草原の実験のレビュー・感想・評価
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隠れた名作では?
掘り出し物!!
いい映画みつけた。
旧ソ連のカザフスタンで実際に起きた出来事にインスピレーションを受け、作られたそうです。
草原にある小さな家に父親と住む、ある少女。
ここで、ひそやかに幸せに暮らしている少女の生活に、思いがけない暗い影が忍びよっていた…
タイトルで、だいたい想像ついたけど、思ったとおりの結末だった。
この映画は、セリフがありません。
セリフがないのに、いや、セリフがない事が最高の武器になってると思う。
そして、緻密に計算つくされた美しい画が素晴らしいです。
寡黙な少女を演じた、主演のエレーナ・アンの、美しさ、存在感。
もっと多くの人に知られるべき作品だと思う。
皆さんに、ぜひ観て頂きたい、オススメ作です。
出来れば事前知識を入れずに見て欲しい。
事前知識なく、タイトルとサムネイルの美少女に惹かれて観賞。正解だった。
台詞は一切無く、淡々と父親と二人で暮らす草原の少女の生活が映される。
父親は仕事らしきところに行っては帰ってくる。幼なじみの馬に乗った青年とカメラを持った青い目のロシア系の青年、二人はどちらも少女に好意を抱いているらしい。地平線から昇り沈む日が美しい。
軍人らしき男達が父親を訪ねてきたあたりから不穏さが漂い始める。
タイトルの意味が最後にわかる。何が「実験」なのかはその目で確かめて欲しい。
台詞なく映画は成立するのか?「実験」ってそういうことか、納得してた...
台詞なく映画は成立するのか?「実験」ってそういうことか、納得してた。まさか…
少女の面影を残しながらしっかり美形の主人公の魅力にやられた。ずっと見ていられる。
彼女を奪い合う男2人のダッサイ喧嘩、アレなら私も参戦できそうだ(笑)
ストーリーはなさそうでありそうな、あっても意味が無さそうな(笑)
できるだけ情報を入れず、ラストの衝撃を味わいたい、それともちろん主人公。そんな作品。
英語版タイトルは『Test』
練られた構図・色調・レンズワークから殊更に美しい映像を生み出し、その映像美と人間の醜さを対比させることが作品のテーマと言えます。
スクリーンに切り取られるのは無限に続くかのような美しい草原と一軒の小屋、美しい少女。そして醜い男達です。父(説明はないです)は娘の美麗と対極にある小太りな醜男。行動も意味不明で観ていて生理的嫌悪感を覚えますが、少女は嫌な顔せず世話をやきます。
若い男が二人。ひとりは馬に乗りスリムな体躯ですがやはり醜男。クセ毛の西洋人は愛嬌のある顔立ち。若い男らはある理由で争い、酷くみっともなく争う姿が描かれます。男らは少女の美しさと常に対極的に提示され、そして映画の最後には最も醜い人間のおこないが描かれ全てを呑み込み終幕します。最後まで誰一人台詞を発しません。
映画そのものは難解ではありませんが共感を生まないシーンも多く、メッセージの為だけにこれだけの美しい映像が費やされたことについては、なんとも言えない気持ちです。
p.s.
映像美だけを評価すれば5点満点中6点を与えたいほどです。
美しく恐ろしい映画
セリフも音楽も解説も、登場人物の名前や、年齢も分かりません。
ポツンと一軒家を超える何も無い草原で暮らす2人の親子が主人公です。そこで暮らす日々の淡々とした生活そして出会い、恋愛、別れとストーリーが進みラスト…衝撃的です。
全編通して、とにかく少女が美しく、映像が美しい。キャストの演技も素晴らしいです。
ラストまで引き込まれていきます。写真の風景を見ている感覚になります。
ストーリーも、映像を見て感じ取る映画だと思います。
中盤から、軍隊が来て放射線量を測る所から、不穏な雰囲気が押し寄せてきます。題名から予想される通りに、この映像美を見せらてからなので、ラストはショッキングが半端ないです。
解説や、セリフが無いゆえに旧ソ連で行われた核実験がどうだったのか?と興味が湧いて来ました。
エンタメ感はなく、好き嫌いに分かれてしまうと思いますが、久々にこの様な映画に出会えて良かったと感じました。
1986年大林宣彦制作の「野ゆき山ゆき海べゆき」を思い出した。 当...
