草原の実験のレビュー・感想・評価
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事前に内容を知らないで鑑賞されることをお勧めします。
事前にあらすじをしっていたら「★★☆☆☆」でした。
旧ソ連時台の実話をもとに製作された実話映画です。
ほとんど会話はありませんが、わめいたりはします。
映画好きのファンの方ならお分かりになると思いますが。出演者のすることや、身なりに細かい違いがなどがあります。
父親は当初高校球児ぐらい丸ボーズでしたが、映画がしだいに進むにつれて髪の毛が長くなったり、娘が家を引き払ってトラックで逃げるとき荷台の「カーペット」があったりなかったりします。
また、父親が亡くなりに荼毘(ダビ)に伏せたあと、一人トラックで実家を引き払おうとY路地へ向う娘ですが、エンストしていまいトボトボと草原を脱出しようとするが当局が張り巡らした有刺鉄線に阻まられ出れない。ようやく歩いて家に引き返してきて「青い目」の子と外のベンチに寄り添って座っているときに[それが起こった]🔥🍄
簡単に内容を言うと「ターミネーター」の「子供たちが公園で遊んでいる時の状況」ようは壮絶な事が起きる。数十秒ですべてが灰になってしまう。
「プライベートライアン」や「ターミネータ」や「プレディター」などは何度か見ても飽きないが、この「草原の実験」は1度みれば十分だと思います。
この映画は「名作では」ありません。
私が映画を観終わって参考にしたプレビューがあります。
それを観て納得できました。
監督の意図は印象に残る映画にしたかったのだと。。。。
リンクは張れないので参考になるキーワードをお知らせします。
『分からなかった人のための草原の実験』
です。
ご参考までに。。。。。。
なによりも雄弁に語りかける映像美。
草原に広がる大量の羽毛、その中にはテーブルのみがただ佇んでいるのみ。周りにはがれきが広がっている。いったいこの地で何が起こったのか。
大草原にポツンと佇む家に住む父と娘。平穏な日々の暮らし、自然のいとなみ、静かに流れる時間。ここにはある意味世界と隔絶した彼らだけの世界があった。
何百年もの間、先住民族の人々はこの地で自然とともに暮らしてきた。そこでは日々変わらぬ静かな時間だけが過ぎていった。
やがて、父は病で倒れ一人ぼっちになった娘。そのいいなずけと婚姻の儀式を結ぶ。しかし、娘は旅人の青年と恋に落ちて二人は結ばれる。
当たり前のように繰り返されてきた人々の日常。それはこの地でこれからも永遠に続くと思われた。
しかし、無情にもこの世界とは違う邪悪な世界はそんな彼らの暮らしをものの見事に破壊する。
悪魔の火によりすべてが一瞬で消え去った。あの美しい自然もあの美しい娘も。
旧ソ連時代、セミパラチンスク核実験場で繰り返された核実験は機密事項として周辺住民にその危険性が一切知らされなかった。何百回と行われた実験により周辺住民は数百万人単位の人々が放射線被害を受けた。
全編にわたる美しい映像、これらの映像とは対照的に愚かな人類による蛮行をまざまざと見せつけられる。
映像だけでこの世界の残酷な不条理を見事に描いた佳作。
ちなみに邦題はほぼネタバレであり、これは酷過ぎる。
1986年大林宣彦制作の「野ゆき山ゆき海べゆき」を思い出した。 当...
