ジミー、野を駆ける伝説のレビュー・感想・評価
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ジェームズ・コノリーは知っていたけどね。
ジミー・グラルトンがなぜ国外追放されたか?
先ずはそれを理解しなけりゃいけない。
いわば、アイルランドの赤狩り(レッド・パージ)だと言う事だ。
このホールもジェームズ・コノリーと言うアイルランドの社会主義者の記念館の様に出来ている。そんな集会所。つまり、当局から見れば問題にせざるを得ないのだろう。
従って、最後に吐く神父の『お前らよりも彼のほうが気骨がある』は眉唾なこの演出家の弁解的演出と思わざるを得ない。因みにこの演出家はイングランド人の労働党左派。
彼はアイルランド建国100年目をこの主人公で描きたかったのだろう。
アイルランドはナチス・ドイツとイングランドどの争いを中立の立場を取っている。と言うことは、ナチス・ドイツ的なイデオロギーも拒絶を100%しているわけでは無いと言う事だ。この演出家の労働党左派の反ユダヤ主義を魔女狩りと例えたそうである。
やはり、平等な社会を作るには、政治も大事だが、本來の経世済民の復活が急務だと僕はこの映画を見て感じた。アイルランドは共和国。イングランドは立憲君主制の国。共和国と言えど搾取する領主がいる。なんか矛盾点があるよ。
原題 Jimmy's Hall
製作年 2014年
製作国 イギリス
劇場公開日 2015年1月17日
上映時間 109分
映倫区分 G
切り取り方
ジミーがいかに人気?の活動家だったか、がわからないと武勇伝?が伝わりにくい気がした。
切り取り方が難しい。
大恐慌のアメリカから帰国したジミー。(でいいのかな)
10年前に建設した廃れたホールを再建する。
公民館みたいなものかな。
住民が集まってダンスしたり、カルチャー?教室を催したり。
それのどこが悪いの?
日本の地域の夏祭りの盆踊りと同じじゃん。
なんて浅はかにも思ってしまうけど、当時のアイルランドは大変だったんだろうな。
赤の芽を早々と摘み取ろるべく神父までもが政治家に買収されている。
いずれにしても、地主、資本家、搾取…ケン・ローチ監督の怒りは伝わる。
若者の力に未来を託したかのように拳を上げるジミー…で終わっちゃったけど。
ホールを建てて母親と挨拶も出来ないままアメリカに。
これが事実なのだろうけどね、悲しい話である。
ケンローチ監督作品という事で
観てみましたが、あまり面白くはなかったかな。途中で黒人を傷付ける様な台詞がありました。ここは「ん?」となりました。どういう意味でしょう?
あの牧師が全然人格者じゃなくて、ジミーの方が余程人間が出来ている。知恵も多い。最後の展開は納得出来なかった。これが現実社会という事か。
新しいことを挑戦するには
Jimmy’s Hall (2014 年)『ジミー、野を駆ける伝説』(ジミー のをかけるでんせつ、)
監督:ケン ローチ
2014年のイギリス・アイルランド・フランスの伝記映画。実在の活動家ジミー・グラルトンの葛藤。1930年代の伝統的なアイルランドのある村にコミュニティーセンター(絵を習ったり、歌を歌ったり、ダンスを踊ったり)を復活させることに反対な政治家やカトリックの司祭。結局、ジミーはアメリカに戻されてしまう。
世界を考える糸口として
麦の穂を揺らす風に感銘を受けまして、ケンローチという監督を覚えたのが2014年の夏です。同じ監督が麦の穂…の時代から10年程のちのアイルランドの活動家を映画にした、ということで観てきました。
1930年ごろのアイルランドが舞台です。
アイルランドの歴史と文化を多少なりとも知らないとついていけないかもしれません。カトリックについても知ってたほうがわかりやすいかもです。
盛り上がりとかそういうのはほぼ無いです。悲惨で泣ける、というのとも違います。
主人公ジミーのスピーチが、山場といえばそうかもしれませんが、撮り方も内容も地味です。(ダジャレのつもりはありません!)
でも誠実なスピーチだと思いました。
欲を捨て、人生の喜びのために誠実に働こう、と言っていました。これまた感じ入る言葉でした。
教会とファシスト党(だったかな?アイルランドにファシスト党があったなんて初めて知りましたが)は、ジミーら労働者たちの左翼化を恐れて卑怯な妨害をし、挙句ジミーを再び国外追放してしまうラストです。
アイルランドの歴史や当時の人々の思いや生活に触れられたというだけでも価値があると思います。音楽と踊りもたくさん出てきます。結ばれなかった恋もあわ〜く出てきます。不倫しなかったので二人はえらいと思いました。
本編に限らず歴史映画の価値は、見た者が、自分が置かれている現実社会の問題をどう捉え、何をすべきなのかを考える、一助になることだと思います。
現実をみればよいじゃないかという向きもありましょう。しかし、昨日や今日の出来事を真正面から受け止め、自分のすべきことは?なんて自問していたら、もうふつうに仕事してご飯食べて、という生活はできません。ショックが強すぎます。
距離が近すぎて恐れが勝ってしまいます。そこから怒りや偏見がくっついてしまい、とても客観的に見られないのです。
かといって、わたしも腐っても社会の一員なわけですから、この世の事象に対して全く無視も大人気ないと思ったりもしているのです。
だから、20世紀初頭という歴史的距離と、日本とアイルランドという地理的距離があって、どうにか一定の客観性をもてるかなぁ、と思い、少し昔の遠い国を思いながら、今の世界について考えたりしています。ほんの少しだけ。
表現の自由。
エリックを探して、天使の分け前、ではクスッと軽やかな笑いを
醸し出したK・ローチ監督の新作がアイルランドに還ってきた。
名もなき労働者階級の活動家J・グラルトンと彼が建てたホールを
巡る物語だ。彼のホールは音楽・ダンスだけでなく教育・スポーツ・
社会政治など多岐に渡り村人が情報交換できる社交の場だったが、
有力地主や神父の怒りを誘発する。彼らにとって労働者は、ただ
黙々と働いて学歴も得ず自由や権利を主張しないことが望ましい。
そんな階級に波風を立てるジミーが許せないのだ。しかし村人は
ホールの存在で変わった。ジミーが帰郷すると、すぐさまホールの
再開を直訴する。10年ぶりにホールを再開するジミーだったが…。
まるであの'80年代のダンス映画「フットルース」を連想させられる。
時代背景も国柄も若者文化も違うが、ダンスを禁止された若者達が
転校生(若き)K・ベーコンのステップに酔いしれる。テーマソングも
若者1人1人に呼び掛ける歌詞が印象的だった。悪しき文化、風潮だと
敬虔人は語るが馬小屋で娘に鞭打つ父親が果たして愛護者だろうか。
自由表現や娯楽の重要性が総ての人間に必要不可欠ではと問いかける。
優しく温かい語り口の中に鋭い指摘が何度も入るさすがのローチ節。
実話ということでその終焉は切ないが、拳を掲げジミーに宣言する
若者たちの夢と希望に満ちた未来への眼差しが何よりの救いである。
(裁判もなく国外追放された庶民の英雄。母親の落胆は如何程だったか)
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