「原作にちょっとした肉付けを施した作品」起終点駅 ターミナル 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
原作にちょっとした肉付けを施した作品
原作は1時間弱もあれば読める短編。映画本編は、ほぼ原作に沿った内容になっており、台詞も原作を忠実に使用している場面が多い。
それでも多少は原作を脚色している箇所が見受けられ、最後には重要な脚色もされている。そして原作には登場しない人物も居れば、観客に向けて重要なキャラクターとして印象付ける為に、その性格や存在を肉付けされている人物も居る。
映画は冒頭、主人公の佐藤浩市が雪の降るプラットフォームで佇んでいる場面から始まる。
たしか原作では、極寒の地である釧路の海の、冷たい風に立ち向かう様な描写から始まっていたと思う。
その後昔の出来事が描写され、尾野真千子演じる昔の恋人との悲しい別れとなる。
この辺り、実は原作では最初には書かれていない。
原作では、国選弁護人として本田翼演じる若い被告人を弁護し、その後若手の判事補に今は関係を絶ってしまった自分の息子の事を聞かれ、その際に自分が弁護した女と、昔の恋人とがシンクロして昔の出来事を思い出す。
昔の自分と、若い判事補。昔の恋人と、自分が弁護した女。
この2つはそれぞれシンクロしているのだが、特に後者に関してはかなり重要な意味を持っている。
昔の恋人の心を、理解してあげられなかったばかりか。彼女を助けてあげられなかったとゆう苦い過去。
その為なのか?、まるで一生を掛けての、罪の償いをしているかの様な人生を送っている。
そんな男の気持ちを、まるで見透かすかの様に登場するのが、中村獅童演じるビジネスやくざ。
原作では2度登場するのだが、映画本編では3度登場する。
彼は主人公である佐藤浩市が、何故若くして辛い想いを抱え、北の僻地で隠遁生活の様な暮らしをしているのか?観客が抱く疑問点を教えてくれる存在として、強く印象に残る。
原作では常に冷たくあしらわれるのだが。この男の3度目の登場により、主人公が抱えていた苦悩が、やがて希望へと昇華する。
この最後の場面は原作には無く。タイトルである【起終点駅】としての相応しい締め方だったと思う。
この2人が口の悪い言い合いをしていながらも、実はお互いに社会から、何らかの疎外感の様なモノを抱えていたかの様な、共感意識を共に持っていたのかも知れない。
この際の2人のやり取りと「闘え!鷲田完治」…のエールによって映画に少しばかりのスパイスを振りかけていた。
そして原作には無い1番大きな変更点として挙げられるのが、息子からの手紙。
原作では電話の場面を含め、実に素っ気ない対応に終始していた。
やはり文章で表現される小説だと、様々な想いを巡らせて考えるのだが。ダイレクトに映像が飛び込んで来る映画だと、この主人公の息子に対する応対の仕方では、長い年月を費やして来た男の心の苦悩は、多くの観客に理解して貰えないと思える。この脚色は正解だったのではないだろうか。
その為に、原作には無い隣人の親子も登場し。この主人公が、親子の大切さを教えられる場面になっている。
原作ではこの主人公は1人暮らしの為に、仕方なしに数多くの料理を覚える様になる。色々な料理が原作には登場し、それは映画でも同じなのだが、映画本編では特にザンギ(唐揚げ)が映画を象徴する料理として紹介される。
本田翼演じる若い被告人を家に向かい入れるきっかけでも有り。熱を出して寝込んでしまう彼女に、元気になって貰う為に料理を作る。
他人の為に…。その気持ちが芽生えた事によって、これまでと違い、この主人公が少しずつだが、人間味を取り戻して行く事となるのだ。
と…これまで原作には無い脚色として良い点ばかり挙げて来たが。脚色した為に原作では特に描写していなかった為に、逆に映画では疑問点として残ってしまっているのが、本田翼の両親と従姉妹の最期。
兄弟夫婦が居なくなっているだけに、事件?事故?だったのか。それとも心中だったのか?…と。
この本田翼の年齢設定は、原作では30代になっている。これは昔の恋人と同じくらいの設定でも有り、彼女を支える事で昔の恋人に対する、ほんの些細な罪ほろぼしの様な意味を持っているのだが…。
残念ながら映画では、原作よりも10歳くらい若い本田翼が演じる事で、その原作にて意識されているシンクロ性は薄らいでしまっている。
他にも予告編では目立っていた泉谷しげるだが、この人物は原作には居ない。ところが映画本編では全く「あれ?居たの!」って感じで実に残念。
逆に尾野真千子は、映画の序盤に少しだけしか登場しないのだが、彼女が佐藤浩市に別れを告げる瞬間のショットの凄さ:美しさは、まるであの高倉健主演作『駅 STATION』に於けるいしだあゆみの敬礼ポーズの様な輝きを放ち、少ない出演場面にも関わらず、その存在感は際だっていた。
だからこそなのか?ファーストシーンで、佐藤浩市が『鉄道員』での高倉健の様にプラットフォームに佇んでいる演出意図だったのならば、ちょっと薄っぺらさを感じてしまうのですが…。
それでも、個人的にですが。この数年間の篠原哲雄監督作品はいまひとつかな〜、と思える作品が続いていたのですが。久しぶりに本領を発揮していたと思います。
行間を読み説く様な間を始めとし、日本映画らしい日本映画の佳作と言える作品だと思います。
※ところで予告編だけを観ると。若くて可愛いファザコンの女の子が、佐藤浩市に恋してしまう恋愛映画…かの様に作られている。
実際は観て貰うと全然違うのですが。思わず「羨ましいなあ〜佐藤浩市!」…とばかりに、ついつい観に行ってしまうおじさんが多いんじゃないかな。
まさにおっさんホイホイ的な巧妙さでありました。
あ?俺もその1人か(笑)
(2015年11月8日/TOHOシネマズ府中/スクリーン6)