1986年大林宣彦制作の「野ゆき山ゆき海べゆき」を思い出した。
当時の鷲尾いさ子はこの主人公と同じような不思議な雰囲気を持つ美少女。
無言とまではいかないが無口だし、最後には原爆シーンもあるしで、
背景や流れが全く違う作品ではあるが「戦争」や「軍」に憤りを感じ、
雄弁でない主張をする両作品に同じ匂いを強く感じた。
3.8 芸術系映画
とても芸術的な創作を感じる映画。その映像の映し方、表現、セットや風景までも幻想的。自然そのままというわけではなく、かなり創作をしており、よくこんな表現思いつくなと思った。
どこかフィンランド系の映画賞を取るようなアニメ映画に似たエッセンスを感じた。
最初に16+と出るし、映画の紹介で「突然、その平穏が打ち破られる」とあって、これ胸糞展開来るのか!!!と何度も身構えた。変な警察っぽいのが来たときに、ここで娘見つかるなら胸糞確定演出だろ!!と思ったが、最後まで映画ジャンル全般で言えば”平穏無事、また見たいぜ!”と思える程度に終わってよかったと思っている。
全般的に「核実験」に関するテーマが内在しているが、個人的にはその映像美、黒木メイサ風の娘のナウシカに出てきそうな幻想性が評価の高い作品。
途中、結婚衣装かなと思ったけどあれは民族を出るという意味だったのかもしれない。やはり幼なじみは男として見れないってやつだったか!!個人的にはモンゴル系ワイルドマッチョのほうが好きだったけど、世界に憧れを持っている少女には響かなかったのかもしれない。
そうした背景美術でストーリーを語るところも良かったですね。
最初に出てくる羊を枕にして昼寝するシーンが最高に良かった。
徹底的沈黙を通じた視覚の復権
本当に衝撃的なカットがいくつかあった。
一つは冒頭の飛行機のシーン。雲海を悠々と曳航しているかと思いきや、実は少女が塀の上に並べた綿が雲のように見えていただけだった。少女の他愛ない遊戯と撮影のトリックが、地上で静止している飛行機をあたかも舞い上がっているかのように見せていたのだ。この視覚に対する古典的な、それゆえむしろ鮮やかな裏切り。無声(この場合はセリフがないこと)という欠損を穴埋めできるだけの映像的魔力がこの映画にはあるんだぞ、ということがここで高らかに宣言されている。
もう一つは少女がサイドミラー越しに少年の姿を発見して微笑むシーン。そこでは言葉と文字の氾濫によって映画という媒体から久しく失われてしまっていた非言語的な幸福性が示現している。
思えば映画というものは、『ラ・シオタ駅への列車の到着』や『月世界旅行』といった黎明期の傑作を見ればわかる通り、視覚的な驚きを出発点として開始された一種の見世物だった。それがいつしか言葉を獲得し、思想を獲得し、やがて文芸へと成熟していった。
そして今や映画は言語なくしては成立しない境位にまで足を踏み込んでいるといっていい。いくら長回しを基調とした寡黙な映画であってもセリフがまったくないというのは極めて稀だ。そうした時代性の中で視覚的な驚き、すなわち「動き」の面白さを「無声」という極端な自己抑制を課してまで復権させようという本作の試みは面白い。
ただ、どれだけ本作が無声映画として傑出していようが、映画史という大局において今更有声映画と無声映画の地位が逆転することはおそらくない。草原の静謐の中で少しずつ丹念に丁寧に積み上げられてきた少女の生活がたった一発の爆弾によって簒奪されるさまには、あるいは昇りかけたかと思えば再び稜線に沈み込んでいく太陽には、さながらそうした諦観が反映されているような気がした。
とはいえ爆弾も太陽も絶望の表象としては少々凡庸な気もする。もう少し示唆の領域に踏み留まってもよかったんじゃないか。例えば爆弾投下の予兆として家のガラスにピシッと亀裂が走るシーンがあったが、あそこで映画を終わらせていたほうがむしろ受け手に手触りのある緊張を与えることができたんじゃないかと思う。
70点
はじめは、ん?奴隷かな?
途中の分かれ道で降ろしたぞ?
馬の男が一緒に逃げるか?的な?
いや、家まで送ったぞ?
と映像だけやから想像させられた!
良い方にも悪い方にも傾いたが
最後は悲しすぎた
一瞬やねホンマ
木っ端微塵のあとの虚無感
台詞がない」ことと、「驚きの結末」ということ意外には、何の予備知識もなく見に行きました。
タイトルから、人体実験の話とか実は外の世界は滅びているのかな、なーんてSF的な展開を想像してみたり。
見事裏切られましたね(笑)
映像が始まったら、あれこれ邪推せずに自然の美しさや丁寧な生活の描写の流れるままに、心を委ねました。
羊の毛の柔らかさを想像し、水が土を這う様に喉の乾きを覚え、かさついたパンと羊の肉に食欲を、毎日同じことの繰り返しの中に漂う幸福を感じながら。
そしてこの話はどこでオチがつくのかと考え始めたところで、唐突に終わりを告げたラストには、予想していたより遥かに鮮烈なショックを受けました。
兵隊が登場したあたりから不穏な空気が漂ってきていたので、「そっち系の話かな」とは思いつつも…。
風が揺らすカーテンのたなびきも、傾いだ家のそこここから漏れる太陽の温もりも、淡い恋の睦み合いも、木っ端微塵に吹き飛んだ後の虚無感。
悲しいとか苦しいとか切ないとか感情がまったく浮かんでこない。
小さな脳みそで繰り広げられる個々の世界など、あの暴力的なエネルギーの前では存在さえ無かったに等しい。
きっと宇宙空間に放り出されて目の前で星が爆発したとしたら、その瞬間なんの感情も湧かないんだろうと思う。なにかそれに似た感覚。
報道写真でよくみられる、大規模な戦禍のあと廃墟の前に佇む人の顔が、みな揃って虚ろな理由がわかるような気がする。 人間的な感情は、それが「人間の所業」によるものだとようやっと実感してから、後から後からわいてくるのだと思う。
帰ってからチラシをみたら、そこここにヒントが書いてありましたね(笑) 。
アンドレイ・タルコフスキーを彷彿とさせる、旧カザフスタンであった実話をベースに…などなど。 セミパラミンスク核実験場がベースでしょうか。
主役のエレーナ・アンは、今は父親と共に韓国に移り住み、韓国語を習っているそうで、女優業には興味がないそうです。勿体ない…。
しかし映画のアンより大分印象が違う…特に目のあたりが… あのときのアンの魅力があってこその、映画といえるでしょう。 彼女のしなやかな清々しさが、ある種のファンタジーさを映画に添えています。
きれい
ロシア語の勉強に…と、思って何作かロシアの映画を借りてみたうちの一作‼︎‼︎
いつ、セリフが出てくるのかな⁇
と、思いながら見初めて、も、もしやこれは…‼︎‼︎ サイレントムービーなのか…!?