1986年大林宣彦制作の「野ゆき山ゆき海べゆき」を思い出した。
当時の鷲尾いさ子はこの主人公と同じような不思議な雰囲気を持つ美少女。
無言とまではいかないが無口だし、最後には原爆シーンもあるしで、
背景や流れが全く違う作品ではあるが「戦争」や「軍」に憤りを感じ、
雄弁でない主張をする両作品に同じ匂いを強く感じた。
徹底的沈黙を通じた視覚の復権
本当に衝撃的なカットがいくつかあった。
一つは冒頭の飛行機のシーン。雲海を悠々と曳航しているかと思いきや、実は少女が塀の上に並べた綿が雲のように見えていただけだった。少女の他愛ない遊戯と撮影のトリックが、地上で静止している飛行機をあたかも舞い上がっているかのように見せていたのだ。この視覚に対する古典的な、それゆえむしろ鮮やかな裏切り。無声(この場合はセリフがないこと)という欠損を穴埋めできるだけの映像的魔力がこの映画にはあるんだぞ、ということがここで高らかに宣言されている。
もう一つは少女がサイドミラー越しに少年の姿を発見して微笑むシーン。そこでは言葉と文字の氾濫によって映画という媒体から久しく失われてしまっていた非言語的な幸福性が示現している。
思えば映画というものは、『ラ・シオタ駅への列車の到着』や『月世界旅行』といった黎明期の傑作を見ればわかる通り、視覚的な驚きを出発点として開始された一種の見世物だった。それがいつしか言葉を獲得し、思想を獲得し、やがて文芸へと成熟していった。
そして今や映画は言語なくしては成立しない境位にまで足を踏み込んでいるといっていい。いくら長回しを基調とした寡黙な映画であってもセリフがまったくないというのは極めて稀だ。そうした時代性の中で視覚的な驚き、すなわち「動き」の面白さを「無声」という極端な自己抑制を課してまで復権させようという本作の試みは面白い。
ただ、どれだけ本作が無声映画として傑出していようが、映画史という大局において今更有声映画と無声映画の地位が逆転することはおそらくない。草原の静謐の中で少しずつ丹念に丁寧に積み上げられてきた少女の生活がたった一発の爆弾によって簒奪されるさまには、あるいは昇りかけたかと思えば再び稜線に沈み込んでいく太陽には、さながらそうした諦観が反映されているような気がした。
とはいえ爆弾も太陽も絶望の表象としては少々凡庸な気もする。もう少し示唆の領域に踏み留まってもよかったんじゃないか。例えば爆弾投下の予兆として家のガラスにピシッと亀裂が走るシーンがあったが、あそこで映画を終わらせていたほうがむしろ受け手に手触りのある緊張を与えることができたんじゃないかと思う。
きれい
ロシア語の勉強に…と、思って何作かロシアの映画を借りてみたうちの一作‼︎‼︎
いつ、セリフが出てくるのかな⁇
と、思いながら見初めて、も、もしやこれは…‼︎‼︎ サイレントムービーなのか…!?
という感じでラストを迎えました(笑)
とにかく、きれい!
景色も家も、空の色も、なにもかも!
こんな美少女見たことない!惚れ惚れする美しさ。どこの国なのか知りたくて、説明を見たらカザフスタンだったんですね。
綾取り、久々にやりたくなった(笑)
そんなような映画でした。
あんな雰囲気の家、素敵だなあ。日本でああいう雰囲気のカフェがあったら絶対、入りたい、そわな味わいの家でした。
実験とはそういうことか・・
何だか凄い映画だ。少しは状況の説明が欲しいものだとは思ったが、耐えて耐えてラストまで、あのヒロインのように。どなたかのレビューにあったように、冒頭のシーン見直してみた。そうかここはすでにエンディングだったのか。
セリフはないけど引き付けられる
カザフスタンの草原に住む父親と娘の素朴な日常生活に、何とも言えない不安感がザワザワと押し寄せてくる。
ラストへの予感はあったが、見せつけられるととても悲しい。
セリフは一切ないのだが、画面に釘付けになる。
娘役のエレーナ・アンは正統派美少女で強い印象を残す。
オチ以上に、新星美少女スターの衝撃!
