「演出に凝り過ぎた映画。」バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) bashibaさんの映画レビュー(感想・評価)
演出に凝り過ぎた映画。
ゴダールの映画のように点滅するアルファベットの羅列で始まります。
この映画は一言で言えば、演技に取り憑かれた一人の男についてのひとつの考察、ということになります。始まってから、20分ほどで、ああ、この手の映画なのだな、ということが判ります。現実の世界の映像と心象風景の映像とが境い目なく続いてゆくのですが、(この境界線を如何にぼかすか、ということが、この手の映画の生命線なのです)如何せん、演出に凝り過ぎています。騒々しい映像がこれでもか、これでもか、とばかりに次から次に迫ってきて、視神経を刺激します。そう、確かに視覚に訴える場面はあるのですが、全てを観終わった後、心の残るものが余り、ないのもまた事実です。結末もやっぱり、こういう終わらせ方しかなかったのだな、という大体、予想がつくものです。☆が三つなのはそういう事情があったからです。映像をぎゅうぎゅう詰めにするのではなく、観客の想像力を働かせる余白を残しておいて欲しかったですね。この映画をこけおどしだけの空疎な作品だ、と酷評する人がいても何の不思議もありません。この監督は映画に新機軸を打ち出そうとしたのでしょうが、今の時代、映画に限らず芸術の大体の分野において、あらゆることはもう、やり尽くした、という閉塞感が強くなっています。音楽、美術、文学、みんなそうです。この映画の演出によって、イニャリトゥ監督にアカデミー監督賞が贈られたのは納得できますが、果たしてこの作品がアカデミー作品賞に値するのか否か・・・、うーん、私には疑問です。
皮肉なことですが、この映画を観終わった後、私は黒澤明の時代劇やジョン・フォードの西部劇を観たくなりました。2000年くらい前にユダヤ人が書き綴った聖書が未だに世界中で読まれています。どうやら、残念なことではありますが、小手先だけの思いつきでは新しい地平を切り開くことはできないようなのです。