「贖罪と共に生きる」FOUJITA 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
贖罪と共に生きる
画家藤田はパリで大成功をおさめる。
彼にとっては、パリの生活は毎日がパーティーの様に楽しい事ばかりだ。常に刺激に満ち溢れ、画家として題材にも事欠かない。
テクニックにも長け、廻りからも一目置かれている。
ここまでが前半部分のお話。
そして映画は突如戦争中の日本へと飛ぶ。
画家藤田はパリで大成功をおさめた事で、戦争画家として祖国日本で(当時としては)かなりの待遇を受けていた。
パリでの生活とは違い、人々の暮らしは困窮を極めており、パリの時の様な華やかさとは無縁の日々を過ごす毎日だった。
【死】【戦争】【贖罪】は、どうやら映画作家小栗康平にとって切っても切れないテーマになりつつあるのかも知れない…と、今回初めて(一方的に)考えてみた。
『泥の河』には、【戦争】の影が画面の隅々にまでつき纏っているし。加賀まりこが生きるすべは【贖罪】とは切っても切れない関係性を内包していた…とも思える。
サワガニを焼く場面は、監督自身の口から『灰とダイヤモンド』での同胞の魂に祈りを捧げる(死者を敬う)場面のオマージュと公言している。
また一度のみの鑑賞の為に、的を得ているのか疑わしいのですが。『死の棘』は元特攻隊員の話で有り、浮気による不和を、夫婦が乗り越えて行く。【贖罪】的な要素があった。
『眠る男』は(これもはっきりと覚えてはいないのですが)正に【死】に纏わる話に相違ない。
そこで今一度考えてみたい小栗作品が『埋もれ木』だ。
それまでの小栗作品とは一線を化す土着性溢れる作品だが、あの作品で描かれた事が、今作品でのバリでの馬鹿騒ぎに於ける場面に繋がるのか〜…とすら思った。
だからといって、何を描きたいのか?がよく分からなかった『埋もれ木』の評価が個人的にですが、上がる訳ではないのですが…。
本作品で描かれた藤田は、芸術の都パリで大成功をおさめながら、芸術家としての心の底からの満足感を得られていたのか?との思いが観ていて感じられる。
ひょっとしたらテクニックに長けていたからこそ、芸術家として心の底から沸き上がる様な感情は生まれずに、単に「上手く描こう!」との思いだけで、本当の自分は偽っていたのではないのか?との描かれ方の様に見える。
この見方は、あくまでも私個人の作品を観た上での感じ方ですが。映画後半での日本パートでは、藤田は心のどこかに'引け目の様なモノ'を抱え込んでいるかの様に伺えた。
芸術家として、国家に魂を売り渡してしまった事の負い目。則ち【贖罪】にこそ見えるのだ!
しかしながら、芸術家として描ける事の'縛り'が、逆に彼にとっては本質を見抜く:描く眼を取り戻させた…とは言えないだろうか。
なにゆえ小栗作品だけに、単純に万人が理解出来る様な作りでは無いので、あくまでも個人的な推測になってしまうのだが…。
抑制された画面・美術構成は『死の棘』:『眠る男』を更に極め、静謐なロケ風景は藤田本人の(芸術家としての)心のざわめきにすら受け取れる。
(2015年11月30日/ユーロスペース/シアター2)