アメリカン・スナイパーのレビュー・感想・評価
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犠牲になるものとは
英雄と讃えられた男の心の闇と、
アメリカ社会が抱える暗部を描いた傑作。
「あの蛮人たちを殺した理由を、俺は神にきっちり説明できる」
いろいろと完全アウトな発言だが、
こうでも言わなきゃまともでいられない、
という心情がわかるとても印象的なシーンだった。
戦争に関わった時点で、
仮に生き残ったとしてももう何事もなかった日常には戻れない。
英雄と呼ばれる男ですら戦争の犠牲者。
制作中に起きた事件は起こるべくして起こったものだろうし、
図らずもその事件がこの映画の持つ意味を何倍にも増幅している。
非常にヘビーな内容とメッセージだが、
国籍を問わず、全ての人が観るべき作品だと思う。
一生に一度の映画
戦争ものの映画は正直すごく苦手です。
大抵のものって、自国の勝利に向かって
仲間の死を乗り越えながら
主人公が英雄視される感じのが多いじゃないですか。
でも、この作品では焦点が違っていて、
戦争によって壊れていく精神状態や
帰国後の後遺症がテーマとなっていました。
しかもこれがノンフィクションと言うから驚きですよね。
戦闘の中で性別も年齢も関係なく死んでいく現実が
容赦なく突きつけられる世界は
まるでこの世のものではないようで、
一時帰国時に周りに広がる平和で満ちた世界との
ギャップに心が蝕まれていく様には胸が痛みました。
象徴的なとこだと
親子を射殺するシーンや、
一家がドリルで殺されていくシーンは
今でも脳裏に焼きついています。
ラストではせっかく後遺症を克服したにも関わらず
他の後遺症に苦しむ退役軍人によって
射殺されてしまうものでしたが、
あれは映画完成間際に起きてしまったらしいですね。
クリスさんは制作にも大きく協力しており、
この映画が彼自身のような人たちへの
支援になればと考えて、
同じようなことが繰り返されないようにという
メッセージが込められていたはずなのに。
エンドロールは追悼の意味を込めて
あえて無音で制作されたようです。
あまりの辛さから、
絶対に二度目は観れないと思いました。
そういう意味で一生に一度の映画です。
しかし、一度は観るべきと言える作品でもあります。
二度とこのような悲劇を繰り返さないために、
知ることから始めましょう。
R.I.P. 追悼の意を込めて。
思ったより淡々とした映画
アメリカじゃあ知らない人がいないような話なんだろうけど、そうじゃない日本人が見るとイマヒトツついていけない感じ。
最後の悲劇とか、特に・・・
全体的な雰囲気は良さげ。
リアルタイムな戦争映画
序盤はいらない
●戦争が日常になるリアル。
狙撃手クリス・カイル。「レジェンド」の異名をもつ。いわゆる戦争映画だが、その実、家族との葛藤、深層心理をえぐり出している。
初めての任務。ターゲットは母親と子供。殺さなければ仲間がやられる。葛藤と緊張感。空気が張り詰める。
しかし、それがいつしか日常になる。任務中に妻と電話したり、同僚と冗談を言い合ったり。実にリアルだ。そうでもしなけりゃ、やってられないのだろう。
そして、砂嵐のシーン。息するのも忘れたわ。生きた心地がしなかった。
これが戦争なのだ。ハンナアーレントが言ったように、戦争は人の思考を停止させる。そういった逆説的アプローチの映画なのでわないか。
さらに妻がいう。「あなたは帰ってきたけど、心は戦場に置いてきたまま」PTSDとの戦い。
殺人マシーンに化した彼もリアルなら、国を守りたいという責任感も事実だと思う。イラクとはかけ離れすぎたアメリカでの平和な日常。
誰も戦争のことを口にしない。このギャップ。音響がジワジワくる。
病むよなあ。戦争は誰も幸せにしない。
靖国の先人たちがふと頭をよぎる。彼らが守りたかった日本という国は、こんな形でよいのかと。
巨匠クリント・イーストウッド。細部はともかく全体で魅せる技はさすが。
しかし、ラストは日付を先に出しちゃいかんよー。まあ、おいおいウソだろって気にさせられたから許すか。
イーストウッド監督の名作・・
