劇場公開日 2015年12月12日

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「可愛い孫へ注目しちゃうよね」独裁者と小さな孫 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5可愛い孫へ注目しちゃうよね

2016年1月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

萌える

この作品、紛れもなく悲劇のはずなんですが、どこかユーモラスでもあるんですね。
このあたり、監督の目線、登場人物を見つめる目に、温かみや人情味を感じるんですね。それで随分救われた気分がする作品です。
また、この作品、どこかですでに見たような「デジャブ」を感じるのですが……
独裁者、絶対的権力者がその地位を奪われ、逃避行を続けるお話。
そうです。
古くは、あのシェイクスピアの「リア王」
そして映画では「リア王」をモチーフとした、黒澤明監督作品「乱」がありました。
「乱」では城主とその家来、いや”人間未満”の存在である「道化」がお供をしましたね。
本作ではその道化の役割を、独裁者自身の幼い「孫」が担っている形なのです。
国内でクーデターが起こり、大統領夫人など、家族は飛行機で脱出します。
しかし、大統領はまだ事態が収集できると信じて自国に残ります。そのとき、偶然、孫が幼なじみの「マリアがいっしょじゃなきゃ、イヤだ~!!」と言って飛行機に乗り遅れてしまうのです。止むを得ず大統領は、孫と一緒に専用リムジンで宮殿に帰ろうとするのですが。
すでにクーデター勢力は、すぐ身近に迫っていました。身の危険を感じた大統領は、宮殿を捨て、専用リムジンを捨て、大統領の盛装も捨て、貧しい旅芸人に変装し、ギターを持ち、孫と二人で危険な逃避行を始めることになるのです……。
国内は体制派と反体制派が内乱を起こしている。国中が大混乱。ここで難民が発生します。
今、ヨーロッパでは、増え続ける難民が大変な問題となっていますね。この作品がヨーロッパでどのようなリアリティを持って受け止められたか、気になるところです。
さて、その難民の群れに紛れ込む大統領と孫。
幼い孫は無邪気に尋ねます。
「ねえ、どこへ行くの、大統領?」
「だまれ!! 二度と大統領というな!」
「どうして大統領って言っちゃダメなの、大統領?」
「見つかったら殺されるんだ!!」
難民たちと共に、時には歩き、時にはトラックに乗せてもらい、あてもなく移動を続ける大統領と孫。難民の中には
「アイツ(大統領)に兄弟を殺されたんだ」と問わず語りに話す者もいます。
数多くの政治犯を処刑せよ、と命じたのは紛れもなく大統領自身でした。
ただいまは逃げるしかない。大統領はかつて一夜を共にした娼婦の元へ逃げ込みます。
そこで語られる、軍人たちの横暴。
「あいつら、お金を払ってくれないのよ、私の身体をもてあそんだくせに!!」
自分が政治を司ってきた、その国の庶民の生活、大統領はその現実を思い知らされるのです。
本作では、ときおり、孫の回想シーンが挟まれます。贅を尽くした豪華な宮殿、部屋の一室。お抱え教師付きで、大好きな幼馴染マリアとダンスのレッスンをする、未来の大統領になるはずだった孫の姿。
このあどけない微笑みに、この作品は救われているような気がします。
大統領の椅子から転げ落ち、旅芸人に身をやつし、今や懸賞金のかかった「犯罪者」「逃亡者」となった転落の人生。
本作で監督はどこに視点を定めようとしているのか?
それがちょっと気になりました。
というのも、クーデターが起きた国内の事情は描かれますが、海外へ逃れた、大統領の家族の目線によって、この独裁国家の全体像、また海外メディアの反応というのも描けたはずです。しかし、あえて監督はそれをしておりません。
あくまでも、監督が注視しているのは大統領という仮の名の「おじいちゃん」と「幼い孫」が逃げる、というお話であり、その様子をドキュメンタリータッチで描いて行きます。
本作で、やや食い足りなさを感じるところは、大統領の過去の「愚行」「蛮行」がほとんど描かれていない、ところにあるとおもうのです。
そのため、間接的にどんなひどい圧政があったのかを「難民」の口から語らせて、観客に想像させる、という手法を取っております。
そのためにやや説得力不足を感じますし、悲劇の味わい、なにより庶民の切迫感、というものが「つくりもの」であるという雰囲気が拭えませんでした。
かつて、黒澤明監督の「乱」では、ピーターさんが演じた「道化」が極めて重要な役割を担っていました。これは元ネタのシェークスピアのリア王と同じですね。
「乱」での城主、お屋形様への辛辣な批判も平気で口にしますし、王様の心象風景を道化がうまく導き出し、観客に提示させるよう、実に巧みに描かれていますね。
本作においても、かわいい「孫」が、大統領の心の内を導き出してくれるのか? とおもっていると、むしろ「孫」の可愛さの方が演出上、勝ってしまい、その孫の「幼さ」と「可愛さ」に観客は関心を寄せてしまうのです。
その分、救いはありますが、作品に深みを与えるまでには至っていない、というジレンマが生じます。本作を鑑賞後、なんとなくサラリとした印象を持ってしまったのは、そういうところに原因がありそうです。

ユキト@アマミヤ