2014年の東京国際映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞したロシア映画。
一切台詞ナシの意欲作。
ちょっと抵抗を感じてしまうかもしれないが、筋書きはシンプル。
広大な草原地帯。
そこで父と二人で暮らす娘。
彼女に恋した二人の青年。
一人の少女のドラマを淡々と綴る。
本作最大の魅力は何と言っても、主人公の少女エレーナ・アン。
何という超美少女!
よくぞ見つけたこの逸材!
日本にも橋本環奈ちゃんという超美少女が居るけど、このオーラ!
調べた所、ロシア人と韓国人のハーフらしく、白人にも東洋人にも見える不思議な佇まいはそれ故か。
そして、素晴らしく出来た娘!
寝ている父親の靴を脱がし、靴下を洗い、帽子を脱がせて枕を添える…。
可愛い上にこんな父親孝行だなんて、堪んねーぜ、コンチクショー!
それにしても、あんなブサメンな親父からよくこんな可愛い娘が産まれたもんだ…。
二人の青年は言わば真逆。
爽やかで面もまあまあの好青年風と、ぶっきらぼうでちょっと父親似の田舎青年風。
片や積極的で、片や不器用な優しさ。
女の子の恋心が揺れます。
本作、ただの人間叙事詩と思ったら大間違い。
衝撃のオチが!
冒頭シーンで早くも暗示し、「?」と思ったある雨の夜のシーンは伏線。
元々、ロシアで起きたある出来事が作品のモチーフ。
邦題「草原の実験」、原題「TEST」は、なるほど、そういう意味か…。
衝撃のラストは残酷でもあるが、詩情豊かな美しい映像と、新たなる美少女スター、エレーナ・アンの誕生に魅せられる。
これぞ映画だ
人の声は、時として自然の音をかき消す。
自然の音だけを我々に届けるこの映画は、人が自然の声の中で生きていることを感じさせる。
風の音。土の軋む音。息遣い。
これは全てラストにつながる。
人の声をも自然の声も掻き消される瞬間の姿。無音、沈黙。
それを描きたいがためにこの97分はあった。
エレーナ・アンの清廉さが、さらにこれを際立たせた。
昔々見た「風が吹くとき」を思い出した・・・・。
衝撃的なラスト(?)より徹底的に台詞を排した演出を楽しむ
衝撃的なラストという謳い文句が付いているが、映画の中にキチンと判りやすい伏線も張っていて、それほど衝撃的ではなかったな。
でも、人によっては衝撃的なのかも。。。
それよりも、徹底的に台詞を排していて、俳優たちの微妙な表情や仕草、情景描写だけでドラマを積み立てていく本作品を観ると、極めて情感に訴えるものなのだと妙に感心した。
逆に言うと、台詞って理性に強く訴えるものなのなのかね。
こんな映画は初めて
初めての経験でした。
先ずはあまりの人の多さにびっくり。
セリフが無いと知らなかったのでびっくり。
しかし、これが親子とは少しミスキャスト!!
何やら微笑ましくも悲しい。
結局はもて遊ばれる人生。
良い映画なんですが、気を抜くと寝てしまいそうになるのが難点です。
少女が 大自然が 美しい ... そして 切ない
セリフ無しで描かれる少女の物語。観客の咳払いやため息、イスの座り直しの音さえも劇場内に響き渡ってしまうほどに、静かにゆったりと描かれます。少女を演じたエレーナ・アンさんをスクリーンで観たかっただけで観に行った作品ですので、大満足です。心しれた相手とは、言葉を交わさずとも、その佇まい、ふとしたしぐさや目や表情、行いだけで、口から出す言葉以上に多くを語りあえるということを、あえてのセリフ無しのシーンで描くことで魅せてくれたなあと感銘を受けました。登場する男性陣3人はシーンによって「アー!!」とか「ウッ!」とかの声は一部あるのですが、少女は最後まで一切声を発しません。少女はほんの数シーンの息の音のみです。ロシア映画ですがセリフが一切無いので字幕も無いため、スクリーンの映像と音に集中して見入ることができました。帰宅の道すがら劇場パンフレットを全部読んだのですが、劇中シーンの写真を見、また、あらためて、予告編映像を見て、ほほえましくほっこりしながらも、同時に切なくなります。人生ってこうなのかな。久しぶりに渋谷のシアター・イメージフォーラムに行きましたが、やはり、好きな映画館のひとつです。少女がその先にみたものーきっと美しいものに見えたんだろうなぁ…エンドロールが終わって劇場内が明るくなるまで私は立ち上がれませんでした。
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