この映画は賛否両論あるようだが、間違いなくクリント・イーストウッド監督の名作だ。クリス・カイルが実在の人物であるだけでなく、21世紀の戦争の悲惨さを事実に基づいて描いている。アメリカ人の神・国家・家族に対する考え方を深く掘り下げている。クリスが自分に葛藤しながら射殺するシーンは奥深い。祖国に残した妻のタヤとは家族についての考え方で少しずつすれ違ってくる。4回目の戦闘でタヤに電話して「Go back home」と叫ぶシーンは思わず涙を誘う。砂嵐の中、どうにか仲間と帰国したクリスは、すぐに帰宅出来ずバーで時間を費やす。そして退役後、精神を病んだ男に射殺される。レジェンドの最期は余りにもあっけなく悲しかった。実在したクリスに今のアメリカのテロとの厳しい闘いをみる。2013年に亡くなったそうだ・・日本人も安保法制に揺れる今、観るべき戦争映画だと思う。
ながく残りそうな名作
どんな立場から見ても極力公平な、俯瞰した視点で描かれている映画だと思います。
さまざまな解釈ができそうですけど、やっぱり根底に祖国愛への偏りが若干感じられます。そこをどうとるかは見る人の自由でしょう。日本人にはもう一歩深いところで共感はできないかもしれませんね。
しかしやっぱり作品全体としての、凛とした空気感には圧倒されるものがあります。名作として残りそうな作品。
生きても死んでも戦争はつらい
この映画を見るまで自分は、
戦争は本当につらいし、あってはならない、でも帰ってこれればいい
というような考えを持っていたが、現実には生きて帰ってきても、そう簡単には戦争から完全に離れることはできないのだとわかった
夫が戦争をやめて帰ってきた時の幸せそうな家族の様子が、夫がいない時のつらさをよりいっそう際立たせていると感じた
後々調べてみると最後のシーンのクリスカイルを殺した人はPTSDだったとわかった
普通の人間ならあんな悲惨な現場に長いこといたら誰だっておかしくなるでしょ
それでも祖国や仲間を守ることを選び続けた彼だったからこそさらに考えさせられる
戦争映画
クリント・イーストウッドの映画はグッとくるものがいつもある。
自分は平和な場にいるなと痛感させられた。
きっと戦争ってもっとひどいんだと思うけど、銃撃の感じとかドキュメンタリーを見てる感覚になって、複雑な気分になった。
普通に奥さんと電話してる最中に襲撃に合うのが印象的だった。当たり前だけど、戦場に安息の場なんて無いね。
敵って誰にとってなのか、英雄にも殺された人たちそれぞれにも悲しむ人がいることを忘れちゃいけない。そして、死ぬ時はあっけない。この映画の最後のように。
アメリカンスナイパーがどうのこうのというより、敵となる中東の人々の思いがすごく感じられました。
クリント・イーストウッド監督作品。ファンなので、かなり期待していました。
実話なのでしょうがないかもしれないけど、作風は今まで見てきた自分好みの作品と違うような感じで、見ていてかなり不安でした。
見ている間、このままだと普通の戦争映画というか、アクションヒーロー物になってしまう気がしてしょうがなかったです。
そのまま終わるのか?と思っていたら、最後の最後のシーンで、ファンの期待に答え、帳尻を合わせてくれたような、微妙な作品でした。
正義感の強いカウボーイのクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、アフリカで戦う米軍の姿をTVで見て、自らも入隊して戦うことを決意する。海軍のネイビー・シールズに入ったクリスは、タヤ(シエナ・ミラーズ)と知り合い結婚。その後間もなく、イラク戦争が始まり、クリスもイラクへ派遣される。イラクで、狙撃兵として活躍したクリスは、いつしか米軍歴代最高のスナイパー、レジェンド(伝説)とまで言われるようになる。だが、敵にも射撃のシリア代表のオリンピック選手だったスナイパーがいた。二人はいろいろな戦場で、対決することになるのだが・・・?
逆の視点からは描かれていないけれど、アメリカンスナイパーがどうのこうのというより、なぜか敵となる中東の人々(この映画では主にイラクの人)の気合いが、すごく感じられました。
圧倒的に不利なのに諦めないし、自分の命をなんとも思っていないような自爆攻撃をする。
昔の日本軍の特攻攻撃とはだいぶ違っていて、組織的なものというより、かなり個別的な感じがする。
たぶん宗教が大部分で、殉教ということなのだろうけど、それだけではないような気がしました。
正しいのか間違っているのかわからないけれども、これだけ気合いが入っているのなら、なんでもアリで自由、誰に何を言われる筋合いもないと思う。(しょうがないのかもしれないけれど、他の人を殺すのは、やはりいただけないかも・・・?)
