「滝に呑まれたあなたの声も、傍の誰かに届いてる」世界から猫が消えたなら 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
滝に呑まれたあなたの声も、傍の誰かに届いてる
原作未読。
予告編を見る限りはどんな物語なのかハッキリ分からなかったのだけど
(映像の雰囲気やセリフから、青春映画とか難病ものかと思っていた)、
TVの紹介番組を見るまでファンタジー要素込みのドラマだとは思わず。
その時から予告編の雰囲気とあらすじがマッチしていないとは感じていたが、
実際に観ても、物語が終盤に差し掛かるまで気分が乗り切らなかった。
透明感のある繊細な映像は悪くないのだけど、その映像に対して
大味すぎる設定や登場人物がなんともチグハグで、居心地悪く感じた次第。
.
.
.
まず小さな点だが、物語の設定。
寿命を1日延ばす為に、何かひとつを世界から消す、という取引。
映画が消えた世界はまだ納得だが、電話や時計が過去も含めて
消えたら、世界の変化ってあんなもんじゃすまないと思う。
まあ“悪魔”が恣意的にそう見せたとも取れるし、作り手側は
主人公と他の人々との関わりを端的に示したかったんだろう。
問題は、説得力の無いキャラと、そのキャラ同士の関わり。
自分そっくりの姿をした“悪魔”の言動は大袈裟だし、
濱田岳のキャラもあまり良くない意味で漫画チック。
映像のトーンが違えばこの辺の印象も変わっただろうけどね。
あとトムさん。あんなバックパッカーさんはきっといる
と思うし、彼の“時間”への想いも分かる。だがあのタイミング
の死は(負方向の)御都合主義に思えるし、主人公達が
トムさんと一緒に叫ぶシーンの印象がひどく薄いせいか、
重要シーンである「生きてやる」の叫びとの繋がりも良くない。
元恋人と主人公の関係も、目の前であれだけ落ち込んでる
彼女に一言も声を掛けない人なんておるかしら?
そもそもあの二人の出逢いが一番のファンタジー。
同じ大学の、古典映画好きな女性が、『メトロポリス』鑑賞中、
間違い電話をかけ、しかもTV音量も間違って上げなければならないのだ。
ロマンチックに言えば“運命”。シニカルに言えば“あり得ない偶然”。
濱田岳のような人付き合いのヘタな人間を快く受け入れる主人公も含め、
物凄く醒めた言い方をすれば、映画マニアの妄想にしか思えない。
ま、未だに独身で人付合いも下手で映画好きの自分が
指摘するのもなんか悲しいっすけどね、あっははは。
あれ? 変やね、目が霞んで前が見えないよ。
.
.
.
しかしだ。
タイトル通り、いよいよ猫が消える話が持ち上がる辺りから、
急速に作品のテーマが身近なものとして馴染んでくる。
ここは僕自身、実家で猫をこれまで3代飼ってるのも良かったのかも。
(↑プロフィール画像はイヌだけど実はネコ派)
病床の母、ぶっきらぼうな父、不器用な息子、
いくら家族でも心の根っこはなかなか晒せないものだし、
家族でも理解し切れない部分、家族だから我慢ならない部分がある。
そんな3人を結んでくれていたのが“レタス”と“キャベツ”だった。
2匹は家族の一員であると同時に、もろにぶつかれば
壊れてしまう人同士の間に入った、一種のクッションだった。
大切なものを誰かと共有することで、その誰かをも
大切に思えるようになる。理解したいと思えるようになる。
冒頭で馴染めないと書いた濱田岳のキャラクターも、
親友に贈るべき最後の映画を必死に探す姿を見て、
僕は一気に心を持っていかれた。
.
.
.
その昔、『ものより思い出』なんてコピーのCMがあったのを思い出す。
けれど、人間の記憶なんて拙いもの。
”もの(物・者)”に思い出を託し、大切な事を忘れない為の
縁(よすが)にすることは往々にしてある。
“もの”も思い出の大事な一部であり、人と人との縁である。
電話、映画、時間、猫、そして、あなた自身。
残酷な話、もしもあなたがいなくなっても、
このだだっ広い世界は滞りなくつつがなく続く。
けれど、あなたが昔から知るその狭い世界はきっと、
歯車の欠けた時計のようにガタついてしまうだろう。
替えの歯車をあてがおうと、元々はあなたの形にあわせて
あつらえたスペースだ。完全に元の動きに戻りなどしない。
この世に欠けて良いものなんて無い。だから、
自分を欠けて良いものだと思わないでほしい。
価値が無いだなんて言わないでほしい。
拙いながらもこの物語は、そう語りかけてくれている。
.
.
.
はい、以上!
不満点は多かれど、胸に残るものは確かにあるドラマ。
中盤までが2.5、終盤3.5~4.0といったところだが、
間を取りつつちょっと厳しめの3.0判定で。
<2016.05.14鑑賞>