劇場公開日 2015年8月8日

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さよなら、人類 : 映画評論・批評

2015年7月28日更新

2015年8月8日よりYEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー

もたらすのは優しい笑いか、暗い戦慄か?異才監督による3部作完結編

オリンピックは4年に一度、スウェーデンの異才ロイ・アンダーソンの映画は7年に一度やってくる。いや、2000年の「散歩する惑星」前に25年の空白があったが、以降は精緻な作風に合わせるように規則正しく7年間隔で新作を発表。現在72歳、半世紀近いキャリアでフィルモグラフィはたったの5本しかない。

寡作の理由はアンダーソン独特の映画術にある。特に最新作の「さよなら、人類」では厳格にルールが守られている。ワンシーンワンカット、スタジオ内にセットを組んで固定カメラで撮影する。そう聞くと早撮りできそうだが、ディテールへのこだわりが尋常ではない。

設定が屋内でも野外でもセットにはやたらと奥行きがあり、遠景は手描きのマットペインティング。構図は絵画のように完璧に作り込まれ、時にとんでもない人数の出演者(今回は馬も!)が出入りする。動きもタイミングも完璧にコントロールされるが、スタッフは少数精鋭の10人のみ。ワンシーンの撮影にたっぷり一か月はかかるという。

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そこまでの手間をかけながら、映し出されるのは表舞台とは無縁の市井の人たちの日常のひとコマ。面白グッズを売り歩く陰気なセールスマンが口喧嘩をしたり、船酔いする船長が美容師に転職したり。どのシーンも静かに進行していくが、やがて観客は《とんでもないもの》を観ている異常事態に気づく。

《とんでもない》と書いたが、その方向性は多種多様。悲惨な局面がやたらと可笑しかったり、いつの間にかミュージカルになっていたり、不意に18世紀の軍隊が乱入したり……。しかもどの場面にも物悲しさが宿り、薄灰色の世界をやたらと美しく見せる。それでいて背筋が凍る衝撃シーンがぶっ込まれたりもするから油断がならない。

本作は「散歩する惑星」「愛おしき隣人」に続く3部作の完結編だという。どの作品も気安くコメディと呼びづらいシニカルな終末感が特徴だが、対象を突き放す冷徹さは作品を追うごとに人間へのほろ苦い共感へと移り変わったように感じる。これは詩的な絵本か、ぶ厚い人生の百科事典か? もたらすのは優しい笑いか、それとも暗い戦慄なのか? まずは理屈よりも感じて欲しい。答えは観客それぞれの感性と価値観が決めてくれるはずだ。

村山章

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