ある意味中東の人々をこんな思いにさせた、アメリカ(欧米)のせいかもしれない。
昔のマンガに例えれば、アメリカは、バイオレンス・ジャック(暴力を呼ぶジャックナイフ、現れると暴力の嵐が吹き荒れるという怪物。)だ。
そして中東は、「バイオレンス・ジャック」の関東無法地帯(地震が続き、国家に見捨てられた地区。いろいろな勢力が跋扈している。)になったような気がする。
そのうち「バイオレンス・ジャック」の中のキャラクター、スラムキングのような人が統一するのかもしれない。
そして、その人物をまたバイオレンス・ジャック(米国)が倒して、元の状態に戻るみたいなことを繰り返していくのかも・・・?
戦場に英雄なんていない
クリント・イーストウッド作品だったので、ストーリー重視の傾向で作られているかと思えば、戦闘シーンにもかなり力が入っていることに、少し驚きました。器用な監督ですわ。
まず、映画のタブー的なことに触れて、現実のむごさを伝えるのが相変わらず、上手いなぁと…
更に、主人公が段々と戦争、戦闘マシーンへとなっていく姿が、何ともリアルでした。彼にとって、常に緊張感のある戦場で人を殺める事でしか、不安を解消することが出来なくなってしまったのでしょうか…
仲間を救っている分、相手を殺している。
殺した分だけ己の人間らしさも殺している様な印象を受けました。
重圧な映画でした。
因みに戦闘シーン好きな人も満足できると思います!(笑)
戦争ってむなしい
イラク戦争で活躍した実在するスナイパーを、クリントイーストウッドが...
<静かなる勇気の作品>
一言でいうとするならば、これは「勇気」の映画だと思います。
劇場公開時から話題の名作(イーストウッド監督)で、DVD化されても、非常な話題を生んだ作品(日本以前に、すでに本国であるアメリカで、主人公であるカイル・クーパー氏(狙撃手)ご自身の人生も含め、非常な話題を呼んだ作品でした)。
その名作を、つい最近になって、ようやく自身、鑑賞することができました。
その感想を言うとするならば、当初、思い描いていたご作品とは、まったく異なる(違う)印象で、最後には、イーストウッド監督ご自身のメッセージだと思われる、(カイル・クーパー氏への称賛と黙祷とともに)、「静かなる勇気」を観る人々に伝えようとしている、そんな(静かな、しかし鍛え上げられた鋼のような、イーストウッド監督独特の)風格を、そして、確かに監督であるイーストウッド氏が、カイル・クーパー氏の人生を描くことで伝えようとした、その「静かなる勇気」を、この作品からは確かに頂くことができました。
この作品(名作)についての批評や話題は、日本公開時から、多く眼にすることができました。いわく、「イラク戦争の悲劇を描いた作品」「戦争の悲惨さ」、そして、「(その戦争に駆り出される)兵士たちの犠牲や悲劇」、などなどでした。当然、そういった批評やコピーを眼にする側としては、そういった映画(戦争の悲劇や帰還兵の悲惨さを伝えるもの)として認識し、しかも、それが、イーストウッド監督のものである以上、「かなり厳しい(覚悟で観なければいけない)作品なのだろうな」、と思っていた(ご縁のあるだろう作品で、必ず観させていただかなければならない名作なのだろうな)のですが、
実際に、全編を通して(しっかりと)鑑賞させていただく機会を持ったあとでは、(そういった戦争の悲劇や悲惨さのみを強調していた)諸批評とは、まったく異なる作品であり、印象がありました。
一言で言うとするならば、それが、全編に静かにみなぎっている、
「決意」であり、「行動」であり、ひとりの人物の「生の軌跡」であり、
「静かなる勇気」でした。(その勇気は、確かに受け取りました)。
主人公である(カイル)クーパー氏は、(映画で描かれているように)、敬虔なキリスト教(バプテストなどの、プロテスタントだと思います)の家庭に育ち、父の厳しい教えを受け、青年時の(農場労働などの)放浪を経たのち、あの9・11テロに衝撃を受け、そこで初めて、「国(祖国)とひとびとを守るため」、軍に入隊します。そこで、最初は厳しい(軍の)洗礼を受けるものの、幼少時より父に鍛えられた、天性の狙撃の才能を見出され、「狙撃手(スナイパー)」として、イラクにおける米軍になくてはならない「兵士」となり、敵からは、一千名以上を倒した、悪魔のような狙撃手として、賞金首にされるほどの存在となってゆきました。
