の司令室があったホテルムーリスの最上階の部屋で、ドイツ将軍とスウェーデン大使の会話が主。しかもフランス語。
会話から戦線の状況が判る。
大人の男の洗練された会話の中にお互いに一歩も譲らない気迫があり、外交とは命がけの闘いであることが理解できた。
ドイツの各都市への爆撃もある中でパリが無血解放された裏話として、シュレンドルフ監督の思いも感じられた。
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