という感じでラストを迎えました(笑)
とにかく、きれい!
景色も家も、空の色も、なにもかも!
こんな美少女見たことない!惚れ惚れする美しさ。どこの国なのか知りたくて、説明を見たらカザフスタンだったんですね。
綾取り、久々にやりたくなった(笑)
そんなような映画でした。
あんな雰囲気の家、素敵だなあ。日本でああいう雰囲気のカフェがあったら絶対、入りたい、そわな味わいの家でした。
タイトルと場所で…
大体どうなるかは予想できたので、驚きはなかったです。面白いかというと、う〜ん…ですが、ヒロインの子がすごく可愛く、その魅力で星三つになりましたね。
この映画は残酷さを表現するためには、あの美少女が絶対必要でした。
そういった事を考えると、美少女(エレーナ・アン)をキャスティング出来た時点でこの映画は勝ちでしたね。
実験とはそういうことか・・
何だか凄い映画だ。少しは状況の説明が欲しいものだとは思ったが、耐えて耐えてラストまで、あのヒロインのように。どなたかのレビューにあったように、冒頭のシーン見直してみた。そうかここはすでにエンディングだったのか。
セリフはないけど引き付けられる
カザフスタンの草原に住む父親と娘の素朴な日常生活に、何とも言えない不安感がザワザワと押し寄せてくる。
ラストへの予感はあったが、見せつけられるととても悲しい。
セリフは一切ないのだが、画面に釘付けになる。
娘役のエレーナ・アンは正統派美少女で強い印象を残す。
オチ以上に、新星美少女スターの衝撃!
2014年の東京国際映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞したロシア映画。
一切台詞ナシの意欲作。
ちょっと抵抗を感じてしまうかもしれないが、筋書きはシンプル。
広大な草原地帯。
そこで父と二人で暮らす娘。
彼女に恋した二人の青年。
一人の少女のドラマを淡々と綴る。
本作最大の魅力は何と言っても、主人公の少女エレーナ・アン。
何という超美少女!
よくぞ見つけたこの逸材!
日本にも橋本環奈ちゃんという超美少女が居るけど、このオーラ!
調べた所、ロシア人と韓国人のハーフらしく、白人にも東洋人にも見える不思議な佇まいはそれ故か。
そして、素晴らしく出来た娘!
寝ている父親の靴を脱がし、靴下を洗い、帽子を脱がせて枕を添える…。
可愛い上にこんな父親孝行だなんて、堪んねーぜ、コンチクショー!
それにしても、あんなブサメンな親父からよくこんな可愛い娘が産まれたもんだ…。
二人の青年は言わば真逆。
爽やかで面もまあまあの好青年風と、ぶっきらぼうでちょっと父親似の田舎青年風。
片や積極的で、片や不器用な優しさ。
女の子の恋心が揺れます。
本作、ただの人間叙事詩と思ったら大間違い。
衝撃のオチが!
冒頭シーンで早くも暗示し、「?」と思ったある雨の夜のシーンは伏線。
元々、ロシアで起きたある出来事が作品のモチーフ。
邦題「草原の実験」、原題「TEST」は、なるほど、そういう意味か…。
衝撃のラストは残酷でもあるが、詩情豊かな美しい映像と、新たなる美少女スター、エレーナ・アンの誕生に魅せられる。
これぞ映画だ
人の声は、時として自然の音をかき消す。
自然の音だけを我々に届けるこの映画は、人が自然の声の中で生きていることを感じさせる。
風の音。土の軋む音。息遣い。
これは全てラストにつながる。
人の声をも自然の声も掻き消される瞬間の姿。無音、沈黙。
それを描きたいがためにこの97分はあった。
エレーナ・アンの清廉さが、さらにこれを際立たせた。
昔々見た「風が吹くとき」を思い出した・・・・。
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