映画はその過程を、丹念に、しかし淡々と描いていきます。
(この、たとえ戦場描写であれ、徹底的に「静かに、そして淡々と」というところに、イーストウッド監督の「静かなる決意」を感得できます。)
最初(冒頭)の場面(米軍を倒すため、対戦車手榴弾を手に襲ってくる女性と子供の狙撃(射殺))からして、すでに作品は、(戦争の悲惨さやテロ戦争の残酷さ、イラクの破壊などすべてを含みこんだ上での、静かなる勇気と行動とを)描きつつ、すべてをあらわして(暗喩)しています。
様々な批評や論で語られていた、「イラク戦争の悲惨さ」、そして、現在のイスラム国などの混乱にも通じていく、「反テロ戦争の犠牲と凄まじさ」、そして、そこ(戦場)に投入されていった兵士たちの犠牲と「傷」もまた、すでに冒頭にして、そこに(静かに観客の前に)置かれています。
しかし、この作品が捉えたかった(伝えたかった)主題は、そこ(戦争の悲惨さや兵士の犠牲)ではありません。そこ(悲惨さのみの強調)には、決して、イーストウッド監督の(これまでの作品をも貫いてきたような)主題(勇気)は、ありません。(なかったと信じています)。
イラク(戦争)の破壊も、悲惨さも、そしてテロリストとの凄まじい手段を問わない(懸賞金や拷問、尋問をも伴った)倒し合い(殺戮)も、多くの批評が声を大をするまでもなく、すでに、(もはや)、わたしたちの現実の「世界」には、完全なる(すでに置かれている)「現実」(リアリティ)として、当然のように(今このときにも)、それはあります。
イーストウッド監督は、冒頭のその衝撃的なシーンから、決してそれ(反テロ戦争の悲惨さ)から眼を逸らすことなく、しかし、(静かなる決意と勇気をもって)、それ(戦争と戦場)を、(鋼鉄のような、しかし静かなる決意で)淡々と描いていきます。(この淡々と、という手法には、凄まじい意志が必要です)。
しかし、それ(戦争の現実と悲惨さ)は、それのみが、この作品の主題ではありません。
もはや、それ(9・11以降の凄まじく激化していくテロリズムと、対テロ戦争の犠牲と悲劇)を、この「世界」の当然の「前提」として、しかし、そこ(そうなってしまった世界と戦場、そしてそれぞれの人の立場において)で、
「何を決断し、どのように行動し、生きてゆくか」
を、イーストウッド監督は、カイル・クーパー氏という天性の狙撃手の生の軌跡を通じて、淡々と、しかし鋼のような静かなる決意で、問うています。
そして、そこで監督が提示しているものが、この映画(アメリカン・スナイパーという名作)の全編(と奥底)に静かにみなぎっている、
「静かなる勇気」(と行動)でした。
この作品では、戦闘シーンも、あるいは、対テロ戦争(対テロリスト)の「現実」も、一切、派手さや人を退き付ける激しさもありません。そこには、静かなる砂漠のごとく乾き切った冷徹さと、静けさがあるだけです。クーパー氏という、天性の狙撃手を描きながらも、彼を利用した、戦場や戦意の高揚、愛国心の(いたずらな)高揚や押しつけといったことに通ずる(と捉えられがちな)描写ですら、たんねんに取り除き、ただ、(全編にみなぎる静かなる勇気と決意を根底に置きながら)、「静けさ」のみが、そして、「現実」(と、そこに生きる人の行動)のみが、そこにはあります。
そして、その中心に、カイル氏という、(兵士という)信念に徹したひとりの人間の「生」が静かに置かれています。
本作では、伝説的な狙撃手と呼ばれたクーパー氏ですら、いわゆる映画的な、ヒーローのように敵を殺傷し続ける「見せ場」はほとんどありません。彼(カイル氏)は、密告の罪で、電動ドリルで殺害されようとしている協力者の小さい子供ですら、(敵の狙撃を受けているため)、結局は、助けられないまま終わってしまいます。(それ(ある種の無力と限界)が、戦争の現実です)。
しかし、そういった傷(仲間(兵士)の死や、イラク人のひとびとの犠牲、恐るべきテロリズムとの闘い)を確実に負いながらも、狙撃手として自身を位置づけているクーパー氏は、(映画の中で)、家族を抱えながらも、ひたすら戦地へと戻り、闘い続けようとします。そして、そこには、個々の戦場と、個々の作戦しかありません。そのなか(限界)で、クーパー氏(狙撃手)は、自己の使命(任務)を全うするため、全身全霊で、しかし、淡々と闘い続けます。
