「イッセー尾形に依存しすぎ」先生と迷い猫 うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)
イッセー尾形に依存しすぎ
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イッセー尾形の一人芝居に魅せられて、彼のファンになってからずいぶん経ちますが、映画の彼はエキセントリックな脇役がいいとこで、彼を主役に張って映画を一本撮ろうというのは、無謀な試みにしか思えない。
この座組で2本目ということらしいが、前作は見ていないので何とも言えません。
いわゆる「飼い野良」状態の猫をめぐっての田舎町での出来事を、ゆったりと描き出した作品で、ストーリーはほぼ無いに等しい。
引退した「元」校長先生が写真を趣味に、街を撮って歩くさまはまさに「猫」の生態そのものであり、地域のコミュニティと関係性を築いていく様子も、猫の行動になぞらえてのものだろう。その自由ぶりが様々な軋轢や、騒動をまき起こす。
いろんな名前で呼ばれている猫が、失踪してからの先生の狼狽ぶりがお話のハイライトで、どうやら先生は死んだ女房を思い出すのが辛かった様子。猫を拒絶したことがきっかけになったのではないかと、責任を感じている。そこから猫探しが始まり、仲間が生まれていく。
登場人物も、リアルにどこにでもいそうな存在感で、その街の共同体を疑似体験したような気分には、なる。
そこまでの映画で、どうにも解釈自由なラストがいかにももどかしい。観客不在の映画だと思う。
私個人の解釈は、疲れ切った校長先生が、自宅の上がりかまちに腰掛けて、猫と戯れる亡き妻の幻想に包まれて、そのまま絶命したように見えたが、はたしてどうなのだろう。
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