そこには、クーパー氏自身が負った「傷」(PTSDなど)が確実にありながらも、しかし、戦争依存症や、心身の病などではない、確かな、(苦しみながらも)、自身の「決意」があり、「信念」があり、そして何より、(イーストウッド監督自身が、監督として描き続けてこられたものに通じてゆく)、「静かなる勇気」があった、ある、と、作品は確かに(彼の生を通じて)描いています。
『勇気とは、保持することである』
という、古代ギリシアの哲学者の言葉(ソクラテス)があります。
その意味は、「勇気」とは、蛮勇や、大げさな行動(決意)をのみ言うのではなく、たとえ、状況を変えることができなくとも、また、どれだけ悲惨な(厳しい)現実であれ、自己(信念)を保ってゆくこと、保ち続けてゆくこと、そして、(その勇気に基づいて静かに)行動すること、それを説いています。
イーストウッド監督は、その言葉を、カイル氏という天性の狙撃手を通じて、そして、彼が、自身も恐怖や絶望に苦しみながらも、兵士としての使命と信念を全うし続けようとしたこと(行為)を通じて、わたしたちに(静かなる勇気について)、問いかけようとしています。
それこそが、監督の伝えようとした(静かなる)主題だったと、思えます。
映画の終わりにおいて、カイル氏は、(彼を心身障害で射殺した)同じ退役兵をサポートするため(助けるため)、一緒に車で出かけてゆき、それを妻が見送る場面で、静かに閉じられます。(その後の字幕で、その事実と、カイル氏の葬列(全米規模の追悼)が、スタッフロールに登場します)。
そこにも、仲間だったはずの同じ退役兵に射殺されるという、辛い(厳しい)現実(生の終わり)がありながらも、しかし、イーストウッド監督はそれを「帰還兵の悲惨さ」などといった型どおりの印象では終わらせず、むしろ、その事実すら、カイル氏という「静かなる勇気」を貫いた稀有な人物の「勇気」として、静かに描いています。(スタッフロールの、(実際の)カイル氏の葬列やメモリアルの写真や映像は、それに対するイーストウッド監督の、心からの同調であり、静かなる賛同のように感じます)。
そしてそこには、ただ、カイル氏という天性の狙撃手の信念を貫いた(最期の瞬間まで、だと思います)生の軌跡と、それを通じて描こうとした、この作品の全編に静かにみなぎっている、「静かなる勇気」だけが、観客の胸(心臓)には残されます。そして、それ(静かなる勇気)だけが、監督の伝えようとした信念なのだと感じます。
そして、その「勇気」は、個々の信念や、立場の違いには左右されないものです。日々の努力や、鍛錬、あるいは仕事であったり、あるいは夢であったり、あるいは家庭を保ったり(護ったり)、ひとを助ける、といったこと(行為)であれ、この作品でイーストウッド監督が提示し、問いかけている「静かなる勇気」は、必要なものであり、むしろ、それをみんなが共有してほしい、静かに保ち続けてほしい、と、イーストウッド監督は願っているようにも感じます。
その意味(観点)で、この映画(アメリカンスナイパー)は、(その主題からして)、普遍的な「生」の主題を扱っており、単なる「戦争映画」や、「戦争の悲惨さ」といった枠のみには収まりきらない、普遍的なもの(作品)です。
それは、反戦であったり、あるいはその逆であったりという、個々の「立場や信念の違い」には左右されないものです。どのような個々人であれ、立場であれ、信念であれ、日々、それを(静かに)つらぬいていって欲しい。それ(静かなる勇気)を、この作品からは確かに受け取りました。
そして、それ(本作の主題)は、イーストウッド監督ご自身の信念でもあり、生き方でもあり、そして、ある時期からの(監督)作品において、たんねんに、しかし静かに(執拗に)描かれてきた(伝えようとしてきた)こと(メッセージ)のようにも、確かに(強く)感じます。
これまで観てきた作品の中でも、非常な「勇気」と、「決意」とを貰うことができた稀有な名作だと、今は感じています。
アメリカ軍人も人間
全691件中、141~